第80話 税金が払えない
十月の冷たい風が、ヴェダー亭の軒先を吹き抜けていった。
店内では今日も豚骨スープの湯気が立ちのぼり、お客様の笑い声が響いている。
お昼の営業を終え、私は帳簿を開いて深いため息をついた。
「はぁ……」
そこへ、一人の男性が扉を叩いた。
灰色の外套に身を包み、革鞄を肩から提げている。
「ヴェダー亭で間違いありませんか?」
「はい」
男性は懐から羊皮紙を取り出し、私へ差し出した。
「町役場、徴税係です」
「えっ?」
嫌な予感が胸をよぎる。
「営業開始以来の納税期限を過ぎておりますので、本日ご請求に参りました」
「納税……?」
私は羊皮紙を受け取った。
そこには細かな数字がびっしりと並んでいる。
営業税。
建物使用税。
商業登録税。
町道維持税。
思わず目を見開いた。
「こんなに……」
「商売を始められた方は皆さん納めております」
徴税係は事務的な口調で説明を続ける。
「期限内でしたら分割も可能でしたが、期限を過ぎておりますので延滞分も加算されています」
頭の中が真っ白になった。
この世界へ来てから、料理のことばかり考えていた。
店を開き、お客様を迎え、畑を耕し、新しい料理を考え続ける毎日。
税金のことなど、一度も頭になかった。
「申し訳ありません……知りませんでした」
「お気持ちは分かります。しかし規則ですので」
男性は一礼し、静かに店を後にした。
残された羊皮紙を見つめる。
私はゆっくり椅子へ腰を下ろした。
「……どうしよう」
数字を何度見直しても変わらない。
ヴェダー亭は繁盛している。
豚骨ラーメンを食べるために旅人が何日もトーカチーへ滞在するようになり、市場も以前より賑わっている。
宿屋の主人も「最近は部屋が足りないくらいだ」と笑っていた。
町全体は確かに豊かになっていた。
けれど。
ヴェダー亭の経営は決して楽ではない。
売り上げのほとんどは、小麦や豚肉、野菜、調味料の仕入れへ消えていく。
水車の建設にも協力し、新しい料理の研究にもお金を使った。
赤字ではない。
それでも手元へ残るお金は決して多くなかった。
この税額は、とても払える金額ではない。
「どうしよう……」
帳簿へ額を押し当てる。
その時だった。
カラン。
扉の鐘が静かに鳴った。
「こんにちは、昼営業は終わりですか?」
聞き慣れた穏やかな声だった。
「レオンさん」
金色の髪を揺らしながら、レオンが店へ入ってくる。
私の暗い表情を見るなり、小さく首を傾げた。
「今日は元気がありませんね」
「えっ? あ、いえ……」
慌てて笑顔を作る。
「ど、どうぞお入りください。ご注文は?」
レオンは木製のメニューを手に取り、にこりと微笑んだ。
「いももちをください」
「かしこまりました」
私は厨房へ向かう。
「いただきます」
茹でたジャガイモを潰し、コーンスターチを混ぜる。
丸く形を整え、熱した鉄板へ並べた。
ジュウッ。
香ばしい音が響く。
けれど今日は、手元へ意識が向かない。
頭の中は、あの税額ばかりだった。
「税金……」
もし払えなければ。
店はどうなるのだろう。
営業停止?
差し押さえ?
せっかくここまで育てたヴェダー亭が――。
「あっ!」
熱したフライパンへ、うっかり左手が触れた。
「熱っ!」
思わず手を引っ込める。
指先が赤くなり、じんじんと痛む。
「爽子さん!」
レオンがすぐに立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「す、すみません……」
慌てて水へ手を浸す。
レオンは近くの布を水で濡らし、そっと私の手へ巻いた。
「無理をしていますね」
「そんなこと……」
「料理中に火傷をする爽子さんは初めて見ました」
優しい声だった。
「何かありましたか?」
私は少し迷った。
けれど、胸の中へ溜め込んでいても仕方がない。
羊皮紙をレオンへ差し出した。
「税金……なんです」
レオンは静かに目を通す。
読み終えると、小さく息を吐いた。
「なるほど」
「私、この町の税の仕組みを知らなくて……」
俯く。
「払える金額じゃないんです」
レオンはしばらく考え込んでいた。
やがて顔を上げ、穏やかに微笑む。
「それは大変ですね」
「はい……」
「でしたら」
その碧い瞳が真っ直ぐ私を見る。
「父――公爵へ直談判してみましょう」
「えっ?」
思わず顔を上げる。
「ヴェダー亭が町へ与えた恩恵は計り知れません」
レオンは静かに続ける。
「旅人が増え、宿屋も市場も潤いました。税収そのものも以前より増えているはずです」
「……」
「事情を説明し、税の減免、あるいは町との折半ができないか相談してみます」
「公爵様に……ですか?」
「ええ」
レオンは力強く頷いた。
「困っている領民の声を届けるのも、私の役目ですから」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた胸の奥が少しだけ軽くなった。
私は赤くなった指先をそっと握りしめ、小さく頭を下げる。
「ありがとうございます、レオンさん」
レオンは照れたように笑いながら言った。
「その代わり」
「はい?」
「いももちが冷めてしまいます」
「あっ!」
私は慌てて鉄板へ向き直り、こんがりと焼き色のついたいももちをひっくり返した。
ジュウッという心地よい音が店内へ響き、少しだけ重苦しかった空気が、いつものヴェダー亭らしい温かな空気へ戻っていった。
お読みいただきありがとうございます
何か感じていただけたら ⭐︎ やブックマークで応援していただけると励みになります
Xのスペースにて連日12:00から13:00まで昼だ!小説を書いてもモチベが上がらないを開催中。
よろしければお立ち寄りくださいませ




