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異世界北海道 夫を探して異世界へ来たら、夫にはもう妻がいました ~食堂酒場を開き、幸せになります~  作者: 雫石しま


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第32話 異世界初の豚骨スープ

 次はスープだ。


 札幌ラーメンの命。


 麺ができても、スープがなければ始まらない。


 私は市場を何軒も歩き回った。


 乾物屋。


 調味料屋。


 保存食を扱う露店。


 樽が並ぶ店を見つけるたび、中を覗いて回る。


「すみません、味噌はありますか?」


 どのお店でも返ってくるのは同じ答えだった。


「ミソ?」


 首を傾げられる。


 醤油は売っている。


 塩もある。


 香辛料も種類が豊富だ。


 けれど、肝心の味噌だけが見当たらない。


 樽の蓋を開けても、あの麹独特の甘い香りはどこにもなかった。


「味噌に代わるものは……おいおい考えよう」


 私は肩をすくめる。


 ないものは仕方がない。


 まずはスープそのものを完成させよう。


 味噌はその後でも遅くない。


 肉屋へ向かう。


 店先には立派な豚肉がずらりと並んでいた。


「ゲンコツをください、あと背脂も......」


「えっ、こんなゴミ屑が欲しいのかい?」


「はい」


 やっぱりこの世界では、骨や野菜の切れ端は『ゴミ』として捨てられる。


 おじさんは不思議そうに、大きな骨をいくつも紙へ包んでくれた。


「タダでいいよ」


「えっ!いいんですか!?」


「もともと捨てるゴミだ、また欲しくなったらおいで」


「ありがとうございます!」


 二キログラムの豚ゲンコツ。


 籠へ入れると、ずしりと腕へ重みが伝わる。


「重い……」


 でも、この重さが美味しいスープになる。


 私は少し嬉しくなった。


 あとは、長ネギと生姜、ニンニクも忘れずに。八百屋の店先で長ネギを手に取ると、「くすんくすん」と泣き出した。


「ごめんね、大事に食べるからね。いただきます」


 すると長ネギたちは静かになった。



 ◇◇◇



 ヴェダー亭へ戻る。


 厨房へゲンコツを並べる。


 ゴトン。


 ゴトン。


 まな板の上へ骨を置くたび、鈍い音が響いた。


 まだ赤い血が滲み、独特の獣臭さが漂う。


 初めて見る光景だったのだろう。


 ヴェダーたちは椅子の陰へ隠れて震えていた。


「ヴェダー……」


 一匹は葉っぱだけ出して覗いている。


 もう一匹はシマエナガの羽毛へ顔を埋めてしまった。


 シマエナガも興味津々らしく、首を左右へ傾けている。


「ジュリ?」


「大丈夫よ」


 私は笑う。


「これはね、美味しいスープになるの」


「ヴェダー……」


 まだ半信半疑らしい。


 私は包丁を握った。


 ゲンコツを関節に沿って半分へ割る。


 コツン。


 ゴン。


 骨の中から赤い髄が顔を覗かせた。


 普通なら一晩水へ浸けて血抜きをする。


 でも私はそうしない。


「全部旨味だからね」


 熊ちゃんから教わったやり方だった。


 そのまま野菜と一緒に大鍋へ入れる。


 たっぷりの水を張る。


 火を点ける。


 しばらくすると。


 ふつふつ。


 小さな泡が立ち始めた。


 灰色のアクが次々と浮かんでくる。


「アクを取って……っと」


 網杓子で丁寧に掬う。


 一杯。


 二杯。


 三杯。


 掬っても掬っても浮いてくる。


 根気のいる作業だ。


 厨房には少しずつ豚骨の香りが広がり始める。


 決して良い匂いではない。


 けれど私には懐かしい匂いだった。


 ラーメン屋だった頃、毎日嗅いでいた匂い。


「熊ちゃんも、こんな顔してアク取ってたな」


 思わず笑みがこぼれる。


 弱火でことこと煮込み続ける。


 急ぐ必要はない。


 美味しいスープは時間が作る。


 私は火加減を確認すると、店先の掃き掃除を始めた。


 落ち葉を集める。


 石畳を掃く。


 ヴェダーたちも小さな箒を持って真似をする。


「ヴェダー!」


「ありがとう」


 掃除が終わると、今度は看板へ青いペンキを塗った。


 白木だった文字が鮮やかな青に染まっていく。


 少しずつ、本当に店らしくなってきた。


 井戸へ向かう。


「元気?」


「ヒィ……」


 今日も精霊は小さく返事をした。


 桶で冷たい水を汲み、手を洗う。


 豚骨の脂がさっぱり落ちる。


 空を見上げると、西日が庭を赤く染め始めていた。


「そろそろかな」


 私は厨房へ戻る。


 すると。


 鍋の周りへ七匹のヴェダーがぎゅうぎゅうに集まっていた。


「ヴェダー」


「ヴェダー」


 蓋の隙間から立ち上る湯気を、不思議そうに眺めている。


「危ないよ」


 一匹ずつ抱き上げる。


「葉っぱが燃えちゃうよ」


「ヴェダー」


 床へ下ろされると、少し名残惜しそうに鍋を見つめていた。


「さて」


 私は鍋の蓋を開ける。


 ふわり。


 白い湯気が一気に立ち上る。


 中を覗く。


「うん」


 いい具合だ。


 骨の周りの肉はほろりと崩れ始め、筋も柔らかくなっている。


 私はそれらを大きな寸胴鍋へ移した。


 さらに刻んだ背脂も加える。


「ここからが勝負」


 火力を強める。


 グツグツ。


 グツグツ。


 鍋全体が大きく沸き立つ。


 乳白色のスープにするためには、ここから一気に炊き上げなければならない。


「スープが白くなるまで、我慢我慢」


 私は木べらを握る。


 骨についた肉。


 軟骨。


 髄。


 全部が溶け込むように、ひたすら炊く。


 まるで火山の噴火口みたいだった。


 ぐらぐら。


 ぼこぼこ。


 激しく泡が弾ける。


 水はどんどん減っていく。


「おっと」


 減った分だけ新しい水を足す。


 鍋底は焦げやすい。


 木べらで底からゆっくり混ぜる。


 また炊く。


 また混ぜる。


 その繰り返し。


 気付けば窓の外は薄暗くなっていた。


 私はランプへ火を灯す。


 橙色の灯りが厨房を優しく照らした。


 グツグツ。


 グツグツ。


 規則正しい音だけが部屋へ響く。


 最初は興味津々だったヴェダーたちも、さすがに退屈したらしい。


 一匹。


 また一匹。


 巨大なシマエナガのふわふわの羽毛へ寄りかかる。


「ヴェダー……」


 そのまま目を閉じてしまった。


 シマエナガも動かない。


「ジュリ……」


 優しく羽を広げ、七匹を包む。


 白い羽毛の中から葉っぱだけが並んで見えていた。


「ふふっ」


 私は小さく笑う。


「みんな、おやすみ」


 再び鍋へ向き直る。


 中を見ると、背脂はすっかり溶け、骨の髄も抜け切っていた。


 残っているのは真っ白になった骨だけ。


「できた」


 寸胴を火から下ろす。


 大きなザルを用意し、ゆっくりとスープを濾していく。


 さらり、と乳白色の液体が鍋へ落ちる。


 湯気の向こうに、なめらかな白いスープが現れた。


 私は木杓子ですくい、一口だけ口へ運ぶ。


 優しい豚の甘み。


 骨の旨味。


 じんわりと身体へ染みる深いコク。


「うん……」


 思わず頷く。


「これは、美味しい」


 異世界で初めて炊き上げた豚骨スープが、静かに完成した。


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