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異世界北海道 夫を探して異世界へ来たら、夫にはもう妻がいました ~食堂酒場を開き、幸せになります~  作者: 雫石しま


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第94話 まさかの公爵令息

「……これは、どういう騒ぎですかな?」


 トーカチー公爵の声が、静まり返った店内へ響いた。


 その視線は、まっすぐテオへ注がれている。


「テオドール」


「……」


「その手にしている物はなんだ」


「……父上」


 その一言に、店内の空気が変わった。


「父上?」


 誰かが小さく呟く。


 私は思わず顔を上げた。


 テオ。


 テオドール。


 公爵様の息子……?


 私は慌ててレオンの顔を見る。


 レオンは困ったように微笑んだ。


「テオドールは、私の弟です」


「……弟?」


 頭の中が真っ白になる。


 テオが以前話していた。


 厳格な父親。


 農民の暮らしを考えない地主。


 その父親と折り合いが悪く、家を出て農業ギルドへ就職したこと。


 質素な長屋で一人暮らしをしていること。


 あの時、テオが言っていた『地主』。


 まさか。


 その人が――。


「トーカチー公爵様……」


 私は呆然と公爵を見る。


 そして、もう一度テオを見る。


 銀縁眼鏡。


 いつもきちんと整えられた服装。


 農業について驚くほど詳しく、どんな相談にも的確に答えてくれた。


 今までのことが、すべて一本の線に繋がっていく。


「テオ……」


 私は震える声で呼びかけた。


「あなた……公爵様の息子さんだったのね」


 テオは少しだけ目を伏せた。


「……隠すつもりはなかったのですが」


「だったら、言ってくださいよ!」


「申し訳ありません」


 いつものテオらしい、困ったような顔。


 けれど、店内の町の人たちは大騒ぎだった。


「ええっ!?」


「テオさんが公爵様のご子息!?」


「じゃあ、農業ギルドで働いていたのは……」


「どうりで経営に詳しいわけだ!」


 皆が目を丸くしている。


 私もようやく納得した。


 貴重な生姜を、薬草園から簡単に分けてもらえたこと。


 水車小屋の工事が驚くほど早く始まったこと。


 農業ギルドが私の畑を親身になって見てくれたこと。


 全部、テオの力があったからなのだ。


「でも……」


 胸の奥が少しだけ痛んだ。


 テオは、そんなことを一度も自慢しなかった。


 むしろ、自分が公爵家の人間であることを隠すようにして、農民たちと同じ目線に立とうとしていた。


 だからこそ、私は彼のことを好きになったのだ。


 肩書きではなく。


 農家の畑を心配し、土に触れ、私と一緒に生姜を植えてくれたテオを。


「テオドール」


 公爵の声が響く。


「その虫はなんだ」


 テオは手にしていた木皿を静かに掲げた。


「これは……」


 一瞬、クローディアへ目を向ける。


「クローディア様のお召し物に紛れて、この店へ持ち込まれた物です」


「そうなのか」


「はい」


 テオの声は冷静だった。


「爽子さんに非はありません」


「……!」


 私は思わず胸を撫で下ろした。


 良かった。


 信じてもらえた。


 それだけで、張り詰めていた身体から力が抜けていく。


 けれど。


「何よ!」


 クローディアの声が響いた。


 顔を真っ赤にしている。


「夫に捨てられたくせに!」


「……!」


 店内が凍りつく。


 クローディアは怒りに任せて私を睨みつけた。


「テオドール様!」


 今度はテオへ向き直る。


「こんな女のどこがいいのですか!」


 その言葉が胸へ突き刺さった。


 私は何も言えなかった。


 夫に捨てられた。


 その言葉は、私が一番心の奥で恐れていたものだった。


 テオには知られたくなかった。


 自分から話したかった。


 いつか、ちゃんと自分の口で。


 それなのに。


 こんな場所で。


 こんな形で。


「爽子さん……」


 テオの声が聞こえる。


 けれど、私は顔を上げられなかった。


 俯いたまま、ぎゅっとエプロンの裾を握る。


 胸の奥が、痛かった。


 もう、隠しておくことはできない。


 テオは私のすべてを知ってしまった。


 前の夫のことも。


 離婚したことも。


 そして――。


 私が、もう一度誰かを好きになることを怖がっていたことも。


 店内には、誰も口を開かない。


 ただ暖炉の薪が、ぱちりと音を立てた。


 その時。


 テオが一歩、私の前へ出た。


 まるで私を庇うように。


 銀縁眼鏡の奥の瞳が、静かにクローディアを見つめていた。


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