第37話 森の妖精の正体
コポコポコポ……。
食後のコーヒーを淹れる。
コーヒーといっても、どんぐりを焙煎した、どんぐりコーヒーだ。
本物のコーヒー豆とは違い、苦味は少ない。
代わりにナッツや炒ったお米を思わせる、香ばしく優しい香りがある。
森林の多い十勝ならではの味わいだ。
私は麻布で作った小さな袋へ粉を入れ、ゆっくりとお湯を回しかける。
コポコポ。
細かな泡が立ち、茶色い雫が一滴ずつ落ちていく。
部屋いっぱいに、ほっとする香りが広がった。
「テオさん、お砂糖は入れますか?」
「私は入れません」
「わかりました」
私はカップを二つ用意し、静かに注ぐ。
カチャ。
テオの前へそっと置いた。
テオは両手でカップを包むように持ち、大きく息を吸う。
「いい香りです」
「そうですか」
嬉しくなって少し笑う。
そういえば網走では、港が近かったせいか貿易品が多かった。
ギルが淹れてくれたのは、本物のコーヒー豆だった。
深い苦味と甘い香り。
あれは本当に美味しかった(砂糖が山盛りでなければ)。
もしテオがあのコーヒーを飲んだら、きっと驚くだろう。
そんなことを考えていると。
「ジュリッ」
窓の外から聞き慣れた声がした。
白い大きな顔が、ひょこっと窓から覗く。
「おはよう……じゃなかった」
私は笑う。
「コーヒーの匂いにつられてきたの?」
「ジュリ」
シマエナガは嬉しそうに鳴いた。
その姿を見た瞬間だった。
カップを持っていたテオの手が止まる。
「……これは」
銀縁眼鏡の奥の目が大きく見開かれた。
「森の妖精ですね……」
「え?」
私は思わず聞き返す。
「森の妖精?」
「はい」
テオは立ち上がり、ゆっくり窓へ近付いた。
シマエナガは警戒する様子もなく首を傾げる。
「ジュリ?」
「こんな近くで見るのは初めてです」
テオは静かに呟いた。
「とても珍しい鳥です」
「珍しいんですか?」
「ええ」
頷く。
「人を嫌い、原生林のさらに奥深くで暮らしています」
「そうだったんだ」
私はシマエナガを見る。
そういえば、最初に出会ったのもブナの原生林だった。
怪我をしていなければ、きっと今でも森の奥で暮らしていたのだろう。
テオは感心したように続ける。
「人前へ姿を現すことは滅多にありません」
「へぇ」
「森へ何十年入っても、一度も見たことがない猟師もいるくらいです」
「そんなに?」
「はい」
私は窓辺で羽繕いをしているシマエナガを見る。
「全然そんな感じしないけど」
「ジュリ」
シマエナガは呑気に羽を整えていた。
テオはその姿をじっと観察する。
頭の先から尾羽まで。
何かを確かめるように。
しばらく見つめてから、小さく呟いた。
「……かなり大きいですね」
「え?」
「普通は手のひらより小さいはずです」
私はシマエナガを振り返った。
「確かに......」
テオはゆっくり頷く。
「伝承では」
一度言葉を区切る。
「森の妖精は長い年月を生きると、少しずつ大きくなるそうです」
「大きく?」
「はい」
私は思わずシマエナガと目を合わせた。
「ジュリ?」
本人は全く気にしていない。
「どれくらい大きくなるんですか?」
私が尋ねると、テオは真面目な顔で答えた。
「小熊くらいです」
「こっ、小熊!?」
思わず大きな声が出た。
ヴェダーたちまでびくっと肩を震わせる。
「ヴェダー!?」
「本当です」
テオは静かに頷いた。
「古い文献にも残っています」
「小熊って……そんなに?」
私はもう一度シマエナガを見る。
そういえば。
最近、庭の白樺から。
ミシッ。
ボキッ。
そんな音を何度か聞いた。
風だと思っていたけれど。
「まさか……」
シマエナガは枝へ飛び乗る。
ミシッ。
やっぱり鳴った。
「あっ」
よく見ると、以前より身体が一回り大きい気がする。
「気のせいじゃなかったんだ」
私はぽつりと呟いた。
テオは少し笑う。
「上田さんによく懐いていますから」
「え?」
「安心して栄養を取れているのでしょう」
「そうなのかな」
シマエナガは嬉しそうに「ジュリッ」と鳴いた。
テオはさらに続ける。
「そして、もう一つ伝承があります」
「まだあるんですか?」
「はい」
少しだけ表情を和らげる。
「十分に成長した森の妖精は、人を背中へ乗せて空を飛ぶと言われています」
「……え?」
私は固まった。
「人を?」
「はい」
「空を?」
「はい」
あまりにも当たり前のように答えるので、思わずシマエナガを見る。
白いふわふわの身体。
丸い黒い瞳。
首を傾げて「ジュリ?」と鳴いている。
その背中へ乗って空を飛ぶ自分の姿を想像してみる。
「……本当に?」
「伝承ですから、実際に見た者はほとんどいません」
テオは苦笑した。
「ですが、森の妖精は森を守る精霊の使いとも言われています」
「精霊の使い……」
私はそっとシマエナガの頭を撫でた。
ふわふわの羽毛が指先をくすぐる。
「ジュリ」
気持ちよさそうに目を細める。
この子が、いつか私を乗せて空を飛ぶ日が来るのだろうか。
そんなことを考えると、胸の奥が少しだけわくわくした。
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シマエナガは実は森の妖精でした
成長したら爽子を乗せて飛べるのかな......。




