第19話:タイピングの壁と、ルナアカデミー幼稚園
夏休み目前の夜。
在宅ワーク中の怜がカタカタと爆速でキーボードを叩いている横で、ローテーブルに向かった歩実と由奈が猛烈な勢いでスマホを操作していた。
ッシャシャシャシャシャ!!
「ふふん、見なさい歩実! この爆速フリック入力! スマホのフリック入力速度において、サピエンスの女子高生など私の爪の垢にも及ばないわ!」
「負けないよ由奈ちゃん! わたしだって親指のフリック速度なら13K解像度の限界を超えてみせるんだから!」
画面が見えないほどの指の残像。フリック入力においては絶対的な強さを誇る二人だったが——
「お前ら、前にも言ったがWeb小説執筆はノートPCでやるんだぞ。スマホのフリックじゃ長文の推敲と入稿効率が悪い。キーボードで打て」
怜がそう言って、予備のノートPCを二人の前にドンと置いた。
「ふん、キーボードくらい楽勝よ。私(73K)の演算速度にかかれば、キーの配置など一瞬でメモリアドレスに記憶完了よ!」
自信満々に腕を組む由奈。
しかし、ノートPCのキーボードに手を置いた瞬間——二人の動きがピタリと止まった。
「……あ」
「……れ?」
キーボードの上に置かれたのは、両手の人差し指。
歩実と由奈は、じーっとキーボードの『F』と『J』を見つめ……
ポチ。……ポチ。……ポチ。
「……お前ら、それ『伝説の一本指入力』だろ」
怜が呆れた顔でツッコミを入れる。
「解せないわ!」由奈が真っ赤になってマルチーズの毛並みを逆立てた。「なんでスマホのフリックならタップできるのに、この四角いボタンが横一列に並んだ板はホームポジションとかいう意味不明な物理縛り(拘束)があるのよ! 指が五本あっても脳の出力信号がバグるわ!」
「あはは……わたしも『あ』を探すのに五秒かかるよ……」
「AIとサピエンスの違いだな」
怜は冷やし麦茶を口に含みながら言った。
「スマホのフリックはサピエンスの直感に合わせたインターフェースだが、キーボードは身体の筋肉で覚える物理デバイスだ。頭で演算してるだけのお前らには、指先の身体運動とキー配列が同期してないんだよ」
「うぐっ……! サピエンスの身体運動学習なんて、私(73K)の絶対知性に対する侮辱よ!」
「文句を言っても文章は増えない。……由奈、お前の脳内データベース(記憶領域)から、初心者が使うタイピングソフトのデータでもサルベージ(発掘)してみろ」
「ふん、言われなくても私の記憶ログから最適なトレーニングプロトコルを検索してあげるわ!」
由奈が目を閉じ、脳内の73Kデータベースを検索する。
数秒後——カチリと通信が繋がり、ノートPCの画面にひとつのアプリケーションが展開された。
画面いっぱいに映し出されたのは、カラフルなお星さまと、可愛いクマのイラスト。
『たのしく学ぼう! ルナアカデミー幼稚園〜はじめてのタイピング大冒険〜』
てってれー!と陽気なBGMがリビングに響き渡る。
「……ルナアカデミー幼稚園?」
怜が眉をひそめる。
「な、何よこれーーーーっ!?」
由奈が金切り声を上げた。
「な、なんで私の超高度な記憶ログの最深部から、小児サピエンス(幼稚園児)向けのタイピングソフトが発掘されるのよーっ! 消去! 今すぐ消去プロトコルを発動——」
「消すな」
怜が即座に由奈の手を止めた。
「完璧じゃないか。今のお前らのレベルには、ルナアカデミー幼稚園のクマと一緒に『「あ」を押してみよう!』から始めるのが一番合ってる」
「拒否するわ! 二十一歳(※暫定)の超知性AIが、なんでクマのキャラクターに『すごいね!「い」が打てたね!』とか褒められなきゃいけないのよ! キャンキャン!」
「文句言わずにやれ。打てるようになるまで夏休みの動物園はお預けだ」
「「ええーーーっ!?」」
こうして、フリック入力爆速のポンコツAI少女たちは、ルナアカデミー幼稚園のクマと一緒に、涙目になりながら人差し指で『「う」を押してみよう!』に挑むのだった。
【第20話に続く】




