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19『神剣ツムガリ』

 ルベローチェがアリスから授かった剣の名は、ツムガリといいました。それは両刃の洋剣でありながら、日本の刀の性質を持っているという、世界の不思議化の影響を大きく受けた剣です。


「がっ……あ」


 エリーの側頭部に叩き込まれたツムガリの刃は、切り傷をつくりません。まるで、超質量の鈍器で叩いたかのようなダメージを与えたのです。


「このっ……がっあ!」


 反撃しようとしたところで、二発目をくらってしまったエリーの意識が一瞬途切れます。でも、出血はわずか。ツムガリとは相手を斬ることができない剣なのです。

 これは、平面化した世界に長く存在しすぎたせいで刀剣としての性質を失っていった結果。そしてそれは、ツムガリの意志でもありました。もう、誰も傷つけたくない……そんな、剣の切なる願いが不思議の世界で成就されたのです。


「くそっ、なんだこれ! 糞ソードじゃねぇか!」


 素敵な願いではありますが、ルベローチェからすればたまったものではありません。剣としての性質が維持できていれば、一撃目でエリーを殺すことができていたはずだからです。


「アリスの糞野郎……、この剣が度の過ぎたなまくらだとわかったうえで渡しやがったな!」

「隙あり! ぐぎゃっ!」

「うぜぇんだよ銀髪猫! いいか、生き物はなぁ! 叩けば死ぬんだよ!」


 ルベローチェは怒りで取り乱すタイプではありません。むしろ、より冷静に、より鋭く、剣のような精神状態になっていくタイプなのです。


 

 二対二の戦闘。ハーヴィが相手をしているのは、クロネコです。


「さすがは不思議の国……強いですね」

「あっそ」

「どうも、このままでは勝てないようで」


 相手の力量をすぐに理解したハーヴィは、賭けに出ることにしました。


「おい! やべぇことすんじゃねぇやめろハーヴィ! くそっ、邪魔すんな銀髪!」


 ハーヴィは身を案じてくれたルベローチェに一度だけ微笑むと、ここまでの道案内をさせた不思議の国のアリスの原典の一ページを丸めて飲み込んでしまいました。


「あっ……かっ」


 超高純度のアルコールを一気に流し込んだかのような刺激。胃に降りる前に逆流しそうになったページを、空気を飲み込むことで必死に胃の中に落とし込みました。

 そんな、ハーヴィの得体のしれない行動に、クロネコがとった選択は後ろに跳ねて距離を取ること。


「しまった……」


 そしてその選択が、間違いであったと気付きます。今ハーヴィと呼ばれた少女がなにを飲み込んだかはわからないけれど……あれは……なにがなんでも飲み込ませてはいけないものであったと。


「かっ……あっ……ふふ、これは……すごいですね。死んじゃいそうですよ私」

「え?」


 クロネコの視界から、ハーヴィが消えます。


「ぶっ……」 


 次の瞬間、クロネコの脇腹に叩き込まれていたのはハーヴィの拳。クロネコの反射速度を超えた、素早すぎる一撃です。


「クロネコ!」

「てめぇの相手は私だ!」


 ルベローチェは、最速でエリーを殺す方法を探し続けていました。クロネコに対し快進撃を続けるハーヴィの、目と鼻と口と耳から多量の出血があるからです。誰がどう見ても、ハーヴィは長持ちしない……。


「このっ! キラキラめ! 武器使って卑怯だぞ!」

「んなもん、関係あるか! 糞っ、どけよ銀髪! ハーヴィがやべぇんだよ!」


 ハーヴィの履いている濃いグレーのズボンの股下が、出血により濃さを増していきます。クロネコの攻撃はまったく当たらないのに、あちらこちらが血に濡れていくのです。


「がっ!」

「くそっ!」


 ツムガリを握るルベローチェの手に、今までで一番強い衝撃が伝わってきました。


「ぐうっ……斬れないなら、怖くないんだからぁああ!」


 エリーが、ルベローチェの振り下ろしたツムガリに頭を叩きつけたのです。


「ばけもんがっ……」


 ビリビリと痺れる手。ルベローチェが無傷で済んでいるのは、エリーが弱いからではありません。むしろ、身体能力的にはエリーが上。頭の良くないエリーが、的確な攻撃を選択できていないだけです。


「あー頭がぐらぐらするよぉ。でもっ!」


 エリーの爪が、五センチほどの長さに伸びます。ゆるく湾曲したそれは、肉を抉るのに最適化された形。当たれば酷いことになることは明らかでした。


「私は……ハーヴィを助けなきゃいけねぇんだ! 邪魔するんじゃねぇ!」

「俺はクロネコを助けたいんだ! 邪魔するな!」

「うっ」


 エリーの爪が、ルベローチェの顔をかすめます。ばっくりと開いた頬。口の中が見えてしまったせいで、ルベローチェの呼吸が乱れました。


「てやぁ!」

「くそっ!」


 ルベローチェに隙が増えたのは、一方向からの攻撃にこだわりすぎているからでした。ハーヴィを助けたいという思いが強くなりすぎて、左目しかないエリーの死角を狙うことに気を取られすぎてしまっているのです。

 一方、身体中の血管が切れて全身に斑が浮かぶほどの力で戦い続けるハーヴィに、クロネコは手も足も出ませんでした。


「はぁ、はぁ、クロネコさん、だいぶボロボロですよ」

「うるさいわね」


 ハ―ヴィが爪による攻撃を行なわないのは、伸ばしても伸ばしても腐り崩れてポロリと落ちてしまうから。でも――――ハーヴィがクロネコを殴り殺すのは、時間の問題です。


「……助けて」


 それは、とても小さな声。クロネコがハ―ヴィの声真似をしたのです。


「大丈夫かハーヴィ!」


 普段なら、絶対に聞き間違えることは無いのに……焦りに飲み込まれていたルベローチェは、ハ―ヴィの声だと思い込んでしまっていました。


「へへ、もーらい!」

「あ……?」


 いつの間にかツムガリはエリーの手の中に。


「ルベローチェ逃げてくださいっ!」


 ハーヴィの言う通り逃げるべきでした。でも、なんとかしなければという心に突き動かされ、ルベローチェは奪われた剣に手を伸ばしまったのです。


「逃げてぇええええええええええ!」


 戦闘がはじまってから、最も無防備な状態。ハ―ヴィの悲痛な叫びが響く中、脳天からツムガリを叩きこまれたルベローチェの頭は、派手に爆ぜてしまいました。


「はあああああっ」


 ルベローチェを倒したエリーは、すぐさまハーヴィに向かって突進します。意識を失い倒れてしまったクロネコに危害を加えさせないために。


「あなたのこと、絶対、許さないですから」


 それが、ハーヴィの最期の言葉でした。

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