第79話 最後のトマトと家族の温もり
秋晴れの空の下、最後のトマトを収穫する。
真っ赤に熟れた実を両手で包み込むように持ち上げると、トマトはいつものように元気よく歌い始めた。
♪さわっこの畑で採れたトマト♪
♪まっかっかのトマト♪
♪あまくておいしいトマト♪
歌声は畑いっぱいに響き、どこか名残惜しそうに秋風へ乗って流れていく。
「今年もありがとう」
私はトマトへそっと頭を下げた。
テオも木箱を抱えながら穏やかに微笑む。
「本当に不思議な野菜ですね」
「来年も元気に歌ってくれるといいな」
収穫を終えた畑は急に静かになった。
賑やかだった畝には赤い実はもう一つも残っていない。
私は茎を一本ずつ根元から切り、テオはスコップで根を掘り起こしていく。
茶色く枯れた茎は思いのほか丈夫で、引き抜くたびに土がふわりと舞い上がった。
「今年もよく頑張ってくれましたね」
「はい」
畑へ感謝するように土を撫でる。
根を取り除き、石を拾い、鍬でゆっくり耕す。
固く締まった土へ空気を送り込むように返していくと、黒々とした土が顔を出した。
「来年に向けて土も休ませてあげないと」
「ええ。一度リセットしてあげることも大切です」
テオはそう言って頷いた。
その時だった。
「ヴェダー!」
元気な声が響く。
振り向くと、茶色いヴェダーが胸を張り、小さな桶を両手で抱えていた。
中には茶褐色のペレットが山盛りになっている。
「持ってきてくれたの?」
「ヴェダー!」
得意満面で葉っぱを揺らす。
七匹の緑色のヴェダーたちも後ろから「ヴェダー!」「ヴェダー!」と応援していた。
「ありがとう」
私は桶を受け取り、畑へ均等に撒いていく。
ペレットはさらさらと土へ馴染み、嫌な臭いはまったくない。
豊かな森の土のような香りだけが漂った。
「これなら来年もいい土になりますね」
「茶色いヴェダーのおかげですね」
茶色いヴェダーは照れくさそうに葉っぱを左右へ揺らした。
鍬で軽く混ぜ合わせる。
黒くふかふかの土が秋の日差しを受けて輝いていた。
私は腰を伸ばして畑を見渡す。
「これで終了ですね」
「そうですね」
テオも満足そうに頷く。
その瞬間だった。
「うぇぇぇん……!」
店の玄関先から、小さな泣き声が聞こえてきた。
「え?」
二人で顔を見合わせ、急いで店へ向かう。
玄関の前には、小さな獣人の男の子がぽつんと立っていた。
年は三歳くらいだろうか。
ふわふわの耳が頭の上でぺたりと垂れ、片手には青い風船を握り締めている。
涙で頬はぐしゃぐしゃだった。
「どうしたの?」
私はしゃがみ込み、目線を合わせる。
男の子はしゃくり上げながら答えた。
「……ままが、いない」
「迷子になっちゃったの?」
こくん、と小さく頷く。
「お名前は?」
「……ルイ」
「ルイくんね」
私はそっと頭を撫でた。
「大丈夫。お母さん、一緒に探そうね」
男の子は少しだけ安心したように涙を拭った。
私は店へ招き入れ、温かいリンゴジュースを小さな木のコップへ注ぐ。
「はい、どうぞ」
ルイは恐る恐る口を付ける。
甘い香りに、少しだけ笑顔が戻った。
「ジュリッ!」
シマエナガが近寄り、大きな翼をゆっくり広げる。
「乗ってみる?」
ルイは目を丸くし、小さく頷いた。
そっと背中へ乗せると、シマエナガは部屋の中をゆっくり歩き始める。
「わぁ!」
さっきまで泣いていた顔が嘘のように笑顔になる。
その横ではヴェダーたちが葉っぱを揺らしながら輪になって踊り始めた。
「ヴェダー!」
「ヴェダー!」
ルイも手を叩いて笑う。
その様子を見つめるテオの表情が、ふっと和らいだ。
「爽子さん」
「はい?」
「私は市場へ行ってきます」
帽子を手に取りながら言う。
「親御さんが探しているかもしれません」
「お願いします」
テオは大きく頷き、足早に市場へ向かった。
◇◇◇
昼の教会の鐘が鳴る。
勢いよく扉が開く。
「ルイ!」
涙を浮かべた獣人の女性が飛び込んできた。
「ままぁ!」
ルイは駆け出し、その胸へ勢いよく飛び込む。
母親は何度も何度も抱き締め、涙を流していた。
「良かった……本当に良かった……」
「ごめんなさい……」
「もう離れちゃ駄目よ」
二人の姿を見て、私まで胸が熱くなる。
その後ろには、少し息を切らしたテオが立っていた。
「市場で大騒ぎになっていました」
「ありがとうございました」
母親は何度も頭を下げる。
やがてルイは何度も振り返りながら母親と手を繋ぎ、夕暮れの町へ帰っていった。
静かになった店先で、私はぽつりと呟く。
「……家族って、いいですね」
その言葉に、テオは遠くへ歩いていく親子の後ろ姿を静かに見つめていた。
「ええ」
穏やかな声だった。
「温かいものですね」
その横顔には、どこか羨ましさにも似た優しい笑みが浮かんでいた。
父との確執で家を離れ、一人で生きてきたテオ。
寄り添い合い、笑い合う親子の姿は、彼の胸の奥に忘れかけていた温もりを、そっと思い出させていた。
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