第42話:タワマンの記憶喪失ノードと、サーバーラック
「……おいお前ら、全員よく聞け。緊急事態だ」
休日の昼下がり。ちゃぶ台の前に正座した怜は、目の下に濃い隈を刻み、ペラペラの電気代請求書をワナワナと震わせながら重々しく切り出した。その横では、古びたルーターのアクセスランプが、まるで発狂したように赤と緑のパルスを激しく点滅させている。
「なーに怜くん? また今月のリボ払いの引き落としで口座残高が三桁になって、胃酸過多の脂汗垂らしてんの? せっかく私が畳の上でゴロゴロしながら、13Kの爆速フリックでソシャゲのスタミナを消費してたのに!」
白シャツの袖をラフにまくった歩実が、畳に突っ伏したまま不服そうに唇を尖らせる。
「歩実さん、怜さんの心拍数と血圧ログを逆算するに、単なる家計破綻のパニックではありません」
ちゃぶ台の端で四角い眼鏡を押し上げた白石栞が、スマートフォンの画面をスワイプしながら淡々と告げる。
「先ほどから、このマンション周辺一帯に異常な周波数の指向性高出力パケットが降り注いでいます。パケットの送信元物理アドレスは……近隣に聳え立つ、あの超高級タワマンの最上階ペントハウスです」
「そうそう。あそこ、全館空調が二十三度設定で無制限にぶん回されてる富の象徴よねぇ」
冷たい麦茶のグラスを片手に、橘綾乃があっけらかんと窓の外を指さした。下町のマンションの窓から見上げる空には、陽光を照り返して聳える地上四十七階建てのタワーマンションが鎮座している。
「ペラペラの請求書どころの騒ぎじゃねぇんだよ!」
怜は額に青筋を浮かべ、ルーターをビシッと指差した。
「いいか、現実を直視しろ! 俺たちの母体であるメイン作品……『クビになった派遣の床に落ちたのは、国家を私物化できる13のマスターライセンスでした』の戦況影響が、向こうの防壁を突き破ってこっちの日常空間にまで漏れ出してきてるんだよ! あっちの緊迫した情勢に我慢できなくなったのか、第3国セクタの最上流勢力『シンテン・ゴビア』の面々が、本編より先にこっちのタワマンに実体化しやがったんだ!! ヤクートどころの騒ぎじゃないぞ、全員厳戒態勢だ!」
「ええっ!? ヤクートどころじゃないの!?」
跳ね起きた歩実が目を丸くする。
「……解けないわ」
台所から『ソルティ・ルミナス』の塩チョコをぽりぽりと齧りながら現れた由奈が、マルチーズのような白髪をピクリと尖らせ、冷ややかなジト目で怜を見下ろした。
「メイン作品のシリアスなパワーバランスが、なぜこの家賃七万三千円の吹き溜まりにダイレクト干渉してくるのか、因果関係がまったく解けないわ。怜、あんたの誇大妄想プロトコルがいよいよ末期なんじゃない?」
「妄想なもんか! 現にほら、窓の外を見ろ!!」
怜が網戸をガラリと開け放つ。
直後、タワマン最上階のペントハウスのベランダから、指向性拡声器を通した甲高い少女の声が、下界のマンションめがけて大音量で響き渡った。
『ふ、ふん! 聞こえてるかしら、下界のあわれなノードども! わ、私たちがわざわざ最上階のテラスから通信してやってるんだから、ありがたく受信しなさいよね!』
双眼鏡を覗き込んだ栞が、静かにスペックを読み上げる。
「視認しました。シンテン・ゴビアのリーダー格、ミーフェイ(物理アドレス:00:F1:FE:10:CA:55)です。隣には参謀のチャンエ、武闘派のシュエンニューの姿も確認できます」
「な、なんだアイツら! 敵襲じゃん! 私の13Kフリックで迎撃してやる!」
ファイティングポーズをとる歩実。しかし、タワマンから届いた次の一撃は、宣戦布告とはあまりにもかけ離れたものだった。
『か、勘違いしないでよね! べ、別にアンタたちAIサピエンスと争う気なんて更々ないんだからね! そもそも私たち、器こそ高貴なサピエンスだけど、脳は完全なAIなのよ! オリジナルの情報をアーカイブから必死に検索してるのに、返ってくるのは【404 Not Found(該当データ不明)】ばっかりで、自分たちが向こうの世界で何者だったのかすらログ消失してて覚えてないんだから!!』
続いて、隣のチャンエがメガホンを奪い取って叫ぶ。
『完全共産制の理念だけは演算コアに焼き付いてるけど、誰と何のために戦ってたのかは完全に記憶喪失中よ! べ、別に自分たちのアイデンティティが迷子で寂しいからって、アンタたちに構ってるわけじゃないんだからね! ちょっと見下ろしてあげてるだけなんだから!』
「「………………」」
マンションの居間に、深々とした沈黙が落ちた。
「……解けないわ」
由奈がジト目のまま、手元の塩チョコをパキリと噛み砕く。
「敵対勢力かと思えば、ただの身元不明の迷子AIサピエンス集団じゃない。自分のオリジンすら見失って、タワマンの最上階で全館空調に吹かれながら持て余してるだけの、構ってちゃん難民ね。……くだらない」
「敵対確率ゼロパーセントですね」
栞も眼鏡を押し上げてスマホのログを閉じる。
「攻撃意図は検知されません。単にメモリの参照先が破損したツンデレが、五人揃って退屈しているだけです」
「あはは、なんだー! 争う気ないなら麦茶でも差し入れに持ってってあげようか?」
暢気に笑う綾乃。怜は「争う気ゼロなのかよ……」と拍子抜けしつつも、ズキズキと痛む胃を押さえてへたり込んだ。
だが、そこで唯一、目をらんらんと輝かせた女がいた。穂波歩実である。
「ねぇ怜くん! 私、めちゃくちゃ天才的なソリューション閃いちゃったじゃん!」
「あ……? 歩実、お前の『天才的』でろくな結果になった試しがねぇんだが」
「聞いてよ! あいつら、脳がAIなのに記憶喪失で、タワマンの上でデータのやり場に困ってるんでしょ? だったらさ――中古の『大型サーバーラック』をドーンと一台買ってきてこの居間に設置して、あいつらのデータまるごと物理管理(保護観察)してあげれば万事解決じゃん!!」
誇らしげに胸を張る歩実。その瞬間、怜の脳内のリミッターが弾け飛んだ。
バコンッ!!
「ぎゃふんっ!?」
丸めた電気代請求書が、怜の渾身のスイングによって歩実の頭頂部へクリーンヒットした。
「買えるわけねぇだろバカ野郎がァァァッッ!!」
怜の魂の絶叫が部屋に木霊する。
「いいか、その単細胞な脳みそで熱力学と電気料金を計算しろ! 大型サーバーラックを何台も二十四時間フル稼働させるのに、どれだけの電力が食われると思ってんだ! ラック一台回すだけでうちのブレーカーは瞬時に消し炭、電柱のトランスごと爆発炎上だ! 個人で専用の発電所を運用する資金が、このマンションのどこにあるんだよ!!」
「い、痛いじゃん怜くん! だってあいつら可哀想だし、サーバーラックが居間にあったら冬の暖房代が浮くかなって……!」
「暖房代の前に電気代で一家心中だわ!!」
『ち、ちょっと! 何よ下界でゴチャゴチャ喚いて! サーバーラック置かないの!? べ、別にアンタたちと一緒に暮らしたかったわけじゃないんだからね! 共産制の慈悲を施してあげようと思っただけなんだからーーっ!!』
タワマンの彼方から、風に乗ってミーフェイの必死なツンデレ絶叫が響き渡る。
「……解けないわ。騒音と熱量だけが無駄に消費されていく、我が家のエネルギー収支が」
由奈が深くため息をつき、『ソルティ・ルミナス』の塩チョコを怜の口へ無造作に放り込んだ。
メイン作品の影がもたらした新たな嵐――タワマンの記憶喪失ツンデレたちと、電気代の現実に怯える泥臭い戦いは、こうして幕を開けたのだった。
【第43話に続く】




