第43話 初めてのお客様
「ヴェダー亭……ここでラーメンとやらが食えるのか?」
窓を拭いていると、恰幅の良い肉屋のご主人が奥さんと連れ立って店を訪れた。
手には油紙に包んだ塊肉を抱え、目尻に深い皺を寄せて笑っている。
「ヴェダー……」
ヴェダーたちは慌てて私の足元へ隠れ、葉っぱを揺らしながら二人を見上げていた。
「大丈夫よ、お客様だから」
「ヴェダー」
安心したように葉っぱを一度だけ揺らす。
私は手を洗い、玄関へ向かった。
「こんにちは、いらっしゃいませ」
「おう」
肉屋のご主人は照れくさそうに油紙を差し出す。
「これは店の開店祝いだ。よかったら使ってくれ」
「えっ?」
受け取ると、ずっしりと重い。
包みを少し開けると、見事な豚ロースの塊肉が顔を覗かせた。
「あっ……!」
「いつも肩ロースばかり買っていくだろ?」
ご主人が笑う。
「たまには違う部位も使ってみると面白いと思ってな」
「ありがとうございます!」
思わず頭を下げる。
「助かります!」
「なあに、商売繁盛のおまじないみたいなもんさ」
隣で奥さんも優しく笑った。
「頑張ってね」
「はい!」
胸がじんわり温かくなる。
異世界でお店を開いて、お祝いをもらえる日が来るなんて思ってもみなかった。
「さあ、どうぞどうぞ!」
私は椅子を引き、二人を窓際の席へ案内する。
すると。
「おや?」
奥さんが窓辺を見て目を丸くした。
「あなた」
「ああっ!」
ご主人も驚いた声を上げる。
「……森の妖精じゃないか!」
「初めて見た!」
「ジュリッ」
シマエナガは首を傾げながら、小さく鳴いた。
怖がる様子もなく、窓辺で羽繕いをしている。
「この子、爽子さんが飼ってるのかい?」
「飼っているというより、一緒に暮らしています」
「信じられん……」
ご主人は感心したように腕を組む。
「森の妖精は人前には姿を見せないって聞いてたぞ」
「怪我をしていたところを助けたんです」
「なるほどなぁ」
奥さんは嬉しそうにシマエナガを眺めていた。
「ふわふわで可愛いねぇ」
「ジュリ」
褒められて嬉しいのか、シマエナガは羽を少し膨らませる。
「それじゃあ」
私はエプロンの紐を結び直した。
「ラーメンを作りますね」
「おう!」
ご主人が勢いよく頷く。
「肉屋をやってるからな。豚骨ってやつがどんな料理になるのか楽しみで仕方なかった」
「私も楽しみ」
奥さんも笑顔だ。
私は厨房へ立つ。
新しく焼き上がった丼を並べる。
寸胴鍋の蓋を開けると、白い豚骨スープから湯気が立ち上った。
麺を茹でる。
チャーシューを切る。
ねぎを刻む。
一つ一つ、いつも以上に丁寧に。
初めてのお客様だから。
いや。
私のお店を応援してくれる、大切なお客様だから。
「お待たせしました」
二つの丼を運ぶ。
白い湯気がふわりと立ち上る。
「おお……」
ご主人の目が大きく開く。
「これがラーメンか」
「綺麗だねぇ」
奥さんもうっとりと見つめる。
艶やかなチャーシュー。
刻みねぎ。
黄金色の卵麺。
乳白色の豚骨スープ。
二人はしばらく眺めていた。
「冷めないうちにどうぞ」
「いただきます」
まず、ご主人がれんげでスープをすくう。
一口。
その瞬間。
「……おい」
奥さんへ顔を向ける。
「先にスープを飲め」
「え?」
「いいから」
奥さんも不思議そうにれんげを口へ運ぶ。
一口。
そして二人とも動きが止まった。
「……」
店の中が静かになる。
ヴェダーたちも固唾を呑んで見守っている。
やがて。
「なんだ、これは……」
ご主人が小さく呟いた。
「豚だ」
もう一口飲む。
「豚なのに臭くない」
「それどころか甘いね」
奥さんが驚いたように言う。
「口当たりがとても優しい」
「骨からこんな味が出るのか」
ご主人は信じられないという顔でスープを見つめた。
「肉屋を何十年もやってきたが、こんな食べ方は考えたこともなかった」
今度は麺を持ち上げる。
ふうふうと息を吹きかけて口へ運ぶ。
ずるっ。
「おお!」
思わず声が漏れる。
「この麺、面白い!」
もちもちとした食感に、ご主人の頬が緩む。
「スープがよく絡んでくるぞ」
「本当ね」
奥さんも夢中になって麺をすすった。
「食べるたびに味が変わるみたい」
「変わる?」
「最初は小麦の香り。それから豚骨の旨味。最後にねぎがさっぱりさせてくれる」
ご主人はチャーシューを一枚口へ入れる。
ほろり。
肉がほどける。
「この肉も美味い!」
嬉しそうに笑う。
「うちの豚が、こんな料理になるとはなぁ」
「柔らかいねぇ」
奥さんも何度も頷いた。
「口の中で溶けちゃう」
二人はそれから夢中だった。
言葉を交わすことも忘れ、麺をすすり、スープを飲む。
やがて。
最後の一滴まで飲み干すと、ご主人はどんぶりをそっと置いた。
「……参った」
「え?」
「肉屋のわしが言うのも何だが」
照れくさそうに笑う。
「今日から豚骨を見る目が変わっちまう」
奥さんも空になったどんぶりを見つめながら微笑んだ。
「食べる前より、なんだか幸せな気持ちになってる」
その言葉に、私は胸がいっぱいになった。
ご主人は腕を組み、大きく頷く。
「爽子さん」
「はい」
「このラーメンは流行る」
力強い声だった。
「明日、うちへ肉を買いに来る客みんなに話してやる。」
私は驚いて目を見開く。
「本当ですか?」
「もちろんだ」
ご主人は豪快に笑った。
「こんな美味いもんを、この町の連中に食わせないなんてもったいねぇからな!」
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