お別れの日
北部の都の城門は魔物が多発する地域らしく堅牢だが、さすが、クリスが顔を見せたら何なく開いた。
顔を見られないようマリアはフードを被ったまま大人しく座っていたが、馬車はそのまま何やら高級住宅街に進み、蜂蜜色のレンガ造りの屋敷で止まった。クリスに導かれてマリアは馬車から降りる。
貴族の本邸ほどではないが立派な造りで、別荘か、裕福な商人あたりが住んでいそうな門構えだ。
「ここに住むのはどうかな? 建て付けもしっかりしているし、このあたりの地区は治安がいいから」
「こんな大きなお家、いいんでしょうか。というか、私ひとりで管理しきれるかな」
「ああ、それについては心配ないよ。中に入って」
促されるままに扉を開けると、老夫婦が礼をして待っていた。
「お帰りなさいませ、クリス坊ちゃん、マリア様」
立ち襟の白シャツにクラバットを結んで黒色のスーツを着込んだ、この国における上級の使用人がする格好の老紳士が挨拶をした。
「ただいま。急な話で悪いが、どうかよろしく頼む」
「心得ております」
「マリア、紹介するね。この人はブラックリー家の先代執事のダニエル。僕から見ると祖父みたいなもんだよ。前に言った『信用できる人』のうちの1人」
「これは恐縮なご紹介ですな。あの泣き虫坊ちゃんがご立派になられて。おんぶでおさんぽした日々が懐かしゅうございます」
「爺、やめてくれ、頼む」
「ほほ」
「ふふ」
気の置けないクリスとダニエル、いや、爺のやり取りに自然とマリアの肩の力も抜ける。
爺の隣で微笑む老婦人は、フリルのないモブキャップをすっぽりと頭にかぶり、萌黄色のワンピースに白のエプロンをつけている。小柄な体に小さな丸眼鏡がよく似合って、可愛らしいおばあちゃんといった印象だ。
「で、こちらが爺の奥さんで、ブラックリー家の先代メイド長のメアリー」
「クリス坊ちゃんがこんな可愛らしいお嬢さんを連れて帰るなんて、年は取るものですわ。子犬に追いかけられて泣いていたあの坊ちゃんがねぇ」
「ばあやまで、本当にやめて」
「ほほほ」
ああ、クリスは実家に対してあまりいい印象は持っていないようだったけれど、少なくとも2人、心から慈しんでくれる家族がいたんだな。
この2人は、血がつながっていなくともクリスの家族だ。それだけでマリアは爺とばあやを信頼できた。
「マリアと申します。この度は面倒事に巻き込んでしまってごめんなさい。お世話になります」
「面倒事なんて仰らないでくださいまし」
「そうですとも。クリス坊ちゃんの大切な方なら私にとっては孫同然。クリス坊ちゃんのお子様ならば私の初のひ孫です」
爺とばあやは、目を細めながらクリスとマリアの来訪、子の存在を心から喜んでくれる。隠しもしない慈愛と期待が心地良かった。
玄関先で話し込んでいた4人のところへ、しびれを切らした様子で奥から背の高い男性が顔を出した。
「兄上、俺にも早く紹介してくださいよ」
「コンラッド、来てくれてたのか!」
「兄上と奥様のご帰還ですからね。何を置いても駆けつけますとも。ああ、もちろん護衛など余計な人間は連れてきていませんし、尾けられるようなヘマも犯していませんよ」
「ははは、それは安心だ。お前に気づかれずに尾行できる人間なんて国中探してもいないだろうからな。さ、紹介するよ。こちらがマリア。おそらく今国一番の聖女で、何より僕の最も大切な人だ」
マリアの肩を抱いて迷いなく「最も大切」と宣言してくれたクリスの隣に、マリアもしゃんと立つ。
「お初にお目にかかります。マリアと申します。この度は大変なご迷惑をおかけします」
「ははは、何を仰います。迷惑でなくめでたいの間違いでしょう。申し遅れました、私はコンラッド•ブラックリー。クリストファーの弟で、辺境伯位を継承したばかりです」
コンラッドは身長190cmはあろうかという長身だ。比例して肩幅もがっしりしていて、「クリスの弟」には見えないくらい大きい。目と髪の色は落ち着いたブルネットで、顔立ちも中性的なクリスより筋張った印象だ。アイドルよりはハリウッドの主演俳優の方が似合う。
「立場と状況を踏まえますと残念ながら気軽にお目にかかるわけにはいきませんが、兄上とこの剣に懸けて、私は義姉上と甥姪をお守り致します。これでも領主ですし、爵位も高いですからね。大抵の露は難なく払ってみせましょう」
クリスには全然似ていないと思ったコンラッドは、目尻の下げ方と控えめな笑窪がクリスにそっくりだった。
気さくに笑い飛ばしてくれるコンラッドに、爺とばあやも穏やかに頷いている。クリスを育てたであろうこの空間の暖かさにマリアは救われる思いがした。
そっと下腹部に手を当てる。
この子のことは、世間の目から隠しながら、マリア1人だけで守り育てなければいけないと覚悟していた。そのことをマリアは申し訳なく思っていた。でも、もしかしたらこの子の人生は、思っていたよりは愛に溢れたものになるかもしれない。
「さて、マリア。あともう1人、ブラックリー家に仕えてくれている影が護衛として付いてくれる。ただ彼は基本的に君に姿を見せることはないし、有事の際にしか話しかけてこない。仕事の性質上、人前に出ることをすごく嫌うんだ。逆に、何か緊急事態があればマリアが呼びかけたら反応してくれるよ」
《陰ながらお守り致します》
クリスの紹介でどこからともなく声がした。わあ、忍者みたい。不謹慎だけれどマリアは少しわくわくしてしまった。
「以上の4人だけが秘密を知って君たちを助けてくれる。爺とばあやが住み込みで世話をしてくれるから、今日からでも困ることはないと思う」
「お任せくだされ」
「私は城に戻りますが、何かあれば、影を通じてご連絡ください。くれぐれもご遠慮なさらず、義姉上」
「コンラッド坊ちゃん、お見送り致します」
「ぐっ、坊ちゃんはやめてくれ、爺、ばあや……」
3人が連れ立って外に出て行き、マリアとクリスだけが室内に残された。恐らく、気遣われた。
クリスがマリアに向き直る。マリアもクリスをまっすぐ見上げる。
「僕は、クリストファー・ブラックリーは、ここには居られない」
「わかってる。……わかってくれてありがとう」
「これから王都に戻る」
「うん。どうか元気で」
「マリアも。……それじゃ」
最後に一度だけ抱擁して、軽いキスを贈りあった。
最後まで、愛しているとは言えなかった。
体を離す。ドアが閉まる。クリスは振り返らない。マリアは泣かない。もう会えないのはわかっているのに、不思議と穏やかに見送れた。
これでよかったのだ。
3か月前にできなかったきちんとしたお別れができてよかった。
クリスが追いかけてきてくれてよかった。
好きになったのがクリスでよかった。
マリアはここで、クリスが与えてくれた新しい家族の中で、強く生きていく。
***
ドア1枚隔てたところで、クリスは1つ大きく息を吸って、吐いた。
眼には確かな覚悟がまだ宿る。
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