第72話 詰まる言葉
スープが静かに湯気を立てている。
私は木皿に炊きたてのご飯をよそう。
次に大きめの木皿に手羽先、人参、ジャガイモ、スイートコーンを彩りよく盛り付けた。
最後に黄金色のスープをゆっくりと注ぐ。
さらさらとしたスープから立ち上る香辛料の香り。
月桂樹の爽やかさ。
山うこんの深い香り。
火山唐辛子の刺激が鼻先をくすぐる。
「出来ました」
私は二人分の皿をテーブルへ運んだ。
「どうぞ」
テオは目の前の料理を見て瞬きを繰り返した。
「これは……」
「スープカレーです」
「カレー……」
初めて聞く名前を口の中で転がす。
スプーンを持ったまま、しばらく料理を眺めていた。
「食べ方は……?」
「ご飯と一緒に食べてもいいですし、スープだけ飲んでも美味しいですよ」
「なるほど」
テオは恐る恐るスプーンでスープをすくった。
一口。
静かに口へ運ぶ。
その瞬間、眼鏡の奥の目がゆっくりと見開かれた。
「……!」
もう一口。
今度は手羽先をほぐす。
骨からほろりと身が外れ、スープへ浸して食べる。
「美味しい……」
思わず漏れた声だった。
「香辛料が強いのに、野菜の甘みが負けていません」
「本当ですか?」
「はい」
テオは何度も頷く。
「後から身体がぽかぽか温かくなります」
「それがスープカレーなんです」
私もスプーンを持つ。
熱々のスープを一口。
ああ、この味。
懐かしい。
札幌で何度も食べ歩いたあの味とは少し違う。
でも、ちゃんと私のスープカレーになっていた。
「美味しい」
思わず笑みがこぼれる。
窓辺では深紅の薔薇が風に揺れている。
その隣ではヴェダーたちが葉っぱを揺らしながら手羽先の骨を興味深そうに眺めていた。
「ヴェダー」
「骨は食べられないよ」
「ヴェダー」
少し残念そうに葉っぱを垂らす姿に、私もテオも笑ってしまう。
笑い声が静かに店へ広がった。
けれど、そのあとだった。
不思議なくらい静かな時間が流れる。
カチャ。
スプーンが皿へ触れる音だけが響いた。
私は何度も窓辺の薔薇へ目を向ける。
深紅の花弁。
今日贈られたばかりの一輪。
(……今、話さなきゃ)
胸の奥で何度も言葉が浮かぶ。
私には離婚歴があること。
熊ちゃんという夫がいたこと。
その人は今も、ア・バーシリーの辺境伯として生きていること。
ちゃんと伝えなければ。
黙ったまま、この優しさを受け取ってはいけない。
私はスプーンを置いた。
「テオさん」
「はい」
優しい返事だった。
私は一度息を吸う。
「あの……私、お話ししなければいけないことがあるんです」
「なんでしょう」
真っ直ぐこちらを見つめる瞳。
私は視線を落とした。
「実は私……」
熊ちゃん。
その名前が喉元まで込み上げる。
その時だった。
「このスープ、本当に美味しいですね」
テオがふっと笑った。
子どものように嬉しそうな笑顔だった。
「こんな料理を考えられる人は、爽子さんしかいません」
その一言に、胸が締めつけられる。
違う。
そんなふうに見てくれる人だからこそ。
なおさら隠してはいけない。
そう思うのに。
笑顔を見てしまうと、言葉が喉で止まってしまう。
「私……」
唇が震える。
「……いえ」
結局、小さく首を振った。
「なんでもありません」
「そうですか?」
テオは不思議そうに首を傾げたが、それ以上は何も聞かなかった。
「また何か困ったことがあれば、いつでも相談してください」
「……はい」
その優しさが、今は少しだけ苦しかった。
私はスプーンを持ち直し、熱いスープを一口飲む。
身体は温まるのに、胸の奥だけが少し冷えたままだった。
窓辺では、深紅の薔薇が午後の風に揺れながら、静かに二人を見守っていた。
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