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神の骸のオラトリオ  作者: 須江野モノ
プロローグ

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6/22

第6話 『神骸の時代の始まり』

 サピエンティアの炭が崩れ、原初の祭壇から動く神格が消えた。


 血の海と化した黒い石の上には、屠られた神々の死体が無秩序に転がっている。


 戦神ベルムの叩き潰された残骸。

 武神アルマの喉を砕かれた死体。

 時神クロノスの内臓を引き出された亡骸。

 豊穣神フルクトゥスの瓶のようにくびれた身体。

 慈悲神ミゼリコルディアの折られた身体。

 そして、知識神サピエンティアの炭。


 それらが祭壇の床を埋め尽くし、原初の場所は神々の屍の祭場と化していた。


 プレイは、その光景の中央に立っていた。


 白い衣の裾はもはや、原型を留めぬほど血で汚れていた。

 彼女の手も、頬も、髪も、同じく神々の血に染まっていた。

 それでも彼女は、変わらぬ微笑みを浮かべていた。


「あら、皆さま……。もう居ないのね」


 彼女は残念そうに、誰にともなく呟いた。


 祭壇にはもう動く神はいない。


 だが、神話の時代の神々は、まだ全てが死に絶えたわけではなかった。


 プレイが祭壇でベルムを撲殺し、武神を握り潰し、クロノスを解体し、フルクトゥスとミゼリコルディアを抱きしめ、サピエンティアを焼いていた間に、残りの九十柱の神々は、それぞれの判断で祭壇から逃げ出していたのだ。


 ある神は天界の自身の神殿へ。

 ある神は天界の隅の隠された場所へ。

 ある神は地上へと繋がる門へ向かって。


 九十柱の神々は祭壇から散っていた。


 プレイはゆっくりと祭壇の入り口へ歩いた。


 血に濡れた裾を引きずりながら彼女は外へ出ようとした。

 だが、扉の前でふと足を止めた。


「忘れていたわ」


 彼女は白い手を持ち上げる。


 すると、プレイの指先から薄い光の波紋が解き放たれた。

 波紋は彼女を中心として祭壇から、天界の中央へ、天界の最奥へ、隅へ。

 それから地上へ降りる門の手前まで、天界の全てを包んでいった。


 巨大な結界が、神話の時代の天界の全域を覆ったのだ。


 全ての逃げ道が薄い光の壁で閉ざされた。

 神々の誰一人として、もはやこの天界からは逃れられなくなった。


「これで皆さま、私のお庭の中ね」


 プレイは、嬉しそうに微笑んだ。


「三日間。三日間あげるわ。それまで、私から逃げ切れた神様には、特別なお慈悲を差し上げましょう」


 彼女の声は結界の壁を伝って、天界の隅々まで届いた。

 隠れ潜んでいた神々の耳にも、地上へ降りる門の前で結界に阻まれた神々の耳にも、彼女の優しい声は届いていた。


「さあ、楽しい鬼ごっこの始まりよ」


 プレイは白い手を翻し、祭壇から飛び立った。


 神話の時代の最後の三日間が、始まった。



 ――――



 最初に見つけられたのは、技芸神アルスだった。


 彼は天界の片隅にある自身の工房の奥に隠れていた。

 金色の紋様で囲まれた工房は、彼自身の権能で隠蔽されており、本来であれば神々の眼でも看破できぬ領域の筈である。


 だが、プレイには通用しなかったのだ。


 彼女はあっさりと工房を見つけ出し、何も見えぬ筈の空に白い手を当てた。

 すると隠蔽の紋様が浮き上がる。

 その紋様は彼女の手に触れた瞬間、ガラスのように砕け散り、同時に工房への扉が顕になった。


「こんな所に隠れていたのね」


 プレイは扉を一瞬で焼却し、内部へと歩みを進める。

 アルスはもう、逃げることはできなかった。

 

「化物が……!」


 逃げ場を失った彼は工房の中で結界を張った。

 工房は彼の張った結界を起点とし、金色の紋様が周囲に走り、近く空気を鋭く切り裂いていく。 


 攻防一体の巨大な障壁は今まさに、アルスの眼前に迫る悪しき神を屠らんとして膨張を続けていった。


 それを見たプレイは結界の前で立ち止まると、


「あら、綺麗な紋様」


 と言い、結界に白い指先を一本だけ当てた。


 次の瞬間、結界は膨張を止めた。

 同時にガラスが割れるような音が響く。


 結界の金色の紋様が、彼女の指先を起点に、蜘蛛の巣のように亀裂を広げていたのだ。

 広がった亀裂は即座に結界全体を砕き、金色の破片が彼の工房を吹き飛ばした。


 結界の崩壊と共に消し飛んだ工房。

 アルスは最早戦意を完全に失っており、後ろを向いて発狂しながら走り出していた。


 けれど逃げ場はなかった。

 今や、天界のどこにも出口など無いのだ。


 それでも彼は走った。

 技芸を司る神として、最後まで美しくあろうとは出来なかったが、生きてさえいればいくらでもやり直せる事を知っていから。


 プレイは何を思ったのか。

 彼女はただ、笑った。


「逃げ足が速いのね、アルス様」


 彼女は白い手をアルスに向けた。


 直後、空気が震え、彼女の周囲に十数本の槍が形成された。

 それは魔術によって直接編まれた、銀色の鋭い槍だった。


 彼女が片手を振ると槍が一斉に放たれる。


 槍はアルスの身体の至る所を貫いた。

 背中、肩、太腿(ふともも)、腹、首、頭、胸、腕、足。

 最後には彼は、走っていた姿勢のまま、空中で串刺しになった。


 金色の紋様が彼の命の灯と共に消え、彼の死体は十数本の槍に貫かれたまま、瓦礫の上に倒れた。


 そうして神々は次々と屠られていった。


 逃げる神は槍に貫かれた。

 戦う神は引き裂かれた。

 隠れる神は見つけ出されて握り潰された。

 許しを請う神は抱きしめられて骨を砕かれた。

 絶望に膝をつく神は炎に焼かれた。


 プレイは終始、微笑んでいた。


 時には歌いながら。

 時には踊りながら。

 彼女は神々を狩っていった。


 天界は日毎に神々の血と肉と骨で覆われていった。


 そして三日が過ぎた頃。

 天界の中央に位置する広場には、九十六柱の神々の死体が無造作に積み上げられていた。


「さぁ、仕上げね」


 プレイが歌いながら向かったのは天の議場。

 そこに居たのは最後に残った神、議長神プリムスだった。


 彼は円環の中央に立ち、プレイを睨み見つける。


 プリムスは逃げなかった。

 戦わなかった。

 許しを請わなかった。


 彼はただ、最古の神として、最後の同胞として、その場に立っていた。


「……すまぬ、骸殿」


 誰にともなく呟いた。


「儂が、議定の場で、お主の論証の妥当性をもっと深く検討しておれば……」


 その声は震えていた。


「儂は、最古の神である。世界の流れを最も長く見てきた神である。それ故、儂は、お主の予兆を最も深く受け取れた筈じゃった。だが儂は、他の九十六柱の総意を、神話の時代の慣習を優先してしまった……」


 彼は目を閉じた。


「これが、儂の罪じゃ。罪は何らかの形に姿を変え、巡るものよ」


 プレイがプリムスの前に歩み寄る。


 彼女は、相も変わらず微笑んでいた。


「議長神様、貴方で最後ね。最後だから特別。何か言い残した事があったら聞いてあげるわ」


 プリムスは一層強くプレイを睨み、口を開いた。


「祈神よ。祈神プレイよ。先達として貴様に忠告をしてやろう。罪は巡り、最後には必ず罰が訪れる。その罰は必ずやお前を滅するだろう。与える物と失う物、その因果は必ず釣り合うように出来ている。万物はいずれ等価へと収束するのだ」


 彼の声には力があった。


 プレイは彼の言葉を聞き、嬉しそうに目を細めて言う。


「素敵ね。最後まで貴方らしいわ。でも、残念ながらそんな未来は訪れないわ。因果が釣り合うのは、因果が釣り合う様に生きてきたから。私は踏み倒して()()()()()()()()の」


 そう言って彼女は右手を持ち上げ、人差し指を一本立てる。

 そして、ゆっくりと横に動かした。


 瞬間、空間が遥か彼方まで真横に裂けた。


 議場の白い柱が、雲の層が、空気が、プレイの指先の動きに沿って一直線に切断された。

 彼女の指の動きは、世界の構造そのものを切り裂いていた。


 プリムスの身体もその線の上にあった。


 最古の神は、白い髭から白い足の爪先まで、真っ二つに切断されていた。

 彼の身体は上下に分かれ、それぞれが石の上にゆっくりと倒れた。

 古い杖が、彼の右半身の手から滑り落ち、最後には二本別れ乾いた音を立てて転がった。


 プリムスは絶命の瞬間、自らの意識を超えて、本能として思った。


 その思いは祈りだ。


 ひとつの祈りが、彼の中から漏れ出していた。


 もうこれ以上──


 言葉にならぬ祈りだった。

 神格としての自衛本能が、最後の瞬間に発した、ただの叫びに近い祈り。

 プリムス本人は自分が祈ったことを知らなかっただろう。

 彼の意識は、誇りを保ったまま、すでに閉じていた。


 だがその祈りは、確かに発された。

 だから目の前で微笑む祈神プレイへと吸い寄せられていったのだ。


 最古の神も、最後の最後で祈ってしまった。


 九十九柱のうち、最後まで一切祈らなかったのは、死神骸、ただ一柱であった。


 そうして天界に静寂が訪れた。


 プレイは崩れ行く議会の中心で両手を広げ、しばらくその場で笑っていた。


 純粋な歓喜の笑いだった。

 神話の時代を一柱で滅ぼし切った祈神の、根源的な悦び。

 彼女の笑い声は、天界の白石を赤黒く染め上げ、神話の時代の最後の音として世界に響いた。


 ひとしきり笑った後、プレイは切断されたプリムスの死体を、魔術で浮かしながら広場に向かった。


 広場に着くとプレイはプリムスの死体を、神々の死体の中に投げ飛ばした。


 広場に山積みに成った九十六柱の死体。

 戦神ベルム、武神アルマ、時神クロノス、豊穣神フルクトゥス、慈悲神ミゼリコルディア、知識神サピエンティア、技芸神アルス、議長神プリムス。

 そしてその他の神々。


 ゲルミとルドウスの死体はそこにはいなかった。

 彼らは既に天の縁から地上へ蹴落とされていたからだ。

 骸も北の辺境へ堕ちていた。


 残された九十六柱の死体だけが、プレイの前に集められていた。


 プレイは、両手を死体の山にかざした。

 すると、()()()()()()()がゆっくりと宙に浮き上がる。

 血の海を引きずり、内臓を引きずり、肉片を引きずりながら、彼らは天高く浮かんでいた。


「さて、皆さま」


 彼女は宙に浮かぶ血みどろの肉塊達に優しく囁く。


「私の世界の土壌になってくださいね」


 そう言うと、彼女の白い手から見えない力が放たれる。


 すると九十六柱の死体から薄い光の筋が立ち上がっていった。


 それは、彼らが死の瞬間に祈神に向けて無意識に祈った、祈りの残滓だった。


「赦してくれ」


「自分はあなたの敵ではない」


「お慈悲を」


 そしてプリムスの言葉にならぬ叫び。

 その願いの欠片が、神々の死体から漏れ出して、プレイの掌で一つになった。


 一つになった祈りの光は、彼女の手の中で変質していく。

 金色に近い優しい色の光が、徐々に黒く濁っていった。

 神々の悲痛な祈りは、祈神の手の中で、世界を(けが)す呪いへと変わっていったのだ。


「とっても綺麗」


 プレイは満足げに呟いた。


 彼女は変質した黒い光を、九十六柱の死体に再び戻した。

 死体はその光を吸収しわずかに脈打つ。

 そうして神々は、死んでいるが神格としては死に切っていない、奇妙な状態へと変質した。


「さぁ神様達、最期まで働いてもらうわ」


 プレイは手を組み、膝を付いて死体へと祈った。


 すると九十六柱の死体が、広場の上空から勢いよく射出されていく。

 彼らは血と肉を引きずりながら夕暮れの空へ、そして地上の各地へと、放物線を描いて飛んでいった。


 神々の屍は世界中に降っていった。



 ――――



 戦神ベルムの叩き潰された死体は東の山岳地帯に堕ちた。

 落ちた場所では岩が灰色に変わり、動物達が無意味に殺し合うようになった。


 武神アルマの喉を砕かれた死体は、北方の闘技場跡地に堕ちた。

 落ちた場所では人々が理由もなく殴り合うようになり、武の技は破壊の為だけに使われるようになった。


 豊穣神フルクトゥスの瓶のようにくびれた死体は、中央平原の麦畑に堕ちた。

 麦は異常成長し、巨大な穂を実らせたが、その実は猛毒だった。


 慈悲神ミゼリコルディアの折られた死体は、西の街の教会に堕ちた。

 教会では祈りが歪み、慈悲の言葉が呪詛(じゅそ)へと変質した。


 時神クロノスの内臓を引き出された死体は、南の大陸の砂漠に堕ちた。

 砂漠では時の流れが乱れ、一日が千日となり、千日が一日となる場所が生まれた。


 知識神サピエンティアの炭となった死体は、北の学術の街に堕ちた。

 書物は読む者を狂わせ、知識は人を破滅させる毒となった。


 技芸神アルスの槍に貫かれた死体は、東の城市に堕ちた。

 技芸は腐敗し、職人達は作品を作る度に自らの命を削るようになった。


 議長神プリムスの真っ二つに切断された死体は、世界の中心の都市に堕ちた。

 最古の神の死体は、巨大な裂け目を都市に刻み、その裂け目は時を超えて、いつまでも閉じることがなかった。


 かくして九十六柱の神々の屍が、世界中の各地に堕ちていった。


 堕ちた場所では、それぞれの神格が司っていた概念が暴走し始めた。


 こうして神々は祈神に祈らされ続けていた。

 屠られた後も、彼らの神格はまだ存続していた。


 プレイは彼らを殺しただけで、()()()砕かなかったのだ。

 だから彼らは本当の意味で死ぬことはできず、欠片となって地上に散らばってもなお、永遠に祈神に祈らされ続けた。


 その祈りが、地上へ漏れ出した。


 漏れ出した祈りは、概念の暴走となって、土地を侵していった。

 これが、後に『神骸の時代』と呼ばれる、世界の穢れの始まりだった。


 ただ一柱、骸の神骸だけは違った。


 北の辺境、誰の地図にも載らない洞窟に、彼の屍は静かに横たわっていた。


 彼の神格はプレイによって砕かれていた。


 神話の時代の骸は、概念を司る神々の中でも頂点に位置する力を持っていた。

 彼は剣を取れば負け、格闘では競えば負ける、()()()()()()()()()()並程度の神である。

 神々の絶頂の時代たる戦神も武神も、技においては彼を凌駕した。


 だが本気で戦えば、彼に勝てる神は一柱もいなかった。


 死を司るとは、全ての存在に「終わり」を与え得るという事。

 それこそ、戦の神も、武の神も、時の神も、本気の骸には敵わぬ理由だった。


 そして祈神プレイにすら、骸の死の権能は通じた。


 死という概念だけは、あらゆる概念の最上位に位置する究極の存在であるが故、それを前提に生まれる生命は何人(なんぴと)もそれを超越する事は出来ないのだ。


 九十八柱の総和を超える力を持つ祈神も、神格として存在する以上『終わり』を与えられる存在だった。

 骸の概念の剣に触れていれば、プレイは即座に殺されていた。


 だからこそ、プレイは生まれた瞬間に、真っ先に骸へ向かったのだ。


 議場の論証への報復だけではなかった。

 祈り集約システムの例外を排除する為だけでもなかった。


 骸の死の権能だけが世界で唯一、自分を殺せる力だった。


 だからプレイは誰よりも早く、誰よりも完全に『死』を消し去る必要があった。

 骸の認識速度を超える速さで、骸の権能の中心を貫く必要があった。


 骸の神格が砕かれた瞬間、世界からプレイを殺せる存在は消滅した。


 他の九十八柱とは違って、骸だけは本当の意味で殺されていたからだ。


 けれど、彼は最後まで祈神に祈らなかった。

 だから祈りを奪われなかった。


 彼の屍は欠片へと砕けなかった。

 砕く神格そのものが、もう存在していなかったからだ。


 残されたのは、肉体と魂だけだった。


 奪われていない魂。


 それは、彼自身が他者から祈りを受けることを拒み、彼自身が他者へ祈りを向けることもなかったが故に、誰にも触れさせなかった彼自身の核。


 祈らない者であり続けたからこそ、彼の魂は誰にも奪われずに済んでいた。


 その奪われなかった魂が、長い長い年月をかけて、彼の肉体に代わる新たな神格を編み直していった。


 だから彼の周囲には、彼の神骸の周りには何の異変も起きなかった。


 穢れは彼の周囲には及ばなかった。

 岩は岩のまま、雪は雪のまま、風は風のまま。

 骸の眠る洞窟の周囲だけは、神話の時代の正しい世界の姿を保っていた。



 ――――



 神話の時代の天界では、祈神プレイが両手を広げていた。


 全ての神を屠り終えて世界に飛ばした彼女は、ゆっくりと飛び立ち天界の中央、神々の神殿が並ぶ場所へと降り立った。


 空席となった神殿の数々を、彼女は微笑みながら見渡した。


 そして、白い手を持ち上げ天界の門を閉じた。


 乾いた音を立てて、神話の時代の天界が、永遠に封鎖されたのだった。


 地上から天界へ通じる道は全て断たれた。

 神々が地上を見守るために使っていた窓も、神格と人々を繋いでいた祈りの回路も、全てプレイの意思によって遮断された。


 彼女は地上へ降りるつもりはなかった。


 彼女の目的は永遠の祈りの搾取であり、人類を滅ぼすことではなかった。

 生きていない者は祈らない。

 祈らない人類は彼女の糧にならない。


 だから人類は生かしておかねばならなかった。


 しかし、彼女自身が地上を巡るのは効率が悪かった。


「ふふ。さぁ、おいで」


 彼女は両手を合わせて祈る。

 すると空き家となった神殿に四つの光が灯った。


 光は、それぞれ異なる色を帯びていた。

 柔らかな白光、暗い赤光、淡い薄紅、そして金光。

 それぞれの光が人の形を取り始めた。


 こうして四柱の使徒が生まれた。


 最初の白光は、しなやかな体つきの女の姿となった。

 優しげな顔立ちだが、性別を超越したような存在感を持っている。


 プレイは彼女に微笑みかけた。


「貴方は慈使(じし)のミゼリア。慈悲を司り、人々の苦しみに寄り添いなさい」


 ミゼリアは深く頷いた。


 次の赤い光は、長身痩身の男の姿となった。

 青白い肌、感情の読み取れぬ冷たい眼差し。


「貴方は怨使(えんし)のマレディクス。呪いと罰を司り、人々を恐れさせなさい」


 マレディクスは薄く目を細めただけだった。


 三つ目の薄紅の光は、小柄で華奢な女の姿となった。

 陶器のような白い肌、頬に薄い赤み、薄紅色の髪。

 どこか幼さの残る顔立ち。


「貴方は乞使(こし)のオラティア。祈願と乞いを司り、人々の願いを集めなさい」


 オラティアは両手を組んで遠慮がちに頷いた。


 最後に立ち上がった金光は、最も年長に見える男の姿となった。

 四十代前半、誠実そうな顔立ち。

 他の三使徒とはどこか異質な気配を纏っていた。


「貴方は誓使(せいし)のヴォトゥス。誓いを司り、人々を律しなさい」


 ヴォトゥスは無言で胸に手を当てた。


 四使徒はそれぞれの性質をプレイから与えられて誕生した。

 彼らはプレイの意思を体現する神格の派生体であり、彼女の代理として地上を統治するための装置だった。


「皆さま」


 プレイは四使徒に向けて優しく告げた。


「地上を四分割して統治してください。人々から祈りを集め、私の元へ送り続けるのです。人々が私の存在を意識せぬまま、しかし彼らを永遠に祈らせ続けるのが貴方達の役目です」


 四使徒は揃って頷く。


 その後、彼らはそれぞれの方角へ飛び立っていった。


 慈使ミゼリアは東へ。

 誓使ヴォトゥスは北へ。

 怨使マレディクスは南へ。

 乞使オラティアは西へ。


 プレイが生み出した転移の門をくぐり、地上へと降りていった。


 彼らが降り立ったのを見届け、プレイは天界の最奥へと歩いていった。


 そこは、九十九柱の神々ですら立ち入ることのなかった、世界の根源に近い場所だった。彼女は、その最奥の空間に、自分自身を置いた。


 そして彼女は何かを始めた。


 その何かが何であったかを、地上の者は誰も知らない。


 神々は皆、既に屠られていた。

 残った骸は、意識を閉じていた。


 四使徒は地上で統治を始めていた。

 プレイ自身の真の目的を知る者は、彼女自身を除いて、この世界に一人もいなかった。


 彼女は、天界の最奥に籠もり続けた。


 そうして千年の間、誰も彼女の姿を見ることはなかった。



 ――――



 世界は変わっていった。


 最初の年、地上の人々は、神々の異変に気付き始めた。


 神殿に祈っても応える神がいない。

 豊作を祈ると毒の麦が実る。

 慈悲を祈ると呪いが返ってくる。


 人々は、何が起きたのかを理解できぬまま、ただ恐怖した。


 数年が過ぎた。


 各地に堕ちた神々の屍は、地に埋もれたまま、奇妙な脈動を続けていた。

 プレイによって祈らされ続ける神格は、死に切れず、屍の表層を少しずつ砕いて欠片を撒き散らした。


 人々は、その欠片が何であるかを知らなかった。


 ある者は、光るそれを神からの恩寵と思って呑んだ。

 ある者は、薬になると信じて口にした。

 ある者は、ただ飢えて咀嚼した。


 そうして、神成(かみな)りする者が現れ始めた。


 神骸の欠片を呑んだ者は、人の身で耐えられる筈のない神性に侵食され、異形へと変わっていった。

 彼らは夜ごと、何かに追われるように、闇を彷徨(さまよ)うようになった。


 数十年が過ぎた。


 四使徒が世界を四分割して統治し、人類を『祈らせる装置』として支配する構造が完成した。


 人々は祈神に祈らされ続けた。


 彼らは自分達が祈らされていることを知らなかった。

 彼らは、それが『神への正しい祈り』だと信じていた。

 祈りは祈神に吸われ、天界の最奥に籠もるプレイへと運ばれていった。


 百年が過ぎた。


 数百年が過ぎた。


 世界は緩やかに、しかし確実に色褪せていった。

 生きる者は祈りに縛られ、死する者は祈神に魂を吸収され、誰一人として、自分の生も死も、自分のものとは言えなくなった。


 幽谷の大河の流れは止まった。


 死はもう、自分のものではなくなった。


 それから更に季節は巡った。


 北の辺境の洞窟には何度も雪が降り、何度も解けた。

 岩肌は風に削られ、苔が薄く生え、長い年月の積み重ねが、洞窟の周囲に静かに堆積していった。


 骸の屍は少しずつ変わっていった。


 肉体はやがて朽ちていった。

 皮膚は枯れ、肉は乾き、骨が露わになっていった。

 風と雪に晒され、彼の姿はいつしか、ただの白骨となっていった。


 だが、彼の魂は消えなかった。


 彼の魂は長い長い時の中で、ゆっくりと彼の神格を編み直していった。

 けれど、死神としての神格は戻らなかった。

 死を司る能力も戻らなかった。


 それでも、彼の魂と神格は、肉体を失った後もその場に在り続けた。


 骸は待っていた。


 いつか来るかもしれない、誰かを。


 神かもしれない者を。

 あるいは、人間かもしれない者を。

 あるいは、まったく予想もつかない、新しい何かかもしれない者を。


 その者が来るまで。


 雪は、降り続けていた。

 風は、吹き続けていた。

 時は、流れ続けていた。


 誰にも知られぬまま、北の辺境の洞窟に、ひとつの神骸が静かに眠っていた。


 神話の時代は終わった。


 神骸の時代が始まっていた。


 そして──


 まだ、その先のことは、誰も知らない。

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