第83話 黄金色の白樺林
帰りの馬車は、夕焼けに染まる白樺並木をゆっくりと進んでいた。
窓の外では黄金色の葉が風に舞い、小さな野鳥が枝から枝へ飛び移っている。
私は膝の上で両手を重ねながら、今日の出来事を思い返していた。
公爵様。
立派な屋敷。
そして、生姜の大規模栽培への支援。
まるで夢のような一日だった。
ゴトン。
馬車がゆっくり止まる。
「到着いたしました」
御者が扉を開けてくれた。
「ありがとうございました」
私は深く頭を下げ、ヴェダー亭の前へ降り立つ。
夕暮れの空には茜色の雲が浮かび、店の窓からはランプの灯りが漏れていた。
「ヴェダー!」
扉の隙間からヴェダーたちが転がるように飛び出してくる。
葉っぱをぶんぶん振りながら、私の足元へ集まった。
「ただいま」
一匹ずつ撫でると、安心したように葉っぱを揺らす。
「ジュリッ!」
シマエナガも窓辺から大きく羽を広げた。
「心配してくれたの?」
その時だった。
「爽子さん」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、店の前の街灯の下にテオが立っていた。
いつもの黒い上着に銀縁眼鏡。
夕焼けを背に、穏やかに微笑んでいる。
「テオさん!」
思わず顔が明るくなる。
「帰ってきたんですね」
「はい」
テオはほっとしたように息を吐いた。
「市場で、公爵家へ行かれたと聞いて……」
「心配してくださったんですか?」
「少しだけ」
照れくさそうに眼鏡を押し上げる。
「豚丼は……いかがでしたか?」
その瞳には期待が宿っていた。
私は思わず笑顔になる。
「大成功でした!」
「本当ですか!」
「はい!」
私は今日の出来事を夢中になって話し始めた。
白亜の屋敷。
広い厨房。
公爵様が豚丼を何度もおかわりしたこと。
生姜を薬草ではなく食材として絶賛してくれたこと。
そして――。
「来年、生姜の大規模栽培を支援してくださることになったんです!」
テオは目を丸くした。
「本当に?」
「はい!」
嬉しくて何度も頷く。
「水車も、生姜も、もっとたくさんの人に広められます」
テオも自然と笑みを浮かべる。
「それは素晴らしいですね」
心から嬉しそうだった。
「これで町の農家さんも、新しい作物に挑戦できます」
「そうですよね!」
二人で顔を見合わせて笑う。
けれど。
「それで……」
私が屋敷の様子を話し始めると、テオの表情が少しずつ変わっていった。
「庭園が本当に広くて」
「……」
「白樺林がずっと続いていて」
「……そうですか」
「厨房も、とても立派で」
テオの返事が短くなる。
眼鏡の奥の瞳がどこか遠くを見つめていた。
「テオさん?」
「え?」
我に返ったように瞬きをする。
「どうかしました?」
「いえ」
そう言って微笑む。
けれど、その笑顔はどこか寂しげだった。
「少し……昔のことを思い出してしまって」
「昔?」
「いえ、大したことではありません」
それ以上は話そうとしない。
私は首を傾げた。
公爵家の話になると、どうしてこんな表情になるのだろう。
以前、一人暮らしをしている理由を聞いた時も、お父さんとは折り合いが悪いと言っていた。あの時もこんな顔をしていた。
「爽子さん」
テオが穏やかに口を開く。
「来年の春は忙しくなりますね」
「はい!」
私は大きく頷く。
「生姜も増やしたいですし、白菜にも挑戦したいです」
「また畑を見に伺います」
「ありがとうございます」
◇◇◇
夕焼けの空を見上げる。
秋の風が白樺を揺らし、黄金色の葉が二人の間を静かに舞い落ちた。
テオはその葉を目で追いながら、小さく息をつく。
(父上は……喜んでいたのですね)
胸の奥で、誰にも聞こえないほど小さく呟く。
公爵が料理を褒め、生姜栽培を認めたことは嬉しい。
それでも。
何年も顔を合わせていない父の姿を爽子の話を通して思い浮かべると、胸の奥にしまい込んだ感情が静かに疼いた。
そのことを、爽子はまだ知らない。
テオは何事もなかったように微笑み直すと、いつもの穏やかな口調で言った。
「それでは、また明日」
「はい。また明日」
二人は笑顔で手を振り合う。
けれどテオは帰り道、一度だけ夕暮れの西の空を振り返った。
その先には、公爵家の白樺林が静かに広がっているような気がしていた。
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