第69話 香辛料を買いに
ヴェダー亭の厨房で、私は腕を組んで考え込んでいた。
豚骨ラーメン。
ミネストローネ。
トンカツ。
いももち。
どれも町の人たちに喜んでもらえた。
けれど、北海道にはまだまだ美味しい料理がある。
「次は何を作ろうかなぁ」
「ヴェダー?」
葉っぱを傾げたヴェダーたちが、カウンターの上から私を見つめる。
その時だった。
保冷箱から人参を取り出した瞬間、ふと思い出す。
大きく切った人参。
ホクホクのジャガイモ。
骨からほろりと外れる鶏の手羽先。
さらさらとした香り高いスープ。
「……そうだ!」
私は手を打った。
「スープカレーにしよう!」
「ヴェダー!」
もちろん、この世界にカレーという料理はない。
辛い香辛料を料理へ使う文化もほとんどない。
香辛料は主に薬品として用いられている。
だからこそ驚いてもらえる。
異世界北海道に、新しい北海道の味を届けよう。
◇◇◇
籐の籠を片手に市場へ向かう。
夏の日差しが白樺を照らし、十勝川から吹く風が心地よい。
市場へ近付くにつれ、パンを焼く匂いやソーセージを炙る香りが漂ってきた。
「おはようございます」
「おっ、爽子ちゃん!」
八百屋のおばちゃんが笑顔で手を振る。
「今日は何を作るんだい?」
「まだ秘密です」
「また新しい料理かい?」
「はい」
そう答えると、おばちゃんは嬉しそうに笑った。
「じゃあ今日はいい野菜を持っていきな」
真っ赤な人参を一本持ち上げる。
人参は、
「キャー!」
と元気よく叫んだ。
「ごめんね」
私は苦笑しながら籠へ入れる。
続いて大きなジャガイモ。
こちらは相変わらず無口だった。
「助かるわ」
さらに、黄色く実ったスイートコーンを数本。
「いただきます」
葉を剥くと黄金色の粒がぎっしりと並んでいる。
「今年は甘いよ」
「ありがとうございます」
籠が少しずつ重くなっていく。
◇◇◇
次は肉屋。
「こんにちは」
「爽子ちゃん!」
肉屋の主人は包丁を置いて笑った。
「豚ロースのいいのが入っているよ!」
「今日は手羽先をください」
「手羽先?」
主人は少し首を傾げた。
「焼くのかい?それとも、煮るのかい?」
「そんな感じです」
主人は奥から立派な手羽先を抱えてきた。
「脂も程よく乗ってるぞ」
「これください」
紙へ包んでもらい、籠へしまう。
「また驚かせてくれる料理なんだろう?」
「ふふっ」
私は笑うだけにした。
◇◇◇
最後に訪れたのは香辛料屋だった。
木棚には大小さまざまな瓶が並び、鼻をくすぐる香りが漂っている。
「いらっしゃい」
白髭のおじいさんが微笑んだ。
「今日は何をお探しかな」
「辛い香辛料を探しています」
「辛い?」
棚から赤い実を取り出す。
「火山唐辛子」
黒い粒。
「黒胡椒」
乾燥した黄色い根。
「山うこん」
そして香りの強い葉。
「月桂樹」
私は一本一本香りを確かめた。
「これと……これも」
「ほう」
おじいさんは感心したように頷く。
「ずいぶん珍しい組み合わせだ」
「新しい料理を作るんです」
「爽子ちゃんが言うなら、きっと美味いんだろうな」
瓶を包みながら笑った。
◇◇◇
市場を歩いて帰る。
籠の中には、人参、ジャガイモ、スイートコーン、手羽先、そして香辛料。
どれも今日の主役たちだ。
ヴェダー亭へ戻ると、八匹のヴェダーが玄関まで迎えに来た。
「ヴェダー!」
「ただいま」
荷物をテーブルへ並べる。
色鮮やかな野菜が木の天板いっぱいに広がった。
私は香辛料の瓶を一つ手に取り、小さく蓋を開ける。
ふわりと立ち上る刺激的な香り。
思わず目を閉じた。
「懐かしい……」
熊ちゃんと二人で札幌のスープカレー屋を巡った休日。
休日限定の野菜カレー。
熱々のスープを飲みながら、「これ家でも作れないかな」と話したこと。
遠い記憶が一瞬だけ胸をよぎる。
でも、もう悲しくはなかった。
今はここが私の居場所。
ここで新しい料理を生み出していく。
私はエプロンをきゅっと結び直した。
「よし」
ヴェダーたちを見渡す。
「みんな、明日は町の人をびっくりさせようね」
「ヴェダー!」
葉っぱをぴんと立てた八匹は嬉しそうに飛び跳ねた。
窓の外では、十勝川の水車が今日もゆっくりと回っている。
明日は、この異世界で初めての『スープカレー』が生まれる日だった。
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新しいメニューがヴェダー亭に生まれます




