表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界北海道 夫を探して異世界へ来たら、夫にはもう妻がいました ~食堂酒場を開き、幸せになります~  作者: 雫石しま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
88/96

第88話 毒蛾の女

 黒塗りの豪奢な馬車には、月桂樹の紋章が美しく象られていた。


 吹雪の夜。


 御者は肩へ雪を積もらせながら手綱を握り、鞭を鋭く振るう。


「行け!」


 パシン、と乾いた音が夜空へ響いた。


 四頭立ての馬車は雪を蹴散らしながら街道を駆け抜ける。


「まったく……」


「こんな夜中に叩き起こされるなんて最悪だ」


「厩舎で干し草を食べながら寝ていたかったよ」


 馬たちは鼻息を荒くしながら、ぶつぶつと悪態をつく。


「しかも吹雪だぞ」


「蹄まで凍りそうだ」


「あとで人参を二本は貰わないと割に合わない」


 文句を言いながらも、四頭は息を合わせて力強く雪道を駆けていった。


 車輪は新雪を巻き上げ、白い軌跡を残していく。




◇◇◇




 馬車の中では、クローディアが毛皮の外套を胸元まで引き寄せ、小さく身体を丸めていた。


 窓の外は吹雪。


 ガラスへ雪が激しく叩きつけられている。


 暖炉もない車内は冷え切り、吐く息が白く曇った。


 クローディアは窓へ映る自分の顔を見つめる。


 眉間には深い皺。


 唇はきつく結ばれていた。


「許せない……」


 ぽつりと呟く。


「あの女だけは」


 昼間の光景が何度も脳裏を過ぎる。


 ヴェダー亭。


 爽子。


 夫が一瞬見せた、あの懐かしむような表情。


 あの眼差しが忘れられない。


 私は妻なのに。


 どうして、あの人の心にはまだ別の女性がいるの。


 悔しさが胸いっぱいへ広がる。


 その時だった。


 何かが足元で微かに動いた。


「……?」


 視線を落とす。


 馬車の床板へ、小さな黒い影が張り付いている。


 羽を閉じた一匹の蛾だった。


 白い斑点を持つ、不気味な姿。


「ヒッ!」


 思わず息を呑む。


 越冬し損ねた毒蛾だ。


 山地では触れるだけで皮膚が赤く腫れ上がると知られている。


 クローディアは咄嗟に足を引いた。


 鼓動が速くなる。


 逃げたい。


 けれど。


 蛾は寒さで動けないのか、じっと床へ張り付いたままだった。


「……」


 クローディアはその姿を見つめる。


 やがて、何かを思いついたように目を細めた。


「そう……」


 ゆっくりとバッグを開く。


 中から白いレースのハンカチを取り出した。


 震える指先で端を摘み、恐る恐る毒蛾へ近づける。


「動かないで……」


 息を止める。


 そっと。


 本当にそっと包み込む。


 毒蛾は羽をわずかに震わせただけで抵抗しなかった。


 クローディアは慎重に包み終えると、小さく安堵の息を漏らす。


「これで……」


 その瞳に、先ほどまでとは違う光が宿る。


 冷たく、静かな光。


 彼女はハンカチをバッグの奥へしまい込んだ。


 そして小窓を静かに開ける。


「御者」


「はい、奥様!」


 吹雪の音に負けじと御者が返事をする。


「予定を変更します」


「と申しますと?」


 クローディアは窓の外、暗い街道を見つめたまま静かに言った。


「ア・バーシリーへ帰る前に、寄っていただきたい場所があります」


「承知いたしました」


「トーカチーです」


 御者は少し驚いたようだった。


「トーカチー、でございますか?」


「ええ」


 クローディアはゆっくり頷く。


「ヴェダー亭という料理屋です」


 その名を口にした瞬間、馬車の中へ重たい沈黙が落ちた。


 外では吹雪が激しさを増し、白い雪が月桂樹の紋章を覆い隠していく。


 黒塗りの馬車は進路を変え、深い雪を切り裂くように、静かにトーカチーへの街道を走り始めた。


お読みいただきありがとうございます


ご感想ありがとうございます


⭐︎ での評価も励みになっております

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ