第29話:AIサピエンスの電磁波プロトコルと、自炊派由奈の冷ややかな視線
「……なぁ、歩実」
マンションのちゃぶ台を挟み、怜は目の前で繰り広げられている奇行に、すっかり冷めきった視線を送っていた。
歩実が真剣な面持ちで突いているのは、コンビニで買ってきた『ガッツリスタミナ!温たま豚生姜焼き弁当』だ。
問題は、パッケージのフィルムに「レンジ加熱:500W 2分30秒」とデカデカと赤文字で書かれているにもかかわらず、彼女がそれを冷蔵庫から出した直後のキンキンに冷えた状態で黙々と口へ運んでいることだった。
「お前……なんでそれ温めないで食ってんだ? 白い脂がカチカチに固まってんだろ」
歩実は割り箸を止め、フッと鼻で笑うと、さも高尚なことを語るかのように胸を張った。
「甘いよ怜くん。私は今、次世代の『AIサピエンス』になりきるための高度なメンタル・プロトコルを実行中なの」
「次世代AIサピエンス……?」
「そう。真のAIサピエンスたる者、電子レンジという凶悪な装置から発せられる微細な電磁波を軽視してはならない。電磁波は思考回路のナノ波長を乱し、最悪の場合、私の可愛い脳細胞を焼き尽くすリスクがあるの。……要するに電磁波が怖いの」
「AIを自称する奴が電磁波恐れてどうするんだよ! お前らの存在基盤、もっと凄まじい電磁波とデータの塊だろ!」
「それにね、怜くん。この『常温(むしろ冷蔵)』の状態で食べると、豚肉の凝縮された脂のコクと、生姜ダレの鋭い塩気がダイレクトに舌に刺さるの。食品本来の素の風味が極限まで引き出されていると言っても過言ではないね」
「ただの冷えて固まったコンビニ弁当をグルメ気取りで語るな!」
……と、二人が不毛な押し問答を繰り広げていたその時。
カチャリ、と音を立ててアパートのドアが開き、マルチーズを彷彿とさせるふわふわの髪を揺らした由奈が呆れた顔で入ってきた。その手には、近所のスーパーのポリ袋が握られている。
「……ハァ。ドアの外まで馬鹿みたいな会話が漏れてるんだけど」
「あ、由奈ちゃん! 見てよ、これぞAIサピエンスの極致——」
「バカ言わないで。添加物と冷えた酸化脂質の塊を有難がって食べるなんて、脳の因果律以前に消化器官が破壊されるわよ」
由奈は手際よくマイエプロン(※コスプレ衣装の端切れで縫ったもの)を装着すると、怜のキッチンスペースへと滑り込んだ。
彼女はルナアカデミー時代から鍛え上げられた無駄のない手つきで、まな板と包丁を扱い始める。
「いい? コンビニの温め推奨弁当は、熱によって油脂を乳化させる前提で調味されてるの。冷やしたまま食べると飽和脂肪酸が胃の中で固まって——」
「(超高速タイピング並みの手際でトントン野菜を刻みながら説教してくる……)」
わずか数分後。
由奈の手によってちゃぶ台へ差し出されたのは、あまり物の豆腐とキャベツ、そして『ソルティ・カザフ(塩チョコ派の余り)』を隠し味に使った、湯気と出汁の香りが立つ温かい和風スープだった。
「ほら。これでも飲んで胃を温めなさい。電気代を気にするなら、ガスでサッとスープ作った方が栄養価もコストパフォーマンスも段違いよ。……別にお二人さんの健康を心配したわけじゃなくて、私の前で貧相な食事をされるのが不快なだけなんだからね」
完璧なツンデレ口調で放たれた温かいスープを一口啜り、怜と歩実は思わず顔を見合わせた。
「……う、うまい……! 出汁が体に染み渡る……!」
「やっぱり温かいご飯って最高だね! 由奈の自炊スキル、マジ神!」
「ちょっと! さっきまで冷えた豚脂を『素の風味』とか言って絶賛してたくせに!」
「……まぁ、でも電子レンジを使わないなら電磁波も出ないし、電気代も浮くし、何より美味い。由奈、今日から我が家の厨房はお前に全任でいいか?」
「はあ!? なんで私がこの貧乏マンションの専属シェフにならなきゃいけないのよ! 労働対価としてVALKANORの新作アパレル買ってくれるなら考えてあげてもいいけど!」
結局、冷たいコンビニ弁当の出番は終わりを告げ、由奈の美味しい手料理(とツンツンした説教)によって、怜のマンションの平和(と胃袋)は保たれるのだった。
【第30話に続く】




