10 くらしに役立つ神宝
さんさんと朝日を浴びるクスノキのもと、山神は寝ていた。ヘソ天で鼻提灯をふかしながら。
いつものことである。
いまさら湊が気にするはずがない。目にも入らない。
家内の洗濯機の前にいるのだから。
その手には、ひょうたんがある。下部の渦巻銀河がきらきらしい。意思をもつとのことだったため、名をつけた。
「銀河くん、洗濯洗剤をよろしくお願いします」
とろ〜り。ひょうたんから洗濯洗剤が流れ出た。しかし一定量が出たあと、傾けたままでも出なくなる。
「すごい、適量を覚えたんだね」
ピカッと渦巻銀河の中央で星が煌めいた。
自慢げなのは気のせいではあるまい。
なかなかかわいいやつである。もっと褒めていこうと思いながら、湊は洗濯機の蓋を閉めた。
ンゴゴッ。派手に寝息を立てた山神が、寝返りを打つ。
くふくふと笑い、尻尾も振り回す。おそらく夢の中でも和菓子を食べていることだろう。
それに対して湊が何かを思うことはない。巻き起こる風に髪をかき乱されることもない。
洗面台の前にいるからだ。
「銀河くん、洗面台用の洗剤をよろしく」
やや粘度の高い液体でも難なく出た。
「全然液垂れもしないね。素晴らしい」
渦巻銀河がぐるぐる回転している。
愉快なひょうたんである。面白いが眺めてばかりいては、仕事が終わらない。湊はせっせと洗面ボウルを磨いた。
山神、起床。
まずは前足を伸ばして〜、後ろ足を伸ばして〜、最後に尻尾も〜。
入念なストレッチをしながら、どでかいあくびもかました。
ひゅおっと大口から強い神気が漏れ出す。イチョウ並木が乱れに乱れ、半分以上の葉が落ちてしまった。
「ぬ。――まあ、よかろう。そろそろ替えどきゆえ」
そんな山神の不穏な台詞は、湊の耳には届かない。
風呂場にいるからだ。
「銀河くん、お風呂洗剤をお願いします」
たら〜り。スポンジの上に液体が流れ落ちた。泡立てて、こする浴槽はもとより汚れてもいないし、鏡に水垢もありはしない。
露天風呂があるため、ここを使用することはあまりないが、定期的に清掃は行っていた。
面積もあるため、時間もかかる。
一心に壁を磨く湊の背後――脱衣所に置いていたひょうたんが、音もなく浮き上がった。
滑らかに洗面所へ移動し、居間を突っ切り、縁側へと出ていく。
ひょうたんは本来、自ら動くことはできない。
にもかかわらず、まるで散歩するように移動しているのは、むろん山神のせいである。
クスノキのもとで、おいでおいでと手招きするその眼と鼻の先に、ひょうたんは降り立った。
その外見は一変している。
星の輝きは消え去り、ダークマターのように真っ黒だ。
ひょうたんは怒っていた。
湊のそばから勝手に移動させられたことに、凄まじく憤っている。
「わかりやすいやつよな」
山神は感心しつつ、ちょいと前足で下側の部分に触れた。
氷のような温度、といった表現では生ぬるい。
絶対零度。これ以上の下限はあるまい。
触れたままでいると、冷気が漂い、前足が凍りはじめた。
「小癪な。そこまで我を拒むか」
クククと笑いながら、山神は前足を離した。
ペッと振り払うと、氷は水に代わり、蒸発。乾いた前足を床につけ、ひょうたんを見下ろす。
「まあ、嫌がられたところで、ぬしを動かすことも、その中になにかを入れることもお茶の子さいさいであるが」
いじわるくのたまい、顎を上げ、ひょうたんを浮かす。先立って、手水鉢へとつれていく。
そして、その口を筧から落ちる水のもとへもっていった。
ダバー。口から水は四方へ溢れ、一滴すら入っていかない。
頑なに拒否され、山神は半眼になった。
「飲まぬか。これは、湊が好む水ぞ。しかとアジを覚えておくがよい」
ひょうたんは、相手が噓をついているか否かの判別はつく。
しぶしぶといった体で、水を中に取り込んだ。
「よき。湊はこの水を『山神さんちのお水』と呼んでおる。それもしかと覚えておくがよい」
もう、いらんとひょうたんの口から水が溢れ出した時、慌てふためいた様子の湊が居間の窓から飛び出してきた。
「山神さん! 銀河くん知らない⁉」
ひょうたんが発光する。
ここー! ここにおりまっせー!!
と目もくらまんばかりの輝きで返事をされ、湊は渡り廊下の途中で足を止め、脱力した。
「よ、よかった。いなくなったのかと思った」
ひょうたんが冷気を発し、山神へ怒りを向ける。
「そう、怒るでないわ」
嘆息した山神はひょうたんを湊の手元へ送った。
湊はしかと両手で受け取る。もちろん冷たいはずもなく、ぬくもりを感じ、ほっと安堵の息をついた。
仕事の後は、ひとっ風呂浴びたいものである。
もちろん誰にも遠慮はいらない湊は、基本的に入ることにしている。
本日は山神も一緒に。こちらは働いてもいないが、毎度のことである。
露天風呂の縁に顎を乗せた巨軀が、のうのうと湯船に浮いている。それを目の当たりにしながら湊も肩まで浸かった。毎度毎度思うことを今日もおのずとつぶやく。
「贅沢だなぁ」
ぷきゅ〜。返事するように鳴いたラバーダックが目の前を泳ぐ。端までいったら、くるりと方向転換し、また波乗りをはじめた。
双眸を閉じたままの山神が操っているのである。どこか楽しげなその様子を眺めていた湊は、喉へ手をやる。
「喉渇いたな」
そんなときには、ひょうたんである。山神が手水鉢の水を移しておいてくれたとのことなので、持ってきていた。
伏せた木桶の上に置いていたそれを手に取る。
「銀河くん、山神さんちのお水をお願いします」
グラスへ傾けていると、ふすっと鼻息で湯気を押しやりつつ山神がいう。
「なにゆえ、ひょうたんにかような堅苦しい言葉を使う。気安く頼めばよかろうて」
「そんな横柄な態度は取れないよ。この銀河くんはすごい逸品なわけだし」
ひょうたんは、宇宙の根源神たるアメノミナカヌシがつくりしモノである。
山神が明日の天気を話すくらいの気安さで、教えてくれた。
もとは形のないモノであったが、比類なき存在である四霊のうち三体もが湊ひとりのためにと願ったからこそ、この奇妙なひょうたんになってくれたという。
ともかく、ひょうたんは神器である。
神ですらおいそれと手に入れられないからこそ、神宝と呼ばれている。
それを知った湊は、むろんたまげた。心臓が飛び出るかと思った。
かようなだいそれたモノを己が持っていてもいいのだろうかとも思わないでもないが、すでに手放すのは考えられないほどその存在は馴染みつつある。
「とはいえ、そやつはもう誰にも渡したくはあるまいて」
見透かされたような言葉に、湊は一瞬言葉に詰まった。
「――まあ、そうかも」
「神器というモノは、実に厄介よな。人間の心を惑わし、翻弄する、悪魔のようぞ」
やけに真剣な声色と表情で、湊はあたたかい湯に浸かっているにもかかわらず、体の芯がひやりとした。
「神様に関わるモノって、ほんと怖いね」
山神は低く笑う。
「せいぜい呑まれんように、気を引き締めておくがよい」
「肝に銘じておきます」
「まあ、おぬしなら、抗えるであろうよ」
山神が視線を流すと、ひょうたんがじんわりと蝋燭の火を灯すように、明るくなった。
いやに挑戦的である。しかしそれもまた可愛らしいと思うのだから、すでに絆されているのかもしれない。やや言い訳がましい言葉が口をついて出た。
「銀河くんはさあ、便利すぎるんだよね」
液体ならなんでも出してくれる。しかもとめどなく。だが、軽いままで便利なことこの上ないのだ。
「出かける時も持っていきたくなるんだよね」
「持っていけばよかろうよ」
「――それは、マズイでしょ。人に見られたらと思うと気が気じゃないよ」
神の実のように香りを発することはなくとも、この不思議な外見を一目でも目にした者は、瞬く間に虜となってしまうだろう。
山神はうっすら開けた片眼で、ひょうたんを一瞥した。
「それこそ、そやつに頼むとよい」
「どういうふうに?」
「他人の目につかないようにしてくれ。あるいは他人を魅了しないでくれ、といったところか」
湊は両手でひょうたんを包み、声をかけた。
「銀河くん、人の目につかないようにしてみてくれる?」
すうと色が薄くなり、見えなくなった。しかし感触は変わらず、たしかにそこにある。
「す、すごい」
声が震えるほど感動した。
とはいえ、これはこれで問題ではあるまいか。
「このままの状態でバッグとかに入れたら、俺までわからなくなりそうだ。それに外でバッグに向かって話しかけたら、おかしな人扱いされそうな……」
「自覚はあるのだな」
「気をつけてはいるよ、いちおう」
妖怪や神は、基本的に人間には認識できない。
ゆえにその存在が知れる者が、他者から見た場合、独り言を言ったり、笑ったりしているようにしか思えない。
湊も実家にいた際、宿泊客にやや白い目で見られた経験もあった。
「けどまあ、銀河くんに消えてもらうことができるなら、万が一のことがあっても大丈夫そうだ」
「うむ。あとはおぬしが気をつければよいだけであろう」
「そうだね。あ、そうだ。銀河くん、紐をつけてもいい? いや、すっぽり入るカバーの方がいいかな?」
一瞬にして姿をあらわしたひょうたんは派手に星を煌めかせた。
「うお、まぶしい!」
「べらぼうに喜んでおるわ。ほんにわかりやすいやつよな」
湊が薄目になるなか、山神が尻尾の先でひょうたんに触れる。一瞬にして光が収まり、かつ渦巻銀河まで消えてしまい、湊は目を丸くした。
その日の夜。
湊はひょうたんとともに寝室に入った。
麒麟たちからもらった初日からこうしている。居間に置いていたら、寂しそうにしていたからだ。
ことりと、ナイトテーブルに置く。
風呂上がりに磨いたひょうたんは、無事渦巻銀河が現れた。ますます輝きが増したような気がする。とはいえ――。
「ただここに置くのもなんだね。今度、クスノキの木材で台座をつくろうか」
ひょうたんの表面に流星群が流れる。
「喜んでいただけてなにより。うわ、何事?」
さらにひょうたんは、その口から扇状の光を発した。
見上げると、天井に渦巻銀河が投影されている。
「おお、プラネタリウムみたいだ」
照明を消すと、それは本物にしか見えなかった。
ベッドに入っても、依然として星空が広がっている。
「よく眠れそうだよ」
しばらく眺めているうちに、瞼はおのずと下がった。
ひそかな寝息が立ちはじめた頃、湊一人だけの星空のショーは、静かに幕を下ろした。




