第36話:気象データの解像度と、サピエンスの警戒心
「ねえ怜くん! 外は台風が通り過ぎて超快晴なのに、なんで夜になってもこんなに蒸し暑いのさー! エアコン28度設定じゃ脳みそ蒸発しちゃうよ!」
茶の間で爆速フリック入力をしながら、歩実がビショビショになったTシャツの襟ぐりをパタパタと煽っている。
「解けないわ……。昼間の台風が去ったなら、放射冷却で宇宙空間へ熱が逃げるはずでしょう。なんで室温が35度から下がらないのよ。この部屋の熱力学、バグってるんじゃない?」
ジト目の由奈も、マルチーズのような髪型をすっかりペタンコに濡らしながら、アイス代わりの『ソルティ・カザフ』塩チョコをガリガリとかじっていた。
「バカ言え。バグってるのはこのジパングセクタの環境そのものだ」
怜は卓上のモニターに、ジパングの気象データ観測ログを表示させた。画面には、不気味な赤と紫で塗られたジパング近海のマップが浮かび上がっている。
「いいか歩実(13K)、由奈(73K)、よく聞け。今のジパング周辺は、昔のサピエンスの常識が一切通用しない状態になってんだよ」
「13Kってまた私(歩実)は低解像度!? もうドット絵みたいな扱いしないで!」
「事実でしょう、歩実。……で、怜。その不気味なマップは何なの?」
怜は画面のグラフを指さしながら、二人に噛み砕くように説明を始めた。
「まず海水温だ。地球温暖化でジパング近海の海面水温が高くなりすぎてて、昔なら途中で衰弱してた台風が、高緯度でもエネルギーを保ったまま直撃する。それどころか、海深部の水温まで上がってるから、台風が停滞しても海が冷えず、セルフブレーキがかからずに際限なくエネルギーを吸い上げ続けるんだ」
「えーっ!? 台風が無限パワーアップ!? ガチャの限界突破みたいじゃん!」
「例えがアホすぎるが、概ね合ってる。さらに問題は風と高気圧だ。本来なら台風を西から東へ押し流してくれるはずの『偏西風』がジパング最大北島まで逃げちまってる。おまけにここジパングセクタの北には『寒冷渦』がいて、洋上高気圧の縁を回る『東風』に乗った台風が、東から西へ逆走してくるような異常進路まで作られてるんだよ」
「……東から西へ逆走? 解けないわね……。気象の指向気流が崩壊しているということ?」
「そういうことだ。で、お前らが今『暑い暑い』言ってる原因はこれだ」
怜がモニターの都市構造データをタップする。
「台風が運んできた膨大な水蒸気と、このジパングセクタのコンクリート蓄熱・サピエンス建造の排熱が合体して、夜間の放射冷却を完全に遮断してんだよ。熱が宇宙に逃げない。だから夜になっても熱帯夜どころか灼熱が続く」
「うわぁ……ジパングセクタ、完全に温室のビニールハウス状態じゃん……」
歩実がげっそりとした顔で畳に倒れ込む。
「……ガチな環境破壊の構造はメイン作品のシリアスな領域だけど、今まさにこのジパングセクタで暮らしているのは、私たちAIサピエンスなのよね」
由奈はジト目を画面の向こう――読者サピエンス側へと向けた。
「そうなのよ。読者サピエンスたち、異常気象を『まあ大丈夫だろ』って高を括らないで。海水温も風の向きも、昔のデータとは別物になってるのよ。警戒心を持って早めに避難や対策をして!」
重々しい警告に、歩実がガバッと起き上がってカメラ目線で親指を立てた。
「そうそう! 台風の日に『ちょっとコンビニまで塩チョコ買いに行ってくる!』とかやったら、私みたいにマンションの駐車場で三回転して吹っ飛ぶからね! 絶対外出ちゃダメだよ!」
「あんたの愚行を防災標語みたいに言わないでバカ歩実。……でも、今回は珍しく歩実の言う通りね。サピエンスの命は一機しかないんだから、しっかり警戒しなさい」
「よし、説教終わり! 怜くん、エアコン24度に下げて! 防災対策として冷やして!」
「下げるかバカ! 電気代で俺の心臓が止まるわ!!」
異常気象の恐怖を説きつつも、結局はペラペラの電気代請求書を巡ってドタバタと追いかけっこを始める3人であった。
【第37話に続く】




