27『母として、つがいをさがしてやらねばならぬ』
母と呼ばれてから一週間後、そう呼ばれるのにも飽きてきたルールーは久しぶりに自分の脳に加速処理をかけようとしていました。
「ふう……」
作業はいつも以上に慎重に行ないます。アリスがポンコツになってしまったせいで、クローンを起動して蘇らせてくれる人がいないからです。
「うっ……あ」
この不思議化した世界で、クローンに完全な記憶と思考を再現するためには、生命の関与、つまりは生きている他人による起動が必要不可欠。平面化前の世界のように、脳内装置とクローン保管装置との機械的な連動だけではだめなのです。
「はあっ…はぁっ」
失敗が死に直結しているのは、いつぶりのことでしょうか。
「くそっ……」
今回の加速処理の目的は、ドローンの飛行を可能とするための屁理屈を考え出すためでした。今、この世界では、飛行機であろうと、鳥であろうと、誰であろうと、飛ぶことができないのです。
「いつまで、私たちを憎むつもりだ、ドードー」
この世界の理不尽な飛行禁止性質は、飛べない鳥ドードーの呪いであるとルールーは考えていました。
「星は……」
確認できている大気圏内での飛行例外は、今のところ一つ。ハーヴィに渡した不思議の国のアリスの原典の一ページだけです。しかし、これは参考になりづらい。特別な存在であるページと、ただの機械であるドローンでは、この世界における格が違いすぎるからです。
ジャバウォックがルールーの夢想の中をよぎり、脳内で構築された理論時空にずれが生じ、生じて、しょう、生じ、ました。
思考を加速させるナノマシンがルールーの体内に必要な分だけ、入り切ったのです。
「あ…………」
見上げた天井が、デジタルノイズのように歪んでいます。それは、白い皮膚に無数の蛆が出入りしているかのようにも見えました。
おそらく、今自分がいるこの平面世界と宇宙は同じ次元にあるように見えているだけである。
つまりは、別次元である。
加速しはじめた脳は、今、考えうる、最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の最大の規模で思考世界の模索を開始していました。それは、半強制的な稼働。脳の加速とは、そういうことなのです。
「う……あ」
定義、仮定、考察を破壊し、自己弁護のように己の浅はかさを批判する。感覚のピークはまだ先にあると仮定して、覆し、再び仮定する。
「空に」
憧れはあるか?
遥か憧れか?
空を、誰も飛べなくなる前の時代を知るのは己のようで、己ではないのかもしれない。ああ、私は何体目のクローンであったか。記憶を確実に継いでいるという保証は、誰ぞ、誰ぞ、誰、誰誰誰誰がしてくれるのだろうか。もしかして私は、記憶の転移を繰り返すことで、ズレ、ズレ、ズレズレてズレ、空への憧れを忘れたようにごまかしたのではないのか。
なんのために飛ぶ。
「不思議の国のアリスを――暴き」
誰のために飛ぶ?
誰がために飛ぶ?
誰ぞために飛ぶ?
飛ぶ?
誰のために飛ぶ?
「ナターシャ」
ルールーは、かつての恋人の名を口にしました。
その瞬間、ルールーの中に人生最大の定義が誕生します。
私がアリスの母になったのであれば、ナターシャもまた母であると。つまり私はナターシャのつがいであり、母として、アリスに、私にとってのナターシャに該当する存在を与えてやらねばならぬと。それが、ルールー・ララトアレのやるべきことであり、やらねばならぬことだと、定義できたのです。
脳はさらに加速する。
高速化する。
さらなる、高速化した。
早すぎる思考は、光の粒子の閲覧を可能としました。その粒は時間の写しのようなもの、言い換えれば、世界歴史のアーカイブです。
ルールーがアーカイブより検索し、取り上げようとしているのは、赤子のような無垢な記憶でした。恋人ナターシャがこの世に存在したという確固たる証拠を探しているのです。
定義とは、ただの行為であるが、科学者が科学者たり得るためには避けて通れぬことである、だが、今は破壊すべきだ、恋よ、定義を上回れ、定義を超えて、私に再びナターシャを与えたまえ。光こそが、神なりと、なりて、なりて、なりなりて。
思考が加速し
思想を拘束した
次項は夢の話で
時の時効を押し付ける
鏡が小さすぎるならば
屈み覗けばよい
光の正体は微細な球体で
つまりは全天球型のミラーである
そこには未来だけがなく
過去と現在は存在する
各日に在った物語を
確実に掘り返すのならば
墓を暴くように
罪を背負い
過去を背負い
受け入れ
受け止め
さながらに反射だけを追いかければよい
さながらに反射だけを追いかければよい
さながらに反射だけを追いかければよい
さながらに
再び、ルールーの夢想世界をジャバウォックが通過します。その姿は明確であり、明白である現実に夢を反射すれば、醒めても醒めても夢の中という地獄の階層が製造され、され、脱出する方法はあれど、今は外へ出るべきではない、逆に、逆に、逆さに潜っていけ、夢の中に潜っていけ、ルールー・ララトアレよ、ルールー・ララトアレよ、永久に醒めぬ夢という名のラビリンスをリスクに変換すれば、再び現実が現れるであり、なく。
「がっ……は」
吐血。あと少しで、ナターシャの証明が完了するという手前で、ルールーの肉体が限界に達してしまいました。
「ああ……ちくしょう!」
脳の加速は、急停止。ナノマシンのセキュリティシステムが動いてしまったのです。




