手放す覚悟、離さない覚悟
しばらくホテルの部屋でマリアがのんびりしていると、クリスが戻ってきた。
手にはふわふわの白パンを使ったサンドイッチに香ばしい匂いを漂わせる何かしらの肉、新鮮な果物などが山盛りに入った紙袋を抱えていた。
「何が食べたいかわからなかったから、いろいろ買ってきたよ。一応、生物はできるだけ避けたつもりだけど」
「ありがとうございます。今は悪阻も何もないし、食後に治癒魔法をかければ生物も心配ありません。どれも美味しそうですね」
「よかった。足りなければ買い足してくるよ」
「あはは、どうみても十分ですよ。頂きます」
試しにサンドイッチにかぶりついて、久しぶりの硬くない小麦のパンに感動すら覚える。
間に挟まれている野菜やチーズは一切しなびていないし、ハムには高級な生胡椒の塩漬けでアクセントが施されている。ここ数ヶ月食べていた干し肉どころか、王都にいた頃に自炊した料理よりずっとジューシーな肉に、デザートの果物も村で手に入るものより数段甘かった。
「これ、すごくいいお値段したんじゃ……」
「別に高いってほどじゃないよ」
「どこで買ったんですか」
「表通りの突き当りにある赤レンガのレストラン」
「高級レストランじゃないですか!! どうりでやたら美味しいと思った!!」
「口に合ってよかったー」
「クリスさん、私にお金使いすぎです……」
「名前。敬語も」
マリアはクリスに苦言を呈するが、逆に苦言を返されて押し黙る。
「ちょっと練習。呼んでみて」
「ええ!? そんなの必要ありま、ええと、必要ある?」
「実際できていないんだから意味はあるでしょう」
「う……」
「ほら、頑張って」
「……クリス。これで良いで……良い?」
「よくできました」
「面白がってるでしょう」
「可愛がってるんだよ」
クリスにこんな強引というか悪戯好きな面があるとは知らなかった。
もともとふとした時に無意識にこちらの心臓を傷めつけてくるタイプではあったが、完全に恋心を自覚した後にやられるのはこれが初めてなわけで、衝撃を吸収しきれない。
マリアの心中も知らずにクリスは話を進めた。
「馬車を手配できたよ。明後日の昼前にここに迎えにこさせる」
「すごい、ありがとうございます」
「どういたしまして。明日は必要なものを買い出しに行こう。時間を無駄にしたくないのと、北に行ってからあちこち街を回るよりこの町で目撃された方がましだから。とりあえず、これ今日の寝巻にして」
「何から何までありがとうございます」
寝支度をして、クリスが差し出してくれた新しいパジャマに袖を通す。
庶民ならパジャマではなくおしゃれ着にしそうな白いワンピース状のそれは、上質な木綿で織られていて、マリアが身につけていた麻の古着とは比べ物にならないくらい柔らかく温かく身を守ってくれる。
これまでの3ヶ月はすべての行動を自分で決めなければならなかった。
それは自由ではあるが、命の危険にも自分1人で対処しなければならないということであり、いつもどこか緊張していた。
今、久しぶりに息ができている。守られている。
もうすぐ手放さなければならない安心感だけれど、今だけはこの心地よさに身を委ねたい。
***
「あー、いいね。それも似合う。貰おう」
「あの」
「次はこれはどう? 青系の上着はまだ買ってないよね」
「クリス。落ち着いて」
「あ、ごめんごめん。マリアとのお出かけが楽しすぎて、つい」
「い、いえ、気持ちはありがたいんだけど……そろそろ帰らないと」
マリアの頬はほんのり赤くて、本音ではマリアもクリスとのお買い物デートを楽しんでいる。隠しきれていないそういうところが可愛いなとクリスは思う。
だが、確かに人目は怖い。
マリアの黒目黒髪は市井に多い色味だが、金髪青目は貴族に多いから、クリスは町中では目立ってしまう。
幸い写真も新聞もないこの国では、こんな田舎町までは「大聖女さまの婚約者」の顔立ちは知られていないようだが、王都に足を運ぶ商人などがいるかもしれない。
「そうだね。じゃあ、マリアを宿まで送ったら、僕は今日の夕飯を調達してくるね」
「わざわざ送ってもらわなくても大丈夫だよ。すぐそこだもん」
「だめ。さっき買ったその服、似合いすぎてる。可愛すぎて攫われちゃうよ」
馬鹿なことをとマリアは笑うが、クリスは大真面目だった。
宣言通りマリアを送ってから買い出しに向かう。
ぷるぷるのオムレツとできたてのチキンピラフ、ついでに明日の日中に食べられるように砂糖漬けのフルーツをふんだんに使った日持ちするパウンドケーキを昨日のレストランでテイクアウトして、ホテルに戻る。
マリアは今日の食事もおいしそうに平らげてくれた。体調がよさそうで何よりだ。
「ふう、おいしかった。ごちそうさまです」
「おいしかったね。ごちそうさまでした」
「あの、このお料理も昨日の……」
「同じレストランだよ」
「やっぱり。あの、おいくらでしたか? 昨日の分と今日の買い出しの分を合わせて教えてくださ……教えてほしいな。あと、ここの宿賃も」
またマリアがとんでもないことを言いだした。
「は? マリア、この状況で自分でお金を出そうとしてる? 絶対に受け取らないからね、僕」
「でも······」
「こんなこと情けなさすぎて言いたくないけど、僕が君にしたことを思えば、君は僕を顎で使う権利があるんだよ」
「クリスは別に悪いことはしていませんよ」
「誰より大事な君を傷つけた。無自覚だったのが本当に質が悪い」
「それは私が勝手に······」
「違う。僕が悪い」
マリアがクリスの側からいなくなって寂寥感と焦燥を重ねるうちに、そして再会してクリスに向けられるマリアの凪いだ瞳を見るうちに、クリスは己の過ちを自覚していた。
国王や父が何と言おうと、不敬で投獄されようと、ヒマリの教育係やエスコート役など断れば良かった。マリアと過ごすべき時間を他のものに、よりにもよって「大聖女さま」に捧げるべきではなかった。
言わなくても通じる関係に自惚れてはいけなかった。延ばされた手を後回しにしてはいけなかった。
その結果、マリアはクリスに失望しすぎてもう怒ることすらしてくれない。
「とにかく受け取らないよ。大体、デート代、それもホテル代を女性に出させるわけないでしょ? 流石にそれくらいは格好つけさせて」
クリスはもう迷わない。
弟だって実家だって、使えるものは使って、邪魔をするなら切り捨てる。マリアの側にいることだけを優先する。付き纏って、甘やかして、マリアが引っ込めてしまった手を無理矢理引っ張り出して隣を歩く。
マリアの優しさにつけ込む形だとしても、もう絶対にこの手を離さない。
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