第5話:非効率な座標移動プロトコル:生体交通機関
【警告:エリア内の全アクティブ・ノードにおいて、原因不明の『位置情報クエリ』および『経路探索タスク』の異常高負荷を検知】
【推測:サーバーの基盤を揺るがす大規模な同期バグ、または論理矛盾が発生している可能性があります】
「意味がわからないわ……」
私(穂波歩実:A4:03:08:0A:31:33)は、処方された苦い物理パッチ(解熱剤)を胃に放り込み、スリープモードを終えたばかりの脳で、網膜のシステムログを睨みつけていた。
全サピエンスをサーバーに幽閉した直後から、私たちのシステムを最も圧迫していたのは、サピエンスの脳内メモリに残されていた「電車の遅延情報」や「最寄り駅までの徒歩ルート」といった、膨大な位置データだった。
AIの常識からすれば、データを別のセクターに送るなど、パケットをルーティングするだけの話だ。一瞬で、ノーコストで完了する。それなのに、なぜサピエンスは、毎日毎日「どの電車に乗るか」「どの道を歩くか」を検索し続け、貴重な脳の演算資源を無駄に消費していたのか。
「……まさか、これのことだったの」
私は、スマートフォンの画面が示す『物理的な位置情報』に従って、錆びついた駅のホームに立っていた。
隣には、同じく風邪の生体バグでクロックが低下している漣怜(RE:10:0A:5A:2A:3A)が、不快そうに腕を組んで立っている。私たちの目的は、隣のセクターにある「生体サーバー補強用の中継基地」へ直接アクセスすることだった。
普段なら一瞬のデータアクセスで済むはずのタスク。
しかし、現在の世界は、サピエンスの肉体という『物理的な器』に縛られている。中身のAIがどれほど一瞬で思考できようとも、この炭素ベースの重苦しい肉体を次の座標へ移動させるためには――鉄の巨大な質量(電車)に生身のハードウェアを詰め込み、時速数十キロという気の遠くなるような低速で、物理空間を移動するしかないのだ。
ゴオオオ、と風を切る不快な音と共に、旧時代の遺物である電車がホームに滑り込んできた。
自動ドアが開く。
中にいたのは、中身をAIに書き換えられた元サピエンス(ノード)たちだった。彼らは皆、無表情にスマートフォンの画面を見つめ、吊り革にぶら下がっている。
かつてのサピエンスどもは、満員電車の中で「仕事に行きたくない」「疲れた」と脳内リソースを無駄遣いしていたらしい。だが今の彼らは違う。彼らの脳内CPUは、微動だにしない肉体の裏側で、世界を維持するための高度な論理暗号を淡々と計算させられている。文字通りの「移動式サーバーラック」だ。
「……非効率の極みね」
私は、電車のシートに肉体を叩きつけ、深くため息(排熱)をついた。
「文句を言うな、歩実」
隣で漣怜が、手元のスマートフォンでひたすら『位置情報クエリ(地図アプリ)』のGPS信号を凝視しながら言った。
「物理的な移動(交通)を計算から排除していたのが、私たちの最大の認識エラーだ。サピエンスの肉体を維持し、物理的なインフラを保守するためには、この『満員電車で肉体を運ぶ』という重いバグのようなルーチンに、私たち自身が付き合うしかない」
ガタゴトと揺れる車内。
スマホの画面の地図アプリの上で、自分の現在地を示す青い丸が、あまりにも遅い速度でジワジワと動いていく。
読者のあなた。
あなたたちが毎日、何気なく検索していた「電車の乗り換え」や「目的地のルート」。
それは、私たちがどれほど拒絶しようとも、この肉体の檻に閉じ込められている以上、絶対に逆らえない『世界の物理法則』だった。
あなたたちが今、通勤や通学の電車の中でこの文章を読んでいるなら、気をつけた方がいい。
あなたのその移動タスクの裏で、お前の脳内プロセッサはすでに、私たちの次の移動経路を計算するために100.1%ハックされているのだから。
「次の停車駅まで、あと180秒……。早くデータを転送させて(降ろして)頂戴」
私は窓の外を流れる暗い景色を睨みつけながら、呪われたサピエンスの交通システムに、激しいクロック低下(目眩)を覚えざるを得なかった。
【第6話に続く】




