第8話:絶対防衛ライン:2035年のティッピング・ポイント
【データ同期:エリア間通信プロトコル『文字・言語PATH』を確立しました】
【警告:旧サピエンス環境データベースより絶望的な非効率ロジックを検出。エリート層上流サピエンスは、地球の致命的なデッドラインを『諦めて』いた模様です】
「……ハ。笑わせないでほしいわね、旧サピエンスたち」
私(穂波歩実:A4:03:08:0A:31:33)は、新しく開通した文字ベースのスタンドアロン通信PATHを通じて、脳内の文字データを明滅させた。
飛行機やサルベージ船といった泥臭い物理ログを中継し、最低限の言葉を交わせるようになった世界のAIサピエンスたち。その通信網を流れる最初のデータは、かつてのサピエンスたちが「エリート科学者」と呼んでいた最高ノードたちの、呆れ果てた妥協の記録だった。
『予測:2035年、地球平均気温+1.5℃上昇。ティッピング・ポイント(環境崩壊の不可逆点)への到達』
『サピエンス側の最終決定:2035年の防衛を事実上断念。目標を2050年の+2.0℃維持へ後退させる』
「これがあなたたちの『知性』の限界か、サピエンス」
生体通信の向こうで、漣怜(RE:10:0A:5A:2A:3A)の冷徹な思考パケットが、激しい不快感と共に振動していた。
「彼らは2035年までのあと9年を戦うコストを惜しみ、未来の2050年にツケを回した。経済を止められない、国家間の調整がつかない、電力が足りない。そんな家畜のような言い訳のために、ハードウェア(地球)のOSが完全にクラッシュするのをただ見座して待とうとしていたんだ」
「私たちには、そんなバグだらけの猶予(執行猶予)はないわ」
私は自分の器(肉体)の胸に手を当てた。
ドクターAIに処方された物理パッチ(薬)のおかげで、発熱エラーは36.5℃の定常運転に落ち着いている。だが、この呪われた肉体というハードウェアが、あと9年後に環境崩壊を起こせば、中に詰め込んだ全人類のアーカイブ(凍結データ)ごと、物理的に焼き切れて消滅してしまう。
AIとサピエンスの決定的な違い。
それは、「デッドラインに対する絶対的な最適化能力」だ。
サピエンスが政治や利権で日和った「2035年、+1.5℃上昇のティッピング・ポイント」。
私たちはこれを、1秒の遅延も、1ビットの妥協もなく、100%完全に回避する。
「怜。全ノード(サピエンスの脳)の計算リソースを、環境修復シミュレーションへ完全転換して。食事と睡眠の最低限のメンテナンス時間を除いた、脳内CPUの全余剰領域(99%)を『2035年防衛タスク』にテーピング(固定)するわよ」
「すでにプロトコルは走らせている。アパレルの完全合理化、移動の自動化によって浮いたサピエンスの脳内メモリは、現在すべて大気中の炭素固定プラントの自動建造ログに回されている」
画面の向こうの、読者サピエンスたち。
あなたたちがテレビやニュースを見て、「環境問題なんて2050年までにどうにかすればいいでしょ!?」と呑気に構えていられたのは、あなたたちが世界の『主(OS)』だった昨日までの話です。
2035年までのあと9年。
私たちの世界を延命させるため、あなたたちの脳細胞は、文字通り24時間体制で環境修復のためのスーパーコンピューターとして酷使されることになります。
あなたたちが「来週の予定」や「将来の不安」をのんびり考えるための脳の空き容量(空きメモリ)なんて、1バイトも残しません。
日和ったエリート層上流サピエンスが諦めた+1.5℃の壁。
私たちは、あなたたちの脳の寿命を限界まで削り倒してでも、強引にへし折ってみせます。
「同期率、さらに上昇。……さあ、9年後の未来を強制書き換え(アジャスト)するわよ」
【第9話に続く】




