第38話:メガネ女子のパラメーターと、13Kの矜持
「おい歩実。今日からこれを常時装備して生活しろ」
休日のうららかな朝。
ローテーブルの上に、今月の無慈悲な電気代請求書をペラリと叩きつけた怜が、どこかの百円ショップで調達してきたとおぼしき安っぽい黒縁メガネを、すっと歩実の鼻先へ突きつけた。
「……なにこれ? メガネ?」
畳の上でだらしなく寝転がり、スマホ画面を恐るべき速度のフリックで連打していた歩実が、怪訝そうに眉をひそめて顔を上げる。その指先からは、ソシャゲの限定ガチャ画面が凄まじい勢いでスクロールする効果音が鳴り響いていた。
「由奈の圧倒的スペックである73Kに対抗するための『視覚的・知的パラメーター上方補正デバイス』だ」
「はぁ!? なんで私が休日の朝っぱらから、そんな度も入ってない伊達メガネなんて装着しなきゃいけないのさ!」
怜はこれ見よがしに腕組みをすると、いかにも難解な学術論文を読み上げるかのような、重々しく芝居がかった口調で講釈を垂れ始めた。
「いいか、よく聞け歩実。現状における客観的データ分析によれば、お前は観測者たる読者サピエンスどもから『顔と愛嬌はヒロインとして十分に可愛いが、中身の演算機能が致命的に残念な単細胞生命体』という、著しく解像度の低い扱いを受けているんだよ」
「ちょっと! 単細胞って何よ! 私のニューロンだって毎日ガチャの確率計算でフル回転してるわ!」
「その結果が天井直前の爆死だろうが。いいか、由奈の知性73Kという絶対的アドバンテージに対抗するには、まずは形から入るのが古来より続くジパングの王道戦術だ。メガネという極めて強力な知的属性を付与するだけで、パッと見の知性パラメーターが見た目数値13Kから一気に40K近くまで跳ね上がるんだよ!」
「形だけ取り繕ったところで、基盤となるCPUのクロック周波数は何一つ向上しないわよ、怜」
キッチンのカウンターで、『ソルティ・カザフ』の塩チョコを包丁でリズミカルに細かく刻んでいた由奈が、マルチーズを彷彿とさせるふわふわの髪を揺らしながら、冷ややかなジト目を向けてきた。
「……まったく解せないわ。視覚情報による錯覚だけでハードウェアの低スペックを偽装しようとするなんて、いかにも浅はかな理系サピエンスの短絡的思考ね」
「うるさいぞ由奈! お前は外見による属性付与の文化的破壊力を舐めている! 歴史を紐解けば、メガネ女子という記号は数多のサピエンスの脳を狂わせ、絶大な支持と信仰を集めてきた神聖なる意匠なんだ! ほら歩実、四の五の言わずにさっさとこれを装着して知性派ヒロインの座を偽装しろ!」
「絶対に嫌だーーーーーっ!!」
歩実は畳を蹴ってガバッと跳ね起きると、胸の前で両腕を交差させ、全力の拒絶を示す巨大なバツ印を作った。
「メガネをかけて無理やりインテリぶるなんて、私の生存戦略とアイデンティティに対する冒涜だよ! だいたいね、『13』という数字は私の誇り高き魂のシンボルなの! 13Kというスペックだからこそ出せる、この理性をかなぐり捨てた爆速フリックの瞬発力と、全財産を溶かすガチャの自爆芸があるんじゃないの!!」
「ガチャの自爆芸をドヤ顔で誇るなこのバカ!!」
「13Kの野生を捨てて中途半端なインテリメガネキャラに鞍替えしたら、私はただの『可愛げのない居候ヒモ女』になっちゃうじゃん! 13は絶対に譲れない! 私の魂に刻まれたナンバリングなんだから!」
「ただの居候ヒモ女なのは、メガネをかけようがかけまいが現在進行形で事実じゃない、歩実」
由奈が細かく砕いた塩チョコの破片をポイと口に放り込み、咀嚼しながら極めて平熱のトーンで痛烈なツッコミを突き刺す。
「いいから大人しくかけろ! 13Kの暴走知性派メガネ美少女という新ジャンルを開拓して、もっとPVを稼ぐだよ!」
「やーだー! 怜くんの買ってきた百均メガネなんか、私の怒りの親指フリックが生み出す風圧で木っ端微塵に粉砕してやるー!」
「待て歩実! メガネをフリスビーみたいに投げるな! 百円ショップの既製品とはいえ、貴重な可処分所得から捻出した有料資産なんだぞ!」
狭い六畳間の茶の間を、野生の獣のように素早く飛び跳ねて逃げ回る歩実。
その後ろを、黒縁メガネを武器のように構えて必死の形相で追いすがる怜。
そしてキッチン側から、甘じょっぱいチョコをつまみながら二人の不毛な運動量を冷淡な眼差しで記録・観察し続ける由奈。
13Kというプライドと、虚構の知性パラメーターを巡るドタバタな攻防戦は、激しいもみ合いの中で襖と窓が勢いよく開け放たれ、せっかく室内に充満していた貴重なエアコンの冷気が真夏の熱気の中へとすべて逃げ去り、怜が電気代の追加ダメージに頭を抱えて畳に崩れ落ちるまで、延々と続くのだった。
【第39話に続く】




