第25話 ブナの原生林
「朝のお散歩、行こうか?」
朝食を食べ終えると、私は籐のカゴを手に取った。
今日は店を開ける前に、森へ食材探しに行く予定だ。
厨房の窓を開けると、朝の澄んだ空気がふわりと流れ込んできた。
椎木の葉では小鳥たちが楽しそうにさえずっている。
チョボたちは鶏小屋の中で朝ご飯をついばんでいた。
「コッコッ」
「今日も元気ね」
チョボが首を傾げる。
その横では新しく迎えた雌鶏たちが仲良く土をつついている。
雄鶏は相変わらず胸を張り、頼もしそうに群れを見守っていた。
「ヴェダー!」
玄関の前では七匹のヴェダーたちがぴょんぴょん跳ねている。
昨日まで五匹だったはずなのに、いつの間にか七匹。
どこから増えたのか、今でも謎のままだ。
本人たちに聞いても。
「ヴェダー!」
としか返ってこない。
「まあ、いいか」
私は苦笑する。
この世界には不思議なことが多すぎる。
今さら驚いても仕方がない。
「さあ、出発!」
七匹のヴェダーたちが一斉に葉っぱを揺らした。
◇
店の裏手にある白樺の林を抜ける。
朝露をまとった草が足元で揺れた。
昨日歩いた道をさらに奥へ進む。
そこには、今まで見たこともない景色が広がっていた。
ブナの原生林。
何百年も生きてきたような大木が空を覆い、枝葉の隙間から柔らかな木漏れ日が降り注いでいる。
地面には朽ちた倒木が何本も横たわり、その上には鮮やかな苔がびっしりと生えていた。
「すごい……」
思わず見上げる。
空気まで違う。
少しひんやりしていて、土の匂いが濃い。
鳥の声も白樺林とは違って聞こえた。
昨日、市場の八百屋のおじさんが教えてくれた。
『朝早く行けばなめこが採れるぞ』
『エゾシカも食べに来るくらいうまいんだ』
「きのこ!」
私は思わず声を弾ませる。
日本にいた頃も秋になると熊ちゃんと山へ入って、きのこ採りをしたことがある。
あの頃は競争だった。
「爽ちゃん、それ毒きのこ!」
「えっ?」
「危ない危ない」
なんて笑いながら歩いたっけ。
少しだけ胸が温かくなる。
「新鮮ななめこが採れるよ、って言ってたもんね」
私は籐のカゴを抱え直した。
その時。
サササッ。
茂みが揺れる。
顔を上げると、一頭のエゾシカがこちらを見ていた。
立派な角。
大きな耳。
朝霧の中に溶け込むような茶色い毛並み。
目が合う。
ぴょん。
軽やかに跳ねると、そのまま森の奥へ消えていった。
「綺麗……」
思わず見惚れる。
ヴェダーたちはその後ろを追い掛けようとしていた。
「だめ!」
「ヴェダー」
しょんぼり戻ってきた。
「迷子になっちゃうでしょ」
私は笑いながら先へ進む。
やがて一本の倒木の前で立ち止まった。
表面には苔。
そして。
「あった!」
思わず声が弾む。
艶々とした茶色い傘。
ぷっくりと丸いなめこが、木の根元へぎっしりと並んでいた。
朝露をまとって宝石みたいに輝いている。
なんだか笑っているようにも見えた。
「いただきます」
私は自然と手を合わせる。
命をいただく。
それは日本にいた頃から変わらない。
根元へそっと手を添える。
ぷちっ。
「キャッ!」
小さな悲鳴が聞こえた。
「あっ」
思わず手を止める。
なめこが小さく震えている。
けれど。
すぐ静かになった。
「ごめんね」
私は頭を下げる。
「美味しく食べるからね」
籠へ優しく入れていく。
ヴェダーたちも夢中になってなめこを採り始めた。
「ヴェダー!」
「そっちは違うよ」
毒きのこらしきものまで抱えてくる。
「それは駄目」
「ヴェダー……」
残念そうに戻していた。
一匹はなめこのぬめぬめで転ぶ。
「ヴェッ!」
ぺたん。
身体中べたべた。
他のヴェダーが笑うように葉っぱを揺らす。
「もう」
私まで笑ってしまう。
その時だった。
「ヴェダ!」
一匹が大きな声を上げた。
今まで聞いたことのない慌てた声だった。
「どうしたの!?」
私は慌てて駆け寄る。
「大丈夫!?」
ヴェダーたちは一か所を見上げて固まっている。
私も視線を向ける。
「え……」
そこには。
倒木の向こうに。
真っ白なふわふわの塊が転がっていた。
「何これ!?」
雪玉?
違う。
近付くにつれ形が見えてくる。
丸い身体。
黒くて小さな嘴。
つぶらな黒い瞳。
黒い羽。
黒い尾羽。
まるで。
「シマエナガ?」
私は目を丸くした。
日本で見たシマエナガによく似ている。
でも。
全然違う。
大きい。
あまりにも大きい。
犬くらいある。
ふわふわの羽毛が風に揺れるたび、雪の塊が呼吸しているみたいだった。
「か……かわいい」
思わず呟いてしまう。
ふわふわ。
もこもこ。
抱き締めたら気持ちよさそう。
そんなことまで考えてしまう。
でも。
「……あれ?」
私は羽を見る。
白い羽毛の間に赤いものが見えた。
羽が乱れている。
傷だ。
枝か何かで切ったのだろうか。
少し血が滲んでいた。
「痛そう……」
胸が締め付けられる。
「大丈夫?」
私はできるだけゆっくり近付いた。
驚かせないように。
優しく声を掛ける。
「怖くないよ」
そっと手を伸ばす。
その瞬間。
巨大なシマエナガは羽をふわりと膨らませた。
丸い身体がさらに二回りくらい大きく見える。
「ジジジジ……!」
小さな身体からは想像もできない低い威嚇音が森へ響いた。
七匹のヴェダーたちが一斉に私の後ろへ隠れる。
葉っぱだけがぴょこぴょこ揺れていた。
私は伸ばした手を止め、その黒い瞳をじっと見つめ返した。
「ごめんね」
静かに微笑む。
「助けたいだけなんだよ」




