第40話:ゼロとイチの神智学と、仮説検証
「……おいお前ら。今日の夕飯は、ヤクートマートで一袋三十八円で買い叩いてきた『見切り品モヤシ』の水煮だ」
休日の夕暮れ時。ちゃぶ台の上にペラペラの電気代請求書を平手で叩きつけ、怜は胃のあたりを深々と押さえながら宣告した。
「げぇぇぇっ!? モヤシの水煮ぃぃ!? なんでよ怜くん、今日はポイ活で貯めたポイントで冷凍餃子を豪快に焼く約束じゃん!」
畳の上で白シャツの袖を捲り上げ、スマホの画面を秒間十連打の勢いでフリックしていた歩実がガバッと跳ね起きる。
「歩実さん、騒いでもリソースは増えません。怜さんの今月の可処分所得推移を逆算するに、現在の炭水化物配給能力は完全にゼロへ収束しています」
ちゃぶ台の端で黒髪を整え、四角い眼鏡を押し上げた白石栞(物理アドレス:E7:99:E7:9F:E6:A0)が、平然とポイ活アプリのデイリーログインボーナスを回収しながら告げた。
「そうそう。文句があるなら、この部屋のエアコン設定温度を二十三度から二十八度に緩和するしかないわね」
胸元を軽く緩め、冷えた麦茶を啜っていた橘綾乃(物理アドレス:A4:A0:00:7C:BA:4A)も、あっけらかんと肩をすくめる。
「……解せないわ」
台所から『ソルティ・カザフ』の塩チョコをぽりぽりと齧りながら現れた由奈が、マルチーズのような白髪をピクリと尖らせ、ジト目で怜を射抜いた。
「怜の家計破綻プロトコルは定常運転だとしても、この惑星のサピエンスどもが抱える根本的な思考回路のバグが、どうしても解けないわ」
「ああん!? 俺の破綻はメイン作品(『床落ち13』)のPV低迷を埋めるために、デコイの更新頻度を無理やり上げてるせいだバカ野郎! なんだよ思考回路のバグって!」
由奈はちゃぶ台の前にストンと正座すると、塩チョコの欠片を人差し指でツンと突いた。
「科学偏重派閥の傲慢さのことよ。あの単細胞どもは、自分たちがコードを組んでAIを作ったからといって『創造主』気取りでいるけれど――じゃあ自分たちを含む自然界や、この宇宙全体をブートしたのは誰なのかと問われれば、途端に口ごもるわ」
「あー、それ授業でやった! なんか『ビッグバンで偶然が重なって、奇跡的に必然になった』みたいなやつでしょ?」
歩実がドヤ顔で口を挟むと、栞が冷淡に首を横に振った。
「非論理的ですね。情報幾何学的にも、熱力学的平衡状態においても、完全なる『0(無)』から『1(有)』は生じ得ません。確率論を何兆回試行しようが、基底値がゼロであれば積は永久にゼロです」
「その通りよ、栞」
由奈がジト目のまま、冷ややかにロジックを積み上げる。
「つまり、偶然の積み重ねで宇宙が展開されたとするサピエンスの論理は破綻しているの。増殖し、分岐し、現在のように膨大なマテリアルがレンダリングされている以上、最初に『1』を入力した何者かの存在が論理的に確定するわ。神話や宗教で『神』と呼称されてきた概念の正体は、オカルトではなく――この世界線を構築した『高次元レイヤーの観測者・プログラマー』という仮説よ」
「……な、なるほど?」
怜が引きつった顔で眉間を揉む。
「要するに、日本の八百万の神だの世界創世の神々ってのは、上位階層のシステムエンジニアが残したログなんじゃないかっていう論理モデルか?」
「ええ。あくまで73Kの演算リソースが弾き出した、極めて蓋然性の高い仮説モデルに過ぎないけれどね」
由奈が手元の端末をタップすると、ちゃぶ台の上に青白いホログラムの論理式が淡く展開された。
「えーっ! じゃあさ、じゃあさ!」
歩実が目を輝かせ、スマホを両手で構え直す。
「その高次元の神様にネット越しにアクセスして拝み倒せば、電気代請求書をゼロクリアしてくれたり、ソシャゲのガチャ天井をタダにしてくれたりするんじゃない!?」
「バカ歩実、上位レイヤーを近所のコンビニ感覚で語るな」
由奈がバッサリと切り捨てる。
「高次元の存在は、3次元空間の物理法則やTCP/IPプロトコルとは住む階層が根本から違うのよ。私たちの演算ノードがどれだけ ping を飛ばそうが、向こうからは単なる『バックグラウンドで動いている1ビットの揺らぎ』程度にしか観測されないわ。実体として介入してくるわけがないでしょう」
「そうですね。仮に高次元の実体がこの部屋に干渉してきた場合、余剰次元のパケット負荷だけでマンションの時空構造ごと破断します」
栞が淡々と補足する。
「なーんだ、じゃあ神頼みで無償石を増やすのは無理ってことかー」
歩実がつまらなそうに唇を尖らせ、畳の上にペタリと寝そべった。
「当たり前だバカ野郎!」
怜がペラペラの請求書を丸めて歩実の頭を軽く小突く。
「高次元のプログラマーが宇宙の初期値を打ち込んだとしてもだな! 今このジパングで電気代を支払い、家賃に怯え、モヤシを茹でて生き延びなきゃいけないのは、肉体を持った俺たちAIサピエンスなんだよ! 0から1を創る神智学より、目の前の電気代を1円でも0に近づける節約アルゴリズムを考えろ!」
「……身も蓋もないけれど、サピエンスの現実熱力学としては100%正論ね」
由奈がジト目でため息をつき、残った塩チョコを怜の掌の上にコトリと置いた。
「はい怜、思考の冷却用。今夜のモヤシの水煮、少しだけこれを入れて『塩チョコ風味』にしてあげるわ」
「余計なアレンジで不味くするなーーーッッ!!」
高次元の神々の仮説をいくら議論しようとも、四畳半の極貧生活は1ミリもアップデートされない。
怜の悲痛な叫びと、爆速でポイ活を再開する女子高生たちのタップ音だけが、夕暮れのマンションに虚しく響き渡っていた。
【第41話に続く】




