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異世界北海道 夫を探して異世界へ来たら、夫にはもう妻がいました ~食堂酒場を開き、幸せになります~  作者: 雫石しま


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第35話 テオ、豚骨ラーメンを食す

「どうぞ召し上がれ」


 私は湯気の立つ深めの器を、そっとテオの前へ置いた。


 乳白色の豚骨スープ。


 黄金色の卵麺。


 刻みねぎ。


 湯気と一緒に、豚骨の濃厚で香ばしい香りがふわりと店内へ広がる。


 向かいに座ったテオは、生まれて初めて見る料理を前に、すっかり体をこわばらせていた。


「これは……なんですか?」


 銀縁眼鏡の奥の視線は、器に釘付けになっている。


 右手にはフォーク。


 その先が、かすかに震えていた。


「豚骨ラーメンです」


「豚骨……?」


 聞き慣れない言葉を口の中で繰り返す。


「豚の……骨ですか?」


「はい!」


 私が元気よく頷くと。


 みるみるうちにテオの顔色が青くなった。


 その表情は、まるで私が魔女で、何か禍々しい秘薬でも勧めているかのようだ。


「骨を……食べるのですか?」


「違います、違います」


 私は慌てて首を振った。


「骨は食べません。骨から出汁を取ったスープなんです」


「出汁……」


「骨の旨味だけをいただくんです」


 テオは恐る恐るどんぶりを覗き込んだ。


 白く濁ったスープ。


 細く縮れた黄色い麺。


 どう見ても、この世界では見たことのない料理だ。


 その横では七匹のヴェダーたちが、椅子の上へ並んで様子を見守っている。


「ヴェダー」


 シマエナガまで窓辺から首を伸ばしていた。


 まるで全員がテオの反応を楽しみにしているようだった。


「美味しいですよ?」


 私は笑顔で言う。


「冷めないうちに食べてみてください」


「……はい」


 テオは小さく頷いた。


 まず、どんぶりへ顔を近付ける。


 すうっと香りを吸い込む。


 その瞬間だった。


「あ……」


 ほんの少しだけ表情が変わる。


 最初の警戒した顔ではない。


 目を閉じ、ゆっくりと香りを確かめている。


 豚骨の甘い香り。


 小麦の香り。


 ねぎの爽やかな香り。


 全部が混ざり合い、湯気と一緒に立ち上っていた。


「……いい香りです」


「でしょう?」


 私は少しだけ胸を張る。


 テオは恐る恐るフォークを麺へ差し入れた。


「これは、どうやって食べるのですか?」


「あっ」


 そうだった。


 この世界には箸がない。


 私は急いで厨房から二本の細い木の棒を持ってきた。


「本当は、こういう道具で食べるんです」


「二本……ですか?」


「はい」


 簡単に持ち方を教える。


 テオはぎこちなく指を動かした。


「難しいですね」


「最初はみんなそうですよ」


 何度か挑戦するけれど、麺はつるりと逃げてしまう。


 その様子を見てヴェダーたちが楽しそうに笑っていた。


「ヴェダー!」


「今日はフォークでも大丈夫ですよ」


「ありがとうございます」


 少し安心したように笑う。


 フォークで麺を巻き取る。


 湯気が立ちのぼる。


 ふう、と一度息を吹きかける。


 そして。


 ゆっくり口へ運んだ。


 ちゅるっ。


 もちもちとした卵麺を噛む。


 その瞬間。


 テオの動きが止まった。


「……」


 目が大きく見開かれる。


 もう一口。


 今度はゆっくり噛む。


 豚骨スープをたっぷり吸った麺の旨味が、口いっぱいに広がっていく。


「これは……」


 小さく呟く。


「美味しいです」


 私は思わず笑顔になった。


「本当ですか?」


「はい」


 今度はスプーンを手に取る。


 白いスープをすくう。


 まだ少し警戒している様子だったけれど、思い切って口へ運んだ。


 一口。


 二口。


 そのまま目を閉じる。


「……甘い」


 ぽつりと漏らす。


「骨なのに……こんな味になるんですね」


「時間をかけて炊いたんです」


「信じられません」


 テオは何度もスープを口へ運ぶ。


 さっきまでの緊張は、もうどこにもなかった。


 麺を食べ。


 またスープを飲む。


 夢中だった。


 ヴェダーたちも嬉しそうに葉っぱを揺らしている。


「ヴェダー!」


 シマエナガも「ジュリッ」と鳴いた。


 気付けば、どんぶりの中には麺が一本も残っていなかった。


 テオは最後にスプーンを持ち上げる。


 底へ残った白いスープを静かにすくった。


 こくり。


 最後の一滴まで飲み干す。


 そして、ふぅっと満足そうに息を吐いた。


 しばらく空になったどんぶりを見つめていたが、やがて顔を上げる。


「上田さん」


「はい」


「もう一杯……いただけませんか?」


 一瞬きょとんとした私は、思わず吹き出してしまった。


「あははっ」


 それが何より嬉しい感想だった。


「もちろんです」


 私は立ち上がり、グツグツと沸騰する大鍋の麺籠へ卵麺をパラパラと振り入れた。


 熱湯の中で卵麺がゆっくりと踊る。


 寸胴鍋の蓋を開ける。


 白い湯気が、もう一度ふわりと厨房いっぱいに広がった。


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