クリス視点(2)
「もう1人の異世界の聖女」の報せを受けて、クリスが真っ先に考えたのはマリアの心中だった。いくら優しく前向きな彼女でも、羨みや不安を少なからず抱くのではないだろうか。自分がしっかりと守らなければ、と決意を固めて登城した。
マリアを守ることに集中していたから、突然の聖なる魔法教育係への任命にクリスはだいぶ面食らった。マリアの時は神殿所属の、国で1番の聖女が担当だったはずだ。クリスの聖なる魔法は強いと自負しているが、神殿の聖女にだけは負けることもわかっている。あえて実力で劣るクリスを指名する意味は、1つしかない。大聖女さまの婚約者候補として仲を深めさせようという腹だ。
「わかってくれ、ブラックリー卿」
「陛下······」
国王の登場でクリスの語気が弱まる。臣下として、教育係を拒否するとは言えない。
婚約であれば流石にクリスから拒否の意を示すことはできる。でも、それも今は言えないのだ。ここにいる誰しもが事実上の婚約者選定だとわかっていても、明言はされていないのだから。
現時点で国王に対してこれ以上言い募ったら、不敬でしょっぴかれかねない。致し方なくクリスは口を噤んだ。面倒なことになったが、婚約を正式に呈示された時に抵抗すればまだ対処できる。自分に言い聞かせて息を整える。
しかし一体何故クリスにこうまで強引に白羽の矢を立てたのだろうか。
大聖女の伴侶の座を狙う者は数限りなくいるわけで、大抵の貴族は次男以下の息子を喜んで差し出すものだ。
とはいっても授けられるのが侯爵位とあって、基本的には侯爵や辺境伯以上の高位貴族の家門から、大聖女教育期間を通して慎重に選定される。何の後ろ盾もなくここまで優先されるはずは······。
ふと、クリスは自分に向くよく知った視線に気づいた。王の傍ら、宰相の奥から注ぐその視線の主を確かめる。
(父上······)
合点がいった。今回の指名はクリスの父が画策したことのようだ。立ち位置と、何より父の満足げな顔を見れば、クリスにはすぐ理解できた。
クリスの父、ブラックリー辺境伯は厳格かつ公明正大な人物だ。クリスを廃嫡したのも、彼の正義に基づいてのことだった。戦えない領主のせいで魔物の被害が増えること、争いごとが徹底的に嫌いな我が子に戦いを強いること、どちらも是とできなかったための判断である。
クリスはブラックリー辺境伯家の男子としては落ちこぼれであったが、決して無能ではないことにきちんと父は気づいていた。穏やかさの中に秘めたカリスマ性、知識量と応用力。もし文官の家門に生まれていたならば、宰相の地位まで軽々と上り詰めただろう。辺境伯の椅子は与えてやれないが、中央貴族の伝手を辿って何らかの政治的な要職に就けてやろうと思っていた。
——ということを、クリスは治療院に就職した後の文通で知った。
自分は居なかったものとしてくれ、半分平民として慎ましく生きていく、父上と弟の活躍を祈っている と綴ったクリスの一方的な手紙に、父は律儀に返事を寄越した。曰く、「当分は自分で決めた場所で使命を果たせ。もしクリスにより相応しい椅子が見つかれば斡旋する」
クリスも治療院に勤め始めた当時は職場に思い入れがなかったから、親心を汲む意味もあって「よろしく」と返した。
(それが7年も経ってこんな事態になるとは······!)
クリスは頭を抱えた。早急に、父と腹を割って話さねばなるまい。
クリスは早速、翌日の大聖女教育の初回の授業前に、王城の小会議室の一室に父を呼び出した。
「父上、お呼び立てして申し訳ありません」
「いや。私もお前に話があった。ほんの3日前に引退について陛下にご報告しようと王都まで来ていたのだが、今回は本当にタイミングが良い」
父は見たことないほど上機嫌に話し出した。本当に偶然、よりにもよって今、登城していたらしい。
長年国境付近の防衛を務めた父は国王の、というか中央貴族全員からの信頼が厚い。その父が誰より早く長男を差し出したことで、さぞトントン拍子に大聖女の婚約話がまとまったことだろう。いっそ運命を感じるほど都合の良い、クリスにとっては都合の悪い展開だが、クリスは運命の相手ならもう自分で見つけてある。
「父上、私は大聖女さまの伴侶になるつもりはありません」
「なんだと!?」
さっさと断ろうと本題を切り出したクリスに、父は目を剥いた後、間髪入れずに青筋を立てる。
「お前は貴族の嫡男たる責から逃げたのだぞ。そのお前に、新たに才を生かす舞台が現れたのだ。そこからまた逃げるというのか!」
「聖なる魔法の使い手として民を癒すことこそが、私の真なる存在価値と自負しております」
「それならば、侯爵に就いてから、大聖女さまの魔物浄化の旅に同行して大聖女さまや護衛たちの治療に当たればよかろう。お前の才覚を平民に埋もれさせるのは惜しい」
「私を買い被っておいでです。何より、私は大聖女さまを愛せません」
「何をバカなことを······心に決めた相手でもいると言う気か?」
「はい」
「それはどこの大貴族の令嬢だ。私はもうすぐ弟に家督を譲るつもりだが、あいつはお前より政治的感覚には鈍い。お前にはあいつの助けになってやって欲しいのだ。兄として、ブラックリーから逃げた最低限の償いとして。お前が懸想する女は、お前や弟の力になり得る女か? 大聖女さまと比べられるほどの? 違うだろう?」
「それは······」
「とにかくしっかり教育係を務めなさい。大聖女さまの御心に触れれば、お前の目も醒めるだろう」
「父上、お引き受けした以上教育係としての務めは果たしますが、断言します。私が今愛する女性を忘れ、大聖女さまを愛するようになることは、絶対にありません」
「ならばどうする? 国王陛下も宰相閣下もお前を婚約者に据える気だ。一介の魔法使いに何ができる。下手をすればブラックリー家も取り潰されかねないぞ。私も弟も処罰の対象だ」
「ぐ······」
婚約話は、国王とブラックリー辺境伯の間で交わされた密約なのだ。現当主たる父の同意なしに婚約の流れを変えるのは難しいのは確かだろう。父は厳格だが理不尽な人ではないので話せばわかってくれるかと思っていたが、やはり国境を20年以上守り抜いた豪傑。家とクリス個人を比較したら優先されるのは家であるようだ。
そしてクリス自身、弟のことを出されると弱かった。弟はクリスの2つ下で、小さい頃から仲の良い兄弟だった。10を過ぎる頃からクリスでは到底叶わないほどの武術を身に着けていたが、中身は甘えん坊のままで、兄上兄上と慕ってくれた。勉強は嫌いで、家庭教師からの課題がわからないとクリスによく泣きついてきた。特に、模擬戦でクリスがこてんぱんにされた日には決まって。きっと弟なりの気遣いと甘えだったのだろう。
クリスが家を出たことで、そんな可愛い弟の評価にもいくつか翳りが生まれてしまっていた。「実の兄を排して爵位にありついた」だの、「頭の出来では兄に遅れを取る」だの、首都のよく知らない貴族から分家の奴らまで好き勝手に陰口を叩いているのは知っている。
クリスが新たに侯爵となり、表舞台で弟と親密に過ごせば、そういった噂は消えていくだろう。わかっているが故に、それ以上の拒否の言葉が出せなかった。
「……諦めませんよ」
「私もだ。いいな、よく考えて、然るべき判断を下すように」
結局互いに譲らず、話は平行線のまま終わった。そのままクリスはしぶしぶ大聖女の初回の授業に向かった。
クリス視点2/5です。あと3話でマリアとの話に戻ります。
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