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異世界北海道 夫を探して異世界へ来たら、夫にはもう妻がいました ~食堂酒場を開き、幸せになります~  作者: 雫石しま


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第78話 テオの過去と告白

 窓の外では、夕焼けが少しずつ藍色へと変わり始めていた。


 部屋の中は静かだった。


 熱冷ましの布を替えたおかげか、テオの呼吸は先ほどよりも幾分穏やかになっている。


 私は空になった土鍋を布で包み直し、小さく息をついた。


「もう少し食べられそうですか?」


「いえ……十分いただきました」


 掠れた声だったが、先ほどよりも少し力が戻っている。


「それなら良かったです」


 私はベッド脇の椅子へ腰を下ろした。


 テオは天井を見つめたまま、小さく笑う。


「まさか爽子さんに看病していただけるとは思いませんでした」


「私も、一人暮らしだとは思っていませんでした」


 その言葉に、テオの笑みが少しだけ消えた。


 部屋を見渡す。


 質素な家具。


 整然と並ぶ本。


 食器は一人分だけ。


 どこを見ても、ここには誰かと暮らした形跡がなかった。


「……ずっと、お一人なんですか?」


 私は遠慮がちに尋ねる。


 テオはしばらく黙っていた。


 窓から吹く秋風が、白いカーテンをゆっくり揺らす。


「……はい」


 小さく頷いた。


「学生の頃からです」


「ご家族は……」


 そこまで言って、私は口をつぐんだ。


 踏み込み過ぎただろうか。


 そう思った時だった。


 テオは苦笑しながら天井へ視線を向けた。


「父とは……あまり仲が良くありません」


「そうなんですか」


 初めて聞く話だった。


 テオはゆっくりと言葉を選ぶ。


「父はトーカチーでも、それなりに名の知れた地主です」


「地主さん……」


「ええ」


 熱のせいか声は弱々しい。


 けれど、一つひとつ噛み締めるように話し始めた。


「昔から厳格な人でした」


 その横顔を静かに見つめる。


「農民は甘やかすな。収穫が悪いのは努力不足だ。父の口癖でした……」


 淡々と語るその声には、どこか諦めにも似た響きがあった。


「収穫量だけを見て、人を見ない方なんです」


 私は何も言わず耳を傾ける。


「雨が続いても。病気が流行っても。家族が倒れても。それでも『もっと働け』と言う人でした」


 部屋の空気が少し重くなる。


「私は、それがどうしても理解できませんでした」


 テオはゆっくり目を閉じる。


「畑は、人が耕します」


「人が笑って暮らせなければ、良い農業なんてできません」


 その言葉は、今まで私が見てきたテオそのものだった。


 トマトの育て方を丁寧に教えてくれたこと。


 生姜を一緒に植えたこと。


 畑へ何度も足を運び、土を見てくれたこと。


 すべて思い出す。


「だから私は家を出ました」


 静かな声だった。


「父は農場を継げと言いました」


「でも私は断りました」


「そして農業ギルドへ」


 私は思わず頷く。


「だからギルドに……」


「はい」


 少しだけ微笑む。


「農民の相談を聞く仕事なら、私にもできると思いました」


 熱で赤くなった頬のまま、真っ直ぐ天井を見つめる。


「私は……」


 一度息を整えた。


「弱い立場の農民の味方でいたいんです」


 その言葉には迷いがなかった。


「豊かな人は、自分で何とかできます」


「でも、小さな畑を守っている人たちは違います」


「病気ひとつ。」


「害虫ひとつ。」


「天候ひとつで生活が変わってしまう」


 私は小さく笑った。


「だから、あんなに親身になってくださるんですね」


 テオは照れくさそうに眼鏡のない目元を細める。


「仕事ですから」


 その言い方が、なんだか可笑しい。


「またそうやって照れ隠しをする」


「……分かりますか」


「分かります」


 二人で小さく笑う。


 部屋の空気が少しだけ柔らかくなった。


 私は布を水へ浸し、もう一度額へそっと乗せる。


「テオさん」


「はい」


「きっと、みんな感謝しています」


 ヴェダー亭へ相談に来る町の人たち。


 畑で嬉しそうに笑う農家さん。


 市場で手を振ってくれる八百屋のおばちゃん。


 その笑顔の裏には、きっと何度もテオの助けがあったのだろう。


「私も、その一人です」


 テオは少し驚いたように私を見た。


 やがて穏やかに微笑む。


「……ありがとうございます」


 その笑顔は、いつもの仕事中の真面目な顔ではなく、一人の青年として見せた、どこか安堵したような優しい笑顔だった。


 私はその笑顔を見つめながら、胸の奥にしまい込んだ自分の過去を思う。


 この人は、自分のことを打ち明けてくれた。


 ならば今度は、私の番なのかもしれない。


 そう思いながらも、その言葉だけは、まだ喉の奥から出てこなかった。


お読みいただきありがとうございます


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