第86話 サッポローでの報告会
――サッポロー。
異世界北海道の首都。
トーカチーから馬車で七泊八日。
雪を戴いた山々に囲まれたその都は、地方の町とはまるで別世界だった。
真っ白な大理石で築かれた壮麗な建物が空高く聳え立ち、尖塔の先には黄金の風見鶏が輝いている。
街の中央では、時計台が厳かに鐘を鳴らした。
ゴォーン――。
深く澄んだ鐘の音が、石畳の街へ幾重にも響き渡る。
通りを行き交うのは荷馬車ではない。
磨き上げられた黒塗りの豪奢な馬車が静かに走り、御者たちは黒い礼装に身を包んでいる。
毛皮をあしらった華やかなドレスを纏う貴婦人。
漆黒の燕尾服に身を包んだ紳士。
誰もが洗練された足取りで石畳を歩いていた。
トーカチーの市場とは違う。
牛の鳴き声も聞こえない。
焼きたてのパンの香りも、デントコーンを発酵させた独特の匂いも漂ってこない。
整然とした街並みには、どこか張り詰めた空気が流れていた。
◇◇◇
宮殿の大会議場。
高い天井には巨大なシャンデリアが幾重にも吊るされ、赤い絨毯が玉座まで真っ直ぐ伸びている。
各領地の領主や代官たちが整然と席へ着き、書記官たちは机いっぱいに羊皮紙を広げていた。
やがて司会役の官吏が巻物を広げる。
「次――」
澄んだ声が広間へ響く。
「トーカチー領、公爵前へ」
その声に、一人の男性が静かに立ち上がった。
トーカチー公爵である。
隣には補佐役としてレオンも控えていた。
二人はゆっくり壇上へ進み、一礼する。
広間が静まり返った。
公爵は堂々と前を向く。
「本年度、トーカチー領の税収ならびに夏季収穫について報告いたします」
落ち着いた声が大広間へ響く。
「本年は小麦の収穫量が昨年比一割増」
「牧畜につきましても順調に推移しております」
書記官たちの羽根ペンが一斉に走る。
数字が次々と羊皮紙へ書き留められていった。
公爵は一呼吸置き、隣のレオンへ頷く。
レオンは抱えていた革筒から数枚の羊皮紙を取り出した。
「こちらは新たな農業技術についての資料です」
書記官へ恭しく手渡す。
広げられた羊皮紙には、水車の精密な設計図。
歯車の構造。
水流を利用した粉砕装置。
そして、生姜について詳細にまとめられた報告書が添えられていた。
「我が領では、水車を利用したデントコーンの粉砕を開始しております」
レオンの穏やかな声が続く。
「これまで家畜の飼料として扱われていたデントコーンを微粉末化し、新たな食材として利用する技術です」
会場がざわつく。
「飼料を?」
「食材に?」
領主たちが顔を見合わせる。
レオンは続けた。
「粉砕したデントコーンは、料理へ利用することで新たな価値を生み出しました」
「また――」
一枚の羊皮紙を持ち上げる。
「薬草として扱われていた生姜につきましても、新たな活用法が見出されております」
今度はさらに大きなどよめきが起こる。
「薬草を食べるだと?」
「聞いたことがない」
公爵が一歩前へ出た。
「生姜は薬ではなく、身体を温める食材となります」
その言葉は重々しく、会場全体へ響いた。
「豚肉料理や汁物へ加えることで風味が増し、冬場の食事として極めて有用であることが判明しました」
領主たちは驚きを隠せない。
「さらに来年度」
公爵は堂々と宣言する。
「我がトーカチー領では、生姜の大規模栽培へ踏み出します」
その声が広間いっぱいへ朗々と響き渡った。
一瞬の静寂。
そして拍手。
各地の領主たちが感心したように頷いている。
その中で一人の領主が立ち上がった。
「失礼」
白髪交じりの壮年の領主だった。
「その技術は、トーカチーの研究者が考案されたのですかな?」
公爵は静かに首を横へ振る。
「いいえ」
その表情はどこか誇らしげだった。
「考案したのは、一人の女性です」
広間が再びざわめく。
「女性?」
「料理人か?」
「農学者ではないのか?」
様々な声が飛び交う。
公爵は微笑みながら答えた。
「料理人であり、小さな食堂酒場の店主です」
「店の名は――」
一拍置く。
「ヴェダー亭」
その名前が響いた瞬間だった。
会場後方に座る一人の男の表情が変わる。
ア・バーシリー辺境伯。
グリズリー。
ゆっくりと目を見開く。
「……ヴェダー亭?」
鼓動が大きく鳴る。
その名を聞き間違えるはずがない。
トーカチー。
料理。
そしてヴェダー亭。
頭の中で一つの名前が結びつく。
(爽子……)
思わず拳を握り締めた。
騎士団長が届けてくれた、歌うトマト。
あの味。
あの温もり。
すべてが繋がった。
爽子は生きている。
そして今、トーカチーで店を開き、多くの人々の暮らしを変えている。
胸の奥から込み上げる喜びと安堵。
けれど同時に、隣の席に座る妻の冷たい視線を思い出し、グリズリー辺境伯は静かに唇を結んだ。
広間ではなおも、公爵の報告が続いていた。
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