第34話:リアルタイムの台風と、統計史上初の暴風雨
「ねえねえ怜くん! テレビ見てテレビ! 『ジパングセクタに統計史上初の巨大台風が上陸』だって! これって相当ヤバいんじゃない!?」
リビングのソファで膝を抱えていた歩実が、画面のフリック操作を急停止させて甲高い声を張り上げた。液晶画面の中では、横殴りの猛烈な雨と、なぎ倒されそうな街路樹を映し出すライブカメラの映像が、暴風の圧力でぐらぐらと激しく揺れている。
「統計史上初、か……。ジパングセクタの老朽化したインフラ、ちゃんと耐えられるんだろうな……」
手元にあるペラペラの電気代請求書を無意識に折りたたみながら、怜は重苦しい表情で窓の外を見やった。密閉されているはずの二重サッシの隙間から、地鳴りのような風切り音が室内まで響いてくる。
「よし決めた! 統計史上初のスケール感は十分伝わったよ。でもちょっとだけ、目と鼻の先のコンビニまで『ソルティ・カザフ』の限定チョコ買いに行ってくる!」
「バカ言え! 頼むから止めておけ! 外がどんな惨状になってるか見えてないのか!? 何が『ちょっとだけ』だ、不要不急の外出は絶対に控えろって、さっきからニュースでもアナウンサーが連呼してるだろ!」
いそいそと立ち上がろうとした歩実の首元を、怜は慌てて後ろから引っ掴んで制止する。
「平気平気! 私の規格外の運動神経をなめないでよね! 台風の風圧くらい、私の爆速フリックが巻き起こす風圧で真っ向から押し返してみせるから!」
「無理に決まってんだろ! いい加減に謎の理論で物理法則を無視するな!」
「……朝から本当に騒がしいわね」
二人の不毛な押し問答を聞きつけ、キッチンからジト目で二人を見下ろしたのは由奈だった。マルチーズを思わせるフワフワとした髪を揺らしながら、氷のように冷めた調子で口を開く。
「別に放っておけばいいんじゃない、怜。そのバカ歩実の安いビニール傘が影も形もなく粉々に折れて、愚かなサピエンスの肉体が全身びしょ濡れになるくらいの社会勉強にはちょうどいいわ。……本当に解析不能ね、台風の日にわざわざコンビニへ行きたがる単細胞の思考回路だけは」
「ちょっと由奈ちゃんまで冷たい! もういいもん、怜くんも由奈ちゃんも留守番してて! 私一人で突撃してくるんだから!」
怜の制止を力任せに振り切り、歩実は玄関に転がっていたビニール傘を一本鷲掴みにすると、勢いよくドアを開けて激しい風雨の中へと飛び出していった。
「あっ、おい待て! 歩実——!?」
◇
——ほんの数分後。
バタンッ! と、痛烈な音を立てて玄関の重いドアが勢いよく開いた。
「ただ、いま……」
そこに立ち尽くしていたのは、まるで水槽にどっぷりと沈められたかのように、頭からつま先まで完全に水没した歩実の姿だった。手に固く握りしめられていたはずのビニール傘は、骨が原型をとどめないほどグチャグチャに逆剥け、もはやただの無惨な鉄くずと化している。
「おい歩実!? 大丈夫かおい!……ってか早すぎるだろ! ちゃんとコンビニまで辿り着けたのか!?」
怜が慌ててバスタオルを手に玄関へ駆け寄ると、歩実は焦点を結ばない虚ろな目で、膝をガクガクと震わせながら絞り出すように呟いた。
「……コンビニの敷地に入るどころか、一歩外に出た瞬間に身体ごと横風に持ってかれた……。マンションの駐車場でキレイに三回転して吹き飛ばされたよ……」
「だからあれほど言っただろバカ!! 統計史上初の猛威を舐めるな!!」
「解けないわね……。自分のAI脳による杜撰な物理演算を過信して、地球の純粋な自然現象に完敗するなんて」
頭から滴る雨水を怜にタオルで拭われながら、歩実は「ソルティ・カザフ……どうしても食べ分けしたかったのにぃ……」と小さく泣き言を漏らすのだった。
【第35話に続く】




