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聖女Aは逃げだした!  作者: みそぽんわさび


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クリス視点(1)

クリストファー·ブラックリーは、魔物はおろか、部屋に紛れ込んだ害虫を潰すのにも躊躇する子どもだった。それでも武を尊ぶ辺境伯家の嫡男として周囲の期待に応えるべく、自分を殺して訓練に明け暮れた。


でも、どんなに努力しても体格に恵まれなかったのは隠しようもない。スピードや技術で補おうにも、自らが振るった剣が一体何を抉るのかを考えてしまうと切っ先が鈍る。クリスはついにただの一匹の魔物も殺せず、18歳の誕生日を迎えてしまった。

成人祝いのために集まった親族の前で、父は深いため息と共に告げた。


「お前を跡継ぎとして認めるわけにはいかん。家督は弟に継がせる」


気のいい弟は父を止めてくれたが、クリス自身は父の判断は当然だと思った。だから、父の決心が鈍らないように、弟の邪魔にならないように、その日のうちにこっそり家を出た。


仕事を求めて王都を目指す道中に、行き倒れの商人を助けようと奮闘していたら、聖なる魔法に覚醒した。これは食い扶持を稼ぐのにちょうどいい。そう思ってクリスは王立治療院の門を叩いた。  


治療院の院長である老聖女はクリスを歓迎し、誰も使っていないからと宿舎の使用許可まで面接当日に出してくれた。助手たちや下働きたちは、男のくせに聖なる魔法が使えるクリスのことを気味悪がった。でも、そういう声は聴こえないふりをして仕事に打ち込みさえすれば、誰も守れないと思っていたクリスにも、いや、クリスにしか救えない命があった。クリスは生まれて初めて自分の存在価値を見出だせた。

治療院にはクリスの他に3名ばかりの聖女がいたが、やがてクリスはその誰よりもうまく治癒魔法が使えるようになった。


クリスが治療院の第一線で活躍を続けていたある日、王城から知らせが届いた。異世界の大聖女さまがただの聖女だったから引き取ってくれ、とのことだ。勝手に呼びつけておいて酷いことを、と院長はご立腹で、エースであるクリスにマリアのサポートを命じた。クリス自身、なんだか自分に重なるものを感じて、喜んで引き受けた。


実際に会った異世界からの聖女、マリアは、クリスが思っていたよりも普通の女性だった。文化の違いなど戸惑う部分も大きいだろうにそれを感じさせないのは、彼女の度量と努力量の大きさを示している。勤勉かつ礼儀正しいマリアに、クリスは好感をもった。


大聖女には至らなくとも、異世界から呼べただけあって、マリアの聖なる魔法は群を抜いて強かった。訓練すればクリスと並ぶ治癒魔法使いになるだろう。それなのに、マリアは自分に自信がないようだった。


「……本当は、私がもっと強い力を持ってさえいれば……ごめんなさい」

マリアは本当に申し訳なさそうに、消え入りそうな声でそう言った。この国の人間が勝手に呼び寄せたのだから、すべて無視してもっとワガママに生きたっていいのに。胸を張っていいのに。

ほとんど無意識に、クリスはマリアに言っていた。


「浄化ができるかどうかなんて、君の価値に関係ないよ。持てる力を人のために使っているところを僕らは尊敬してるんだし、来てくれたのがマリアでよかったと思っているよ」


何故かわからないけれど、まるでずっと前から用意していたように淀みなく、心の底から言葉が出た。それを聞いたマリアは、照れくさそうに、でも心底嬉しそうに笑ってくれた。はにかむ顔に心臓が跳ねた。


後日、弩級の衝撃とともに理由を知った。

故郷を出てから7年、いっぱしに自力で生きてきたつもりが、マリアの細身1つ受け止められない自分の変わらぬ非力さに嫌気がさし、つい後輩相手に泣き言をぶちまけてしまったあの日。

マリアはクリスの軟弱さなど気にも留めずにさらりと言った。


「私はここでクリスさんに会えて救われました。戦いが嫌って、何も傷つけたくないって素敵なことだと思います。最善を尽くしてきたあなたの過去を心から尊敬します」


故郷では、戦いを厭うのは逃げであり、臆病者であり、皆の命を軽んじる卑劣な行為だった。それを彼女は優しさと解釈してくれた。 逃げた先で劣等感と罪悪感に塗れながらもがいていた日々を最善と認めてくれた。

戦わなくてもいい。浄化魔法なんて使えなくてもいい。

人を救うことに人生を捧げている今の自分を誇っていい。


ここにいていい。


ああ、僕は誰かにそう言って欲しかったんだ。過去の自分にそう言ってあげたかったんだ。

彼女はそれをどちらも叶えてくれたんだ。


胸の奥からこみ上げるものがあった。油断したら目から零れそうだったから、クリスは口元を押さえて俯いた。でも、マリアがこの場を去ろうとしていることに気づいて、何か伝えなきゃと焦ったら、いつの間にか手を掴んでいた。口から絞り出せたのは、たった一言。


「ありがと」


一気に燃えたマリアの顔。感謝、歓喜、共感、慕情、その他もろもろの何という名前で呼んだらいいかわからない感情たちを、全部ひっくるめて真っ正面から受け取ってくれたことがわかった。

なんて可愛らしい人だろう。なんて愛情深い人なんだろう。


この瞬間、クリスはマリアに恋をした。


マリアが今の温度を大事にしていることを知っていたから、無理に距離を詰めることはしなかった。職場も家も一緒なのだ。ゆっくり、マリアのペースに合わせて進めればいい。

そう思っていたのに、大聖女の出現により、クリスの計画は脆くも崩れ去ることとなる。

クリス視点は全5話。この後4話続きます。

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