第22話 よろしくね、ヴェダー
「ヴェダー……」
その生き物は、小さな両手でピザを抱えたまま私を見上げた。
つぶらな黒い瞳。
毬藻みたいに丸い身体。
頭には一枚だけ、フキの葉によく似た葉っぱが揺れている。
そして。
「上田?」
首をこてんと傾げる。
「……ヴェダー」
か細く甲高いその声。
聞き間違えるはずがなかった。
白樺の林で。
井戸の近くで。
店の二階で。
夜中に何度も私を呼んでいた、あの不思議な声だった。
「あなたが……」
私は思わず目を丸くする。
「ずっと私を呼んでいたの?」
「ヴェダー」
返事なのかどうか分からない。
でも小さく葉っぱを揺らした。
その仕草が、どこか嬉しそうにも見える。
「もしかして……」
皿を見る。
最後の一切れだったピザ。
パンが消えた朝。
昨日の夜。
「パンを食べたのも、あなた?」
「ヴェダー!」
元気よく返事をした。
どうやら隠すつもりはないらしい。
私は思わず苦笑した。
「やっぱりそうだったんだ」
パン泥棒の正体は、この小さな子だった。
怒る気持ちは、不思議と湧いてこない。
それどころか、胸の中にあった得体の知れない恐怖が、すうっと消えていく。
幽霊じゃなかった。
化け物でもない。
ちゃんと食いしん坊の正体がいたのだ。
「……あれ?」
その時だった。
キッチンカウンターの陰で何かがもぞもぞと動く。
ひょこっ。
また一匹。
さらに、ひょこっ。
もう一匹。
続けて二匹。
合計四匹の丸い生き物が、おずおずと姿を現した。
「えぇっ!」
私は思わず声を上げる。
「一匹じゃなかったの?」
物陰から、わらわらと現れる小さな緑色の丸い身体。
全部で五匹。
みんな頭には大きなフキの葉。
細い手足を一生懸命動かして歩いてくる。
「ヴェダー」
「ヴェダー」
「ヴェダー」
口々に鳴きながら、残っていたピザへ集まっていく。
そして。
まるで相談でもしたように、一切れを五等分にちぎり始めた。
「えっ」
私は目を瞬かせる。
ちゃんと分けるんだ。
喧嘩しない。
一匹が独り占めもしない。
みんなで仲良く、小さな両手に持つ。
そのまま隣のテーブルへぴょこんと飛び乗った。
そして。
もぐもぐ。
むしゃむしゃ。
一心不乱に食べ始める。
チーズがびよーんと伸びる。
トマトソースが口の周りへべったり付く。
「ヴェダー!」
「ヴェダー!」
嬉しそうに身体を揺らしている。
その姿があまりにも可愛らしくて、私は笑いを堪えられなかった。
「美味しい?」
「ヴェダー!」
「ヴェダー!」
五匹揃って元気よく返事をする。
意味は分からない。
でもきっと「美味しい!」と言っているのだろう。
ドワーフの青年たちも、呆然とその様子を眺めていた。
「なんだありゃ」
「初めて近くで見たぞ」
一人が髭を掻きながら言う。
「この子たち、何?」
私は青年たちへ尋ねた。
「知ってる?」
青年たちは顔を見合わせる。
そして一番年上らしい青年が答えた。
「ヴェダーだよ」
「ヴェダー?」
「森の奥に住む小人みたいな奴さ」
腕を組んで続ける。
「人間が寝てる間にパンを盗んだり、洗濯物を隠したり、畑を荒らしたりな」
「いたずら好きで有名なんだ」
隣の青年も苦笑する。
「厄介者さ」
「……そうなんだ」
私は五匹を見る。
ピザを食べ終わると、今度は皿に残ったチーズを小さな指で一生懸命集めている。
夢中になり過ぎて、一匹が椅子からころんと転げ落ちた。
「ヴェッ」
他の四匹が慌てて駆け寄る。
みんなで身体を押して起こしてあげている。
「……」
私は自然と笑顔になった。
こんな子たちが、本当にそんな悪い子なんだろうか。
もちろんパンは盗まれた。
ピザも食べられた。
でも。
悪意は感じない。
ただ、お腹が空いていただけ。
そんな風にしか見えなかった。
「上田……」
一匹が私を見上げる。
「ヴェダー」
「上田」
「ヴェダー」
何度も繰り返す。
「……あ」
私は思わず声を漏らした。
「似ているから?」
「ヴェダー!」
葉っぱをぴこぴこ揺らす。
「上田」と「ヴェダー」。
確かに響きが少し似ている。
だから私を呼んでいたのだろうか。
白樺林でも。
店でも。
ずっと。
あれは怖がらせようとしていたんじゃない。
私の名前を覚えようとしていただけなのかもしれない。
「もう」
思わず笑ってしまう。
「怖がらせないでよ」
「ヴェダー」
五匹揃って首を傾げる。
悪気なんて少しもなさそうだった。
私はゆっくりしゃがみ込む。
五匹と目線が同じ高さになる。
よく見ると、身体は苔のようにふわふわしていて、とても柔らかそうだ。
大きな黒い瞳がじっと私を見つめている。
「こんにちは」
私はにっこり笑った。
「よろしくね」
すると五匹は顔を見合わせる。
そして。
頭のフキの葉をふわふわと左右へ揺らした。
「ヴェダー」
「ヴェダー」
「ヴェダー」
意味は分からない。
表情もほとんど変わらない。
それでも。
その小さな声は、どこか優しく聞こえた。
店の中へ温かな空気が流れる。
ドワーフの青年たちも肩をすくめて笑った。
「お嬢さんらしいな」
「普通なら追い払うのに」
「まあ、その子たちも気に入ったんだろう」
「椎木の家に人が戻るのを待ってたのかもしれん」
私は店の中を見回した。
この空き家。
私が来る前は、ずっと誰も住んでいなかった。
寂しい店だった。
でも、その間ずっと、この子たちはここで暮らしていたのかもしれない。
だったら。
私が後から来た住人だ。
「これからは仲良く暮らそうね」
「ヴェダー!」
五匹が一斉に葉っぱを揺らす。
その横では、チョボが興味津々と近寄ってきた。
「コケッ?」
一匹のヴェダーが恐る恐るチョボをつつく。
チョボも首を傾げる。
しばらく見つめ合ったあと、チョボは何事もなかったように「コッ」と鳴いた。
その瞬間、ヴェダーたちは嬉しそうに飛び跳ねた。
私は思わず吹き出す。
こうしてヴェダー亭は、店の名前と同じ名を持つ五匹のヴェダーと、卵を産むチョボが暮らす、ますます賑やかな食堂酒場になったのだった。




