26『扉越しの病理学』
ルールーの外出回数が増えたのは、アリスの叫ぶ内容があまりにも意味不明であったからです。
「計画があるのよ! 原子力の船で空に飛ぶの!」
監禁したばかりは、ルールーに対する文句ばかり言っていたのですが……いつのまにかよくわからぬ妄言ばかりになってしまったのです。
「もう、使い物にはならないだろうな」
アリスは顔面が傷ついたことでアリス性を失ったと、ルールーは考えていました。ただ、少しでもアリスである可能性があるならば、叫び声を聞き続けるのは非常に危険な行為であるとも思っていました。不思議化世界の申し子であるアリスには妄想を現実に変える力が、あるかもしれないからです。
ルールーの避難先は、最近ずっと使用していなかった、家から歩いて七分ほどの場所にある研究所でした。そこで、アリスが衰弱し静かになるまで過ごすことにしたのです。
「二週間はかかる……か」
ルールーは、アリスが極力人間性を失わないよう、できるだけ弄らないように努めてきましたが、管理の手間を減らすために少ない食料で長期間生存できるように改造してしまっていたのです。
「はぁ」
効率を重視しすぎるのも良くないなと、過去のものぐさな自分を戒めましているようですが…………後の祭りですね……。
避難して二日目の夜には、いっそ死んでくれと思いもしたルールーでしたが、家に戻ったのはそれからわずか五日後のことでした。
「おい、アリス。生きているか」
「…………ここをあけて」
まずは顔を見せず、研究室の扉越しに話しかけてみます。
「いいや、だめだ。私は君に怒っているからね」
「どうして?」
「それを君が理解していないことが、問題だ」
「そうやって難しいことを言っ――だめ、だめよアリス」
アリスは自らの意志で、癇癪を起しそうになった自分を叱ります。
「どうしたアリス、君らしくない」
ルールーは思わず煽ってしまいました。
「ごめんなさい……」
「それは、なにについてのごめんなさいだ」
「わからない」
「それでは、意味がないだろう。わかるか、アリス。謝るなら、言葉に意味を持たせろ。そのくらい、君でもわかるだろう」
「わかる」
「じゃあ、君がなにを謝らないといけないか言ってみろ」
「わからない」
「らちがあかないな。死ぬまで、そうしているといい」
すすり泣く声が、扉の向こうから聞こえます。
「おいアリス、泣いて許されるのは可愛い者だけだぞ」
「私はもう、可愛くないの?」
「そうだ。そしてすごくもない」
アリスはわんわんと大きな声をあげて泣きました。本当に、大きな声なので、ルールーは研究所へ帰りたくなってしまいました。
「アリス、私はそろそろ行く。もう、ここには戻らない。最後に一つ言いたいことがある。君は一人で、死」
「ごめんなさい、お母さん!」
ルールーが死ねと言い切る前に、アリスがお母さんと言いました。母という概念は教えていないはずなのに、そう言ったのです。
「そうか、私を母と呼んだか」
かちゃり、鍵を開ける音にアリスが顔をあげます。
「一つ目の約束だ。かさぶたを掻きむしるな」
「はい、お母さん」
ルールーはアリスを許し、確信し、安堵しました。自分はようやく、やっと、ついに、とうとう、この不思議の世界に組み込まれたかと安堵したのです。
「もう一度、言え」
「わかりました、お母さん」
「もう一度だ」
「お母さん」
「そうか、私がお母さんか。ほら、もう一度だアリス」
「お母さん!」
何度も、何度もそう呼ばせました。何度も何度も、お母さんと。




