9 カエンの独り立ち
「これは世話になった礼じゃ。もらっておくれ」
差し出され、湊は膝を折って両手で受け取った。
「ありがとう。カービングナイフだね」
「うむ、これをほしいと言うておったろう」
先日のクスノキとの会話を聴いていたようだ。
あの時、眷属はまだできていないといい、神域に引っ込んだのは、これをつくるためだったのだろう。
湊はカービングナイフをじっくり見た。
刃の部分の厚みも幅も完ぺき。先日貸してくれた包丁とは、格段に違う出来であった。
カエンの腕は間違いなく上がっている。そのうえカービングナイフは、これ以上ないほど握りやすかった。
「使いやすそうだ。これで木彫りをするのが楽しみだよ」
「うむ! ちぃっと切れ味がよすぎるゆえ、練習してくれ。あ、むろん、汝の手に傷をつけることはないのじゃ」
何しろ、神が手ずから打った刃である。先日、眷属たちの神域で借りた包丁以上の切れ味を誇るに違いない。
木材が紙のようにさくさく切れるのではあるまいか。正直なところ、使うのが怖い。
しかし湊は態度に出さず、笑みを浮かべた。
「重ね重ね、ありがとうございます。さっそく練習するよ」
うむ、と頷くカエンを今一度見た。
当初の警戒心丸出しの頃とはまるで違う、屈託のない様子。
精神的に大人になってきたなと思う。これからも成長し続けるだろう。頼もしい限りだ。
そんな湊とカエンのやり取りを見守るモノたちがいた。
霊亀と山神一家である。
縁側でくつろいでおり、セリ、トリカ、ウツギはお菓子を頬張っている。
「まるで今生の別れのようですね」
「だな。すぐ隣に居を移すだけなんだから、いつでも会えるんだが」
「我だったら山の反対側にいても五秒以内にこれるよ〜」
「我なら、三秒でこれます」
「我も二秒でこれるが?」
と張り合う彼らの口元は、ココアパウダーで汚れているのだから、なんとも間が抜けている。
三体が絶えずつまんでいるのは、チョコレートトリュフ。
本来、動物にチョコレートはご法度であるが、彼らは神の眷属ゆえ、問題ない。
ほろ苦いココアパウダーで包まれた、口溶けのよいチョコレートは、一つでも食べたらなかなか止まらない、やめられない。
「このチョコレート、おいしいね〜!」
ウツギがはしゃいだ声をあげると、カエンがそわつき出した。
ウツギたちに感化されたカエンも、いまでは立派なお菓子好きである。
「とりあえず御山にいく前に、カエンもお菓子を食べる?」
「いただくのじゃ!」
両眼を輝かせたカエンは、縁側へと駆け出した。
✽
御山の麓で、山神の眷属たちは輪になっていた。
そこには、カエンもいる。自らの眷属たるコサギ――タタラの背に乗っていた。
カエンは今日、御山へ居を移した。
いわば引っ越しをしたため、これからあいさつまわりをするのである。
その前の決起集会であった。
タタラを見上げるセリがぴっと指を立てた。
「よいですか、カエン。何事も最初が肝心です」
「わかっておるのじゃ」
ぐっと拳を握る。
「ナメられんよう、ガツンとかませばよいのじゃな!」
「違いますッ。穏便に、柔和に、あいさつをするんです!」
身を乗り出して否定するセリの横で、腕を組んだトリカも厳しい声を出す。
「だな。カエン、お前はなんのためにそんな愛らしい姿をしていると思っているんだ。それをフル活用しなくてどうする」
「そうだよ〜。穏やかな声と、上目遣いがいいよ。しっかり猫をかぶってぶりっ子しなきゃ。こうやってやるんだよ〜」
と実演して見せるウツギを、カエンが半眼で見やる。
「麿は、おのこじゃ。そんな媚びるような真似はせん」
「カエン、山で居心地の悪い思いをしたいのですか」
感情を抑えたセリのいいざまに、カエンは押し黙った。
「だな。妖怪らと揉めてもなにもいいことはないぞ」
「そうだよ。一緒に住むんだから、仲がよいに越したことはないよ」
トリカとウツギにもいわれてしまい、カエンは顔をしかめた。
そのまま、コサギに乗って歩き出す。
山の中をのっそり長い脚で移動するその背のカエンは、やはりふんぞり返っている。
セリたちは、そばにいない。こっそり後をつけていた。
「大丈夫でしょうか……」
「――カエンもいいオトナだ。できるだろう、たぶん……」
「だよね。それになんていったって、神なんだから〜」
うんと頷きあった三体は、見た。
カエンがよりにもよってたぬ蔵と行き合ったのを。
御山の妖怪たちの総大将である。
一番懸念していた相手と真っ先に遭遇してしまった。
カエンは、固唾を呑む三体のことを気配で知りつつ、たぬ蔵と差し向かう。
気に食わぬ相手である。
どこがどうとはいえないが、反りが合わない感覚がひしひしとする。
出会わなかったことにして、去りたいがそうもいかない。
脳裏に、麒麟がひんぱんに口にしていた言葉がよみがえった。
『敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉もあります。よろしいですか。気に食わない相手であろうと、まずは知ることです。気に入らないからこそ、知らねばならないのです。そうすれば、相手の弱点をつけるのですから――』
カエンは意識して、やわらかな声を心がけた。
「たぬ蔵よ、麿は今日からここに住む。よろしく頼む」
「――うむ。困ったことがあったら、やつがれにいうといい」
一瞬、意外そうな顔をしたたぬ蔵もそつなく答えた。
すっと二体はそのまま離れた。
タタラが長い脚で、大樹の乱立する斜面を登っていると、ぬっと突然、蓑を纏う大男が横切った。
妖怪にしては澄んだ妖気を放つ、山爺である。
時の流れに取り残されたようなその雰囲気は、霊亀を思い起こさせた。
ゆえにカエンも泰然とした霊亀になりきり、口をひらいた。
「麿は今日からここに住む。よろしく頼むぞい」
口調まで真似せずともよかったかもしれない。
ニンマリと笑った山爺は、ぬっと手を差し出してきた。その太い指先と握手をかわし、別れた。
なんと、山の中腹で道迷いの人間を見つけてしまった。
警戒したセリたちに包囲された。殺気立った神気を向けられるも、カエンは口をへの字に曲げた。
思い出すのだ。己を助けてくれた応龍のことを。
寡黙なかの霊獣は、取り立てて自ら関わってこようとしなかった。
しかしまだカエンがこの身に慣れていない時分、庭をうろついている間、いつでも見守ってくれていた。
川に落ちそうになったときも、さりげなく助けてくれたこともある。
カエンはいま、人間には見えないよう姿を隠している。
あたふたと道なき道をうろつく人間とすれ違いざま、コサギだけを見えるようにした。
「な、なにいまの、鳥⁉」
ほんの一瞬だけであったが、認識できたようだ。
さらに進み、また少しだけ見せてやる。
怯えつつも、人間がついてくる。それを音だけで聞きながら、カエンは山道へと誘導してやった。
「しかと山道を歩けばよいのじゃ。そうしたら迷うことなどないというのに」
コサギに乗るカエンは、ぶつくさと文句をいいつつ、山の中腹をうろつく。
その間にも、カワウソやろくろ首などとも会い、あいさつをすませた。
順調である。
それはよいが、ついてくる山姥はいかがしたものか。
いまその身は、若い娘となっている。
和服をかろうじてまとった状態で、両肩を晒し、豊かな胸の谷間やら、むっちりとした太ももやらをむき出しにしている意味はなんなのだろうか。
あまつさえ半眼のカエンに、執拗に話しかけてくる始末。
「鍛冶の神よ、今日はなぜ、あの若者と一緒ではないんじゃ。たいがいともに来ていたではないか」
この妖怪、やけに湊を意識しているようなのだ。
「ここ最近、家にこもりっぱなしだろう? いい若いもんが、なにをしてるんだい。山にくればいいじゃないのさ、いい運動になるんだから。ねぇ、鍛冶の神からもそういってやんなよ」
「オババよ、なにを色気づいておるのじゃ」
「な、なにいってんだいっ、勘違いするんじゃないよ!」
「なら、なにゆえ、湊のことばかり気にするのじゃ」
動揺したのか、山姥は泡を食った。
「こ、こ、こっ」
「いつからニワトリになったのじゃ」
「ここ! 数日会ってない、いや、見てないからだよ!」
ビシィとカエンは指を突きつけ、溜まりに溜まった不満をぶちまけた。
「汝のような破廉恥なおなご、湊にはふさわしくないのじゃ!」
「なんじゃと⁉」
「湊の隣に立つのは、慎み深く! 気立てがよく! 魂の綺麗なおなごでなければ、許さんッ。たとえ山神が許しても、麿は絶対に、ぜぇったいにっ、許さんぞ!!」
ムキーッ! と憤るカエンはコサギともども、セリたちに速やかに回収された。
とりわけお小言もなく、ふたたびカエンとタタラは山の反対側へと放たれた。
そこには、小屋があった。繁茂する草木に侵食されかけており、あばら家と称するのにふさわしい佇まいである。
にもかかわらず、中に妖怪がいるようだ。
好奇心に駆られたカエンは、戸のない間口からのぞく。天井にはクモの巣が張っており、穴だらけの床には二体の妖怪が座していた。
巨漢と、一本足である。
『おう、なんでい。はじめて見る神さんだな』
巨漢が快活に声をかけてきた。
「うむ、麿は今日からこの御山に住むことにしたのじゃ」
『ほうか、よろしゅうに』
一本足ともども和やかに歓迎してくれたが、木陰からウツギがこそっという。
「そいつらねぇ、湊を傷つけようとしたんだよ〜」
ボボウッ。カエンはコサギの口から瞬間的に火を放っていた。
『神たるモノ、いかなるものにも慈悲深くあれ』
との鳳凰の教えは守れなかった。
だが、かの優しき霊獣も理由を知ったら、わかってくれるであろう。
火炎放射を食らった二体が一瞬にして火に包まれ、のたうち回る。見るまに縮み、カエンより小さくなり、妖力も少なくなった。
「滅ぼしはせん。だが、二度とよからぬことができんよう、力を削いだ。反省して生きていくがいい」
くるりとコサギごと背を向けるカエンを、セリたちはとりわけ咎めることはなかった。
新入りの鍛冶の神は、ヤバイ。
その日のうちに、御山在住の妖怪に知れ渡ったのは言うまでもないだろう。




