再会
田舎町の治療院では高額な治療費を取るわけにはいかず、ご近所さんからの現物支払いでも受け入れているマリアは、継続的に仕事をしなければ食べていけない。
聖なる魔法を使うことがどこまで体に負担をかけるものかはわからなかったが、幸いにして胎児にはマリアの治癒魔法が効くので、多少の無理はできそうだった。しかも、胎児相手に治癒をかけると、どういう理屈か悪阻が治まる。
おかげでマリアは誰にも妊娠を気取られずに治療院の勤務を続けられた。
「ふう、今日の仕事はこれで終わりか。院長―! お先に失礼しますー!」
村の小さな治療院とあって、マリアの他は院長たる年取った聖女が1人のみだ。治療院自体が院長の自宅の一部なので、当日の患者が捌けると、マリアだけが自分の借家に帰ることとなる。
「はい、お疲れ様。今日もありがとうねえ。マリアちゃん、なんだかますます魔法が上手になっていない?」
「え、そうですかね? そんなはずは……」
「そーお? だって、今日はたくさん患者さんがいたのに、こんなに早く終わっちゃっているし」
言われて初めてマリアは外の明るさに気づいた。夏場とはいえ、まだ夕方と呼べる時間帯だろう。普通は気怠く足を引きずりながら暗い道を歩いて帰るのが治療院勤めの聖女の常である。
「言われてみれば、妙に手早く終わりましたね。それに、疲労感も少ないです」
「ほうら、ね。若いっていいわねえ、どんどん成長するのねえ」
「どうなんでしょう、あはは」
マリアは適当に話を切り上げて帰路につく。厳しい大聖女教育や、王立治療院での修羅場でも頭打ちだった能力が、それを捨ててこんな田舎まで逃げてきた途端に上達するわけがない。わけがないけれど、実際、仕事終わりの今、力は余っている。今日の仕事量であれば、今までのマリアはおろか、クリスだって魔法力がからっぽになるはずだ。
それならば、とちょっとだけ期待して、1人自宅で浄化魔法を念じてみた。
やり方だけは習ったから知っている。というより、治癒魔法と同じ術式に、もっとたくさんの力を込めれば浄化になる、ただそれだけなのだ。
今の自分ならもしかしたら。自分だって、成長が遅かっただけで本当は。
でも、やっぱり発動したのはただの治癒魔法の光だった。
マリアは自嘲する。それはそうだ。所詮マリアはただの聖女。ヒマリのようにはなれない、クリスの隣にはふさわしくない、有象無象の聖女Aだ。
でも、今のマリアは、この事実にそこまで傷つかなかった。諦めでできたかさぶたと、誰より近くにいてくれる小さな存在が、マリアの心を保ってくれていた。
有象無象でいいのだ。思い出とこの子を抱いて、誰にも見咎められず生きていければ、それでいい。
***
マリアがこの村に来てから、2ヶ月と少しになる。幸い生活も体調も順調そのものだ。今日も今日とて平和に受付開始前の治療院の掃除をしている時に、「準備中」の札を無視して村人が駆け込んできた。
「聖女さんたち! 朝早くにごめんよ! 村のすぐ外で崖崩れがあって、馬車が巻き込まれたみたいなんだよ! 明け方から村の男たちで掘っていて、もう少しでケガ人を出せそうだから、悪いけど最初にみてやってくれないか?」
村の治療院では、農作業中に怪我をしただの、子供が風邪をひいただのといった、軽症の患者ばかりだ。生き埋めなんて重症患者を診るのはマリアは王立治療院以来だし、きっと院長は初めてだろう。息があることを祈りつつ、ひとまずマリアが現場に向かった。
崖崩れといっても小規模で、どちらかというと落石に近かったようだ。村の男性総掛かりで石をどけ、今はひしゃげた馬車が露わになっている。
被害に遭ったのは3人、身なりの良い夫婦と御者である。御者は運よく石を避けていて、主人を掘り出すときに負った手指の怪我だけですんだ様子だし、主人たる紳士は馬車の内装に背中を打撲しただけらしい。
夫人がひどい怪我だった。左の前頭部から血を流していて、出血量自体は大したことがないのに意識がないし、呼吸も不規則だ。
マリアは焦った。
(脳か! たぶん頭蓋内に血が溜まってる。 しかも怪我をしてからだいぶ時間が経っているはず。まずは溜まった血を抜いて、傷を塞いで……現在の怪我を治すことはできるけど、損傷してしまった脳をどこまで治せるか……)
魔法をかける部位や順番を組み立てながら、小走りで患者に近づく。
「聖女さま! ああ、ああ、お願いします、妻を助けてください! 妻は、咄嗟に私を庇ってこんな……! 妻を救ってくれるなら私にできることは何でもします!」
「落ち着いて、少し離れていてください。すぐに治療しますから」
マリアの足元に土下座せんばかりの勢いで縋り付く紳士を押し戻して、夫人の頭に手をかざす。治癒魔法を発動する、が、やはり損傷が深い。表面の怪我はみるみる塞がったが、脳の一部が腐りかけている。生命活動を停止した細胞は魔法を弾く。
(ここまでかな……)
諦めかけたマリアの耳に、期待と不安を滲ませた紳士の声が絡みつく。
「治ってきた……! すごい、すごいです! でも目を覚まさない……。どうかお願いだ、どうか、もう一度私を見ておくれ……!」
期待したって無駄なのに。どうせマリアの力では応えられない。この夫人は助からない。もう、魔法も終わる……。そう思いはしたが、夫人の手を握って語り掛ける紳士の声に滲む温度が、あまりにも温かくて、なんだかクリスを思い出した。
(もう、一押しだけ)
終わりかけの治癒魔法に、ひときわ大きく力をこめる。線香花火の最後の一あがきのように光が濃くなり、止んだ。
「う……あら、旦那さま?」
夫人の間の抜けた一言で静寂が破られた。夫人に抱きつきながら人目を憚らず漏らされる紳士の嗚咽と、村人の歓声によって、あたりは俄かに騒がしくなる。
「ありがとうございます、ありがとう、本当にありがとう!」
「すっかりお世話になってしまいまして、お礼の言葉もありませんわ。あなたのような優秀な聖女さまがいらして本当に幸運でした。私共にできることがあれば、なんでもおっしゃってくださいな。ね、旦那さま?」
「ああ、もちろんだ。貴女にも、村人たちも、本当に世話になった。私とて貴族の末席を汚す身。この恩義には全霊を以てお応えしましょう。さ、まずは聖女さま、何がお望みですか」
「私は普通の治療をしただけですので……村の人の希望を聞いてあげてください。それでは」
マリアは心ここに在らずの状態で紳士の話を聞き流し、足早に治療院へと逃げ帰った。助けた相手が貴族だったとか、お礼がもらえそうとか、そんなのはどうでもよかった。
(通った……)
諦める前にもうひと踏ん張りだけ。どうせ無理だろうけど、ベストだけは尽くしてからでなければあの紳士に顔向けできないから。
誰あろうマリアが一番マリアを信じていなかった。なのに、渾身の力を込めたあの瞬間、治療を拒んでいた腐った脳細胞たちが、突然喜んで治癒魔法を受け入れた。あんなことは、クリスにも神殿の聖女にもできないだろう。
(本当に、今更)
マリアはもう表舞台に姿を現すことがない。ヒマリ以外の誰も治せない怪我が治せるなんて広まったら困る。貴族からの感謝も、民衆からの尊敬も、今のマリアには必要ない。目立つわけにはいかないのだ。
場合によってはまたこの村からも逃げ出さないといけないな。かといって身重では無茶もできない。今月分の給金を受け取ったら村を出よう。ここからも王都からも遠いどこかへ。
***
月末、ここに来て3回目の給料日。仕事を終えて自宅に帰ったマリアは、早速旅支度を始めた。院長だけはあらかじめ辞意だけを伝えてあったが、村人には秘密にするようにお願いしていたから、このまま明日の早朝に発てば誰にもマリアの行方はわからないはずだ。
はやる気持ちを押さえて、必要最小限を鞄に詰め込み、不要なものは処分して借家を綺麗に掃除する。もともと物をあまり持たないようにしていたから、荷造りはすぐに終わった。さあ、あとは明日に備えて早く寝るだけだ。
その瞬間、マリアの耳に、聞こえるはずのない音が届いた。聞き覚えのある足音。続いて何者かが玄関扉をノックした。穏やかに3回、コン、コン、コン。
まさか、そんな。
「マリア。僕だよ。クリスだよ。迎えに来たんだ。話をさせてほしい」
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