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らくごもの  作者: 桂正雀
13/13

祖父の死と弘也の慟哭

それは、突然やってきました。

 弘也が帰ってきて一週間経った昼、美雪は文太の部屋で会話をしていました。話の合間に、空の湯飲みにお茶を注いだその瞬間、何かが割れるような音が近くで聞こえました。

 「なんだ、今のは?」

 「さあ。私にも……」

 二人が唖然とした表情を浮かべているうちに、ふすまがスーッと横に動きます。そして、ハーハーと肩で息をするように高ぶった弘也が、文太の部屋へと入り込んでいきました。

 「気分が悪い、ちょっと出かけてくる」

弘也はくぐもった声でそれだけ言うと、ふすまを閉めて部屋から出て行きました。

弘也が部屋から遠ざかる足音が、二人の間に響きます。

「……」

文太と美雪は、その弘也の様子に尋常でない何かを感じました。

 「弘也君の部屋、ちょっと行ってみてくれないか?」

 「はい、わかりました」

 美雪は、言いつけどおり弘也の部屋へと入りました。

 美雪の心の中で、無言で入った罪悪感はその部屋の様子を見てかき消されました。

 たんすの中に丁寧にたたんで入れてあった服が無造作に散らばっていたり、整理してあった本が散らばったりして、部屋はまるでゴミ箱をひっくり返したようなっ有様でした。

 そして、美雪はその部屋の中でひとつのものを見つけます。

 「なに、これ……」

 たんすの上にあった写真立てのうちひとつが、壊れたまま机の上に置かれていました。その隣には、手紙が置いてあります。

 そこには懺悔の言葉が短くつづられていました。

 「『すまん、先にあの世に行ってくる。約束を果たせなかった爺を恨め』……か」

 見知らぬ老人と弘也とが一緒に写っているその写真。そして、その隣にある一通の便箋。

 (……まさか!)

 美雪の中で、最悪な事態が想定されました。美雪は部屋から出て、駆け足で文太の部屋に向かいました。

 「師匠! 弘也君のおじいさんが死んで、それで弘也君、家を出てそれで……」

 美雪はあわてて口を開きます。しかし、その言葉はまるで要領を得ません

 「落ち着け馬鹿者! 順序だてて喋ってみろ」

 文太の大きな一言が響き、美雪ははっと我に帰りました。

 「はい……」

 それから、美雪は落ち着いて先ほど見た光景を文太に伝えます。

 「……なるほどな……少し連絡してくる。弘也君を頼んだ」

 あくまで落ち着いた声で文太は美雪にそう告げました。その顔は、能面のような無機的なものさえ感じられます。

 文太はすっと立ち上がり、ふすまへと手を掛けます。美雪も、それに連れて部屋を後にしました。


 だんだん沈みゆく夕日を眺めながら、弘也は町を歩いていました。

 車の走行音やパチンコ屋から漏れる音、人の話し声などがごっちゃになって町を奏でます。弘也は、そんな音を耳にしながら町の中を歩いていました。

 「弘也、くん?」

 公園の中を歩いていると、どこかで聞いた声が音の途中にまぎれます。

 後ろを振り向いてみると、レジ袋を提げた私服姿の蒼が立っていました。

 「ああ、平手か。買い物か?」

 蒼が首を縦に振ると、弘也は「そうか」とだけ返しました。

 「弘也君は、どうして?」

 「無性に外が歩きたくなってな。風に当たって、頭をすっきりさせたかった」

 「そう。なら、早く帰ったほうがいい。天気、悪くなるみたいだから」

 「ああ、忠告ありがとよ」

 蒼は弘也のその言葉を聴き、コクッと首肯して弘也の前を立ち去ろうとしました。

 そのとき……

 「あっ!?」

 とある男が、弘也を見つけて叫びます。

 「てめぇ!」

 その男の顔は、怒りの表情に溢れていました。その男はアメ横で蒼に絡んでいた男の、そのニット帽の男でした。

 「このあいだはよくもコケにしてくれたな」

 「コケにされるようなあんたが悪いんだろ?」

 弘也は蒼に一瞬目配せし、その男の前に立ちはだかります。

 「るせぇ!」

 弘也の顔面に、こぶしが放たれました。殴られた拍子に後ろを一瞥すると、蒼はその意図がわかったのか、静かに下がり始めました。

 「……それで終わりか?」

 また一発殴られるとまた一瞥、また一瞥という風にしているうちに、蒼は完全に逃げ切れた様子です。

 しかし、それからも弘也は殴られ続けました。顔を体を、男のこぶしが弘也の体に飛びます。

 「はっ、これくらいで勘弁してやるよ」

 満足したその男が弘也の前から消え去ります。その光景を遠目に見ながら、弘也は公園のベンチに力なく座りました。

 見上げた空は、蒼の言うとおり若干曇りかけていました。

 (ざまぁみさらせクソ爺。あんたの言う誇り、守ってやったよ)


 弘也が家に帰ってきたのは、それから数十分経ってからでした。

 「ひ、弘也……君?」

 弘也の姿を見た茜はその姿を見て驚きました。先ほどまで血が出ていたのか、鼻の下には赤い塊が付着し、口にも地が固まったような跡があります。服も乱れきり、いくつかほころびができていました。そして、体中にいくつかの青あざができています。

 「派手にやられっちまいましたよ」

 弘也は口元に笑みを作り、家へと入って行きます。

 「すいません、自分の部屋に戻ってます」

 と、弘也は自分の部屋へと戻っていきました。

 部屋に戻った弘也は、その場に座り込みます。

「ふっ」

 弘也は、自嘲するように鼻を鳴らしました。

 (ここまでボロクソにされるなんてな……)

 口元をぬぐうと、切れているのか、手には血がつきます。弘也は、誰もいない公園の中頭を真っ白にしてしばらくそこに座り込んでいました。

 「弘也君、入るわね」

 弘也が自分の部屋でそうしているうちに、美雪が部屋に入ってきました。

 「何があったか……話してくれないかしら?」

 「……ええ」

 弘也は、その口を開きました。



 それは、美雪たちが何か割れる音を耳にする、その数分前のことです。

 机の上で勉強していた弘也の近くで、携帯電話が鳴り響きました。画面を見てみると、『公衆電話』と表示されています。

 「もしもし、典子さんですか? 爺さんに何か?」

 『あの人が、文也が……亡くなりました』

 「えっ? 今、なんて……?」

 弘也は、目の前が真っ白になるような感覚がしました。信じられない。弘也は固まった表情のまま、聞き返しました。

 「文也が、亡くなったんです」

 今まで受けたことも無いようなショックが、弘也の体を突き抜けました。携帯電話をスッとおろし、ただ呆然と口を開けてあらぬ方向を見ている弘也。

 「もしもし、もしもし!」

 典子の叫び声が弘也の耳に届きます。それでも弘也は反応できず、ただ人形のように虚空を見つめるだけでした。


 しばらく呆然とした弘也でしたが、それでもそのうちそのショックはだんだん癒えてきます。そして、そんなタイミングを見計らったかのように、電話がまた鳴り響きました。

 「さっきは、すいませんでした」

 『……落ち着きましたか?』

 「ええ、さっきよりは。それで、爺さんはいつ?」

 『今朝、です。私が着いた頃にはもう虫の息で……』

 「……爺さん、何か言ってましたか?」

 『いえ……でも、あの人からの手紙があなたのかばんに入ってるはずです。あなたが、病室にいらしてトイレに行ったとき、入れておきました』

 「え? でもそんなもん、俺が片付けてる時には……」

 弘也は、帰省に持っていったボストンバッグを振り返りました。

 『一番大きいチャックの、その内ポケットに』

 「どれ……あっ、ありました!」

 言われたとおりバッグを探っていると、小さくたたんである便箋がありました。それを広げてみると、祖父の筆まめらしい達筆な字で書かれた文が書かれています。

 『すまん、先にあの世に行ってくる。約束を果たせなかった爺を恨め』

 「は? なんだよ……。どういうことだよ、これ……何なんだよ……」

 弘也の頭の中で、その短い文章がぐるぐると渦巻きます。

 『すみません。私、嘘をついていました……。危篤になってあなたが戻った時、峠だって言われてて』

 「じゃあ知ってたんですか!? 爺さんの命がやばいって知ってたってんですか!? 知ってて俺にそんな嘘を……」

 『はい。最初は言おうと思ったんですが、「あいつはもう大丈夫だから」って止められて』

 「……ふざけんな。どういうつもりだよ!」

 弘也は電話を切ると、前へと移動して文也と一緒に写っている写真立てを手に取ります。

 中学校最後の空手の県大会で入賞を果たした時に取った、唯一残っている文也と弘也の思い出の写真。照れたようにうつむいて笑う弘也と、その肩を組んで笑顔を浮かべる文也。その写真を見ているうちに弘也はわなわなと震えだし、抑えきれない怒りがこみ上げてきます。

 そして、その写真立てを机の上に叩きつけました。

 ガシャン!

 「はぁ……はぁ……」

 いきり立って赤くなっていた弘也の顔から、徐々に血の気が引いてゆきます。弘也は、そのまま部屋を出て、文太の部屋へと向かいました。



 「大事な人間が亡くなったのに涙のひとつも出てこねぇ……そんな自分に腹が立ったんです。殴られてても、何の感情も出てきやしねぇ」

 鼻で笑いながら、弘也は自嘲するように呟きます。

 「つらいわね。何も言われないで」

 「あんたに、何がわかるんですか。出会って間もない、あんたに」 

 弘也がはき捨てるようにそう呟く言葉の端々に、静かな怒りが透けて見えます。それを察したかのように、美雪は弘也をそっと抱きしめました。

 「わかるわよ。君が苦しんでるんだってことくらい」

 弘也はもがいてそれを振りほどこうとしますが、美雪はそれでもなお弘也を抱きしめ続ます。

 「私もね、同じだった。

 輝、自分の死に際だっていうのにそれを隠して「大丈夫だよ、姉さん。もう、甘えたりしないよ」って笑うの。昔から甘えん坊だったあの子が、満面の笑みで。

 輝が死んじゃった時、空っぽになった気分になって。涙なんて一滴も出なかった。

……今の弘也君と、同じ」

 美雪は、その抱きしめた腕の力を更に強めて、弘也に更に語り掛けます。

 「その後出てきたのが、自分を責める感情がだったわ。何で自分の弟のことすら甘えさせられなかったの、何で気がつかなかったのって。苦しくて、悔しくて、どうしようもなくなって。

 ……だから、今はめいっぱいお姉さんに甘えなさい。苦しいこととか悔しいこととか、全部お姉さんに吐き出しちゃいなさい」

 一筋の涙が、弘也の目からこぼれました。

 それから、涙はいつしか慟哭へと代わり、部屋中にこだまするように響き渡りました。

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