第6話 『神骸の時代の始まり』
サピエンティアの炭が崩れ、原初の祭壇から動く神格が消えた。
血の海と化した黒い石の上には、屠られた神々の死体が無秩序に転がっている。
戦神ベルムの叩き潰された残骸。
武神アルマの喉を砕かれた死体。
時神クロノスの内臓を引き出された亡骸。
豊穣神フルクトゥスの瓶のようにくびれた身体。
慈悲神ミゼリコルディアの折られた身体。
そして、知識神サピエンティアの炭。
それらが祭壇の床を埋め尽くし、原初の場所は神々の屍の祭場と化していた。
プレイは、その光景の中央に立っていた。
白い衣の裾はもはや、原型を留めぬほど血で汚れていた。
彼女の手も、頬も、髪も、同じく神々の血に染まっていた。
それでも彼女は、変わらぬ微笑みを浮かべていた。
「あら、皆さま……。もう居ないのね」
彼女は残念そうに、誰にともなく呟いた。
祭壇にはもう動く神はいない。
だが、神話の時代の神々は、まだ全てが死に絶えたわけではなかった。
プレイが祭壇でベルムを撲殺し、武神を握り潰し、クロノスを解体し、フルクトゥスとミゼリコルディアを抱きしめ、サピエンティアを焼いていた間に、残りの九十柱の神々は、それぞれの判断で祭壇から逃げ出していたのだ。
ある神は天界の自身の神殿へ。
ある神は天界の隅の隠された場所へ。
ある神は地上へと繋がる門へ向かって。
九十柱の神々は祭壇から散っていた。
プレイはゆっくりと祭壇の入り口へ歩いた。
血に濡れた裾を引きずりながら彼女は外へ出ようとした。
だが、扉の前でふと足を止めた。
「忘れていたわ」
彼女は白い手を持ち上げる。
すると、プレイの指先から薄い光の波紋が解き放たれた。
波紋は彼女を中心として祭壇から、天界の中央へ、天界の最奥へ、隅へ。
それから地上へ降りる門の手前まで、天界の全てを包んでいった。
巨大な結界が、神話の時代の天界の全域を覆ったのだ。
全ての逃げ道が薄い光の壁で閉ざされた。
神々の誰一人として、もはやこの天界からは逃れられなくなった。
「これで皆さま、私のお庭の中ね」
プレイは、嬉しそうに微笑んだ。
「三日間。三日間あげるわ。それまで、私から逃げ切れた神様には、特別なお慈悲を差し上げましょう」
彼女の声は結界の壁を伝って、天界の隅々まで届いた。
隠れ潜んでいた神々の耳にも、地上へ降りる門の前で結界に阻まれた神々の耳にも、彼女の優しい声は届いていた。
「さあ、楽しい鬼ごっこの始まりよ」
プレイは白い手を翻し、祭壇から飛び立った。
神話の時代の最後の三日間が、始まった。
――――
最初に見つけられたのは、技芸神アルスだった。
彼は天界の片隅にある自身の工房の奥に隠れていた。
金色の紋様で囲まれた工房は、彼自身の権能で隠蔽されており、本来であれば神々の眼でも看破できぬ領域の筈である。
だが、プレイには通用しなかったのだ。
彼女はあっさりと工房を見つけ出し、何も見えぬ筈の空に白い手を当てた。
すると隠蔽の紋様が浮き上がる。
その紋様は彼女の手に触れた瞬間、ガラスのように砕け散り、同時に工房への扉が顕になった。
「こんな所に隠れていたのね」
プレイは扉を一瞬で焼却し、内部へと歩みを進める。
アルスはもう、逃げることはできなかった。
「化物が……!」
逃げ場を失った彼は工房の中で結界を張った。
工房は彼の張った結界を起点とし、金色の紋様が周囲に走り、近く空気を鋭く切り裂いていく。
攻防一体の巨大な障壁は今まさに、アルスの眼前に迫る悪しき神を屠らんとして膨張を続けていった。
それを見たプレイは結界の前で立ち止まると、
「あら、綺麗な紋様」
と言い、結界に白い指先を一本だけ当てた。
次の瞬間、結界は膨張を止めた。
同時にガラスが割れるような音が響く。
結界の金色の紋様が、彼女の指先を起点に、蜘蛛の巣のように亀裂を広げていたのだ。
広がった亀裂は即座に結界全体を砕き、金色の破片が彼の工房を吹き飛ばした。
結界の崩壊と共に消し飛んだ工房。
アルスは最早戦意を完全に失っており、後ろを向いて発狂しながら走り出していた。
けれど逃げ場はなかった。
今や、天界のどこにも出口など無いのだ。
それでも彼は走った。
技芸を司る神として、最後まで美しくあろうとは出来なかったが、生きてさえいればいくらでもやり直せる事を知っていから。
プレイは何を思ったのか。
彼女はただ、笑った。
「逃げ足が速いのね、アルス様」
彼女は白い手をアルスに向けた。
直後、空気が震え、彼女の周囲に十数本の槍が形成された。
それは魔術によって直接編まれた、銀色の鋭い槍だった。
彼女が片手を振ると槍が一斉に放たれる。
槍はアルスの身体の至る所を貫いた。
背中、肩、太腿、腹、首、頭、胸、腕、足。
最後には彼は、走っていた姿勢のまま、空中で串刺しになった。
金色の紋様が彼の命の灯と共に消え、彼の死体は十数本の槍に貫かれたまま、瓦礫の上に倒れた。
そうして神々は次々と屠られていった。
逃げる神は槍に貫かれた。
戦う神は引き裂かれた。
隠れる神は見つけ出されて握り潰された。
許しを請う神は抱きしめられて骨を砕かれた。
絶望に膝をつく神は炎に焼かれた。
プレイは終始、微笑んでいた。
時には歌いながら。
時には踊りながら。
彼女は神々を狩っていった。
天界は日毎に神々の血と肉と骨で覆われていった。
そして三日が過ぎた頃。
天界の中央に位置する広場には、九十六柱の神々の死体が無造作に積み上げられていた。
「さぁ、仕上げね」
プレイが歌いながら向かったのは天の議場。
そこに居たのは最後に残った神、議長神プリムスだった。
彼は円環の中央に立ち、プレイを睨み見つける。
プリムスは逃げなかった。
戦わなかった。
許しを請わなかった。
彼はただ、最古の神として、最後の同胞として、その場に立っていた。
「……すまぬ、骸殿」
誰にともなく呟いた。
「儂が、議定の場で、お主の論証の妥当性をもっと深く検討しておれば……」
その声は震えていた。
「儂は、最古の神である。世界の流れを最も長く見てきた神である。それ故、儂は、お主の予兆を最も深く受け取れた筈じゃった。だが儂は、他の九十六柱の総意を、神話の時代の慣習を優先してしまった……」
彼は目を閉じた。
「これが、儂の罪じゃ。罪は何らかの形に姿を変え、巡るものよ」
プレイがプリムスの前に歩み寄る。
彼女は、相も変わらず微笑んでいた。
「議長神様、貴方で最後ね。最後だから特別。何か言い残した事があったら聞いてあげるわ」
プリムスは一層強くプレイを睨み、口を開いた。
「祈神よ。祈神プレイよ。先達として貴様に忠告をしてやろう。罪は巡り、最後には必ず罰が訪れる。その罰は必ずやお前を滅するだろう。与える物と失う物、その因果は必ず釣り合うように出来ている。万物はいずれ等価へと収束するのだ」
彼の声には力があった。
プレイは彼の言葉を聞き、嬉しそうに目を細めて言う。
「素敵ね。最後まで貴方らしいわ。でも、残念ながらそんな未来は訪れないわ。因果が釣り合うのは、因果が釣り合う様に生きてきたから。私は踏み倒して無かった事にするの」
そう言って彼女は右手を持ち上げ、人差し指を一本立てる。
そして、ゆっくりと横に動かした。
瞬間、空間が遥か彼方まで真横に裂けた。
議場の白い柱が、雲の層が、空気が、プレイの指先の動きに沿って一直線に切断された。
彼女の指の動きは、世界の構造そのものを切り裂いていた。
プリムスの身体もその線の上にあった。
最古の神は、白い髭から白い足の爪先まで、真っ二つに切断されていた。
彼の身体は上下に分かれ、それぞれが石の上にゆっくりと倒れた。
古い杖が、彼の右半身の手から滑り落ち、最後には二本別れ乾いた音を立てて転がった。
プリムスは絶命の瞬間、自らの意識を超えて、本能として思った。
その思いは祈りだ。
ひとつの祈りが、彼の中から漏れ出していた。
もうこれ以上──
言葉にならぬ祈りだった。
神格としての自衛本能が、最後の瞬間に発した、ただの叫びに近い祈り。
プリムス本人は自分が祈ったことを知らなかっただろう。
彼の意識は、誇りを保ったまま、すでに閉じていた。
だがその祈りは、確かに発された。
だから目の前で微笑む祈神プレイへと吸い寄せられていったのだ。
最古の神も、最後の最後で祈ってしまった。
九十九柱のうち、最後まで一切祈らなかったのは、死神骸、ただ一柱であった。
そうして天界に静寂が訪れた。
プレイは崩れ行く議会の中心で両手を広げ、しばらくその場で笑っていた。
純粋な歓喜の笑いだった。
神話の時代を一柱で滅ぼし切った祈神の、根源的な悦び。
彼女の笑い声は、天界の白石を赤黒く染め上げ、神話の時代の最後の音として世界に響いた。
ひとしきり笑った後、プレイは切断されたプリムスの死体を、魔術で浮かしながら広場に向かった。
広場に着くとプレイはプリムスの死体を、神々の死体の中に投げ飛ばした。
広場に山積みに成った九十六柱の死体。
戦神ベルム、武神アルマ、時神クロノス、豊穣神フルクトゥス、慈悲神ミゼリコルディア、知識神サピエンティア、技芸神アルス、議長神プリムス。
そしてその他の神々。
ゲルミとルドウスの死体はそこにはいなかった。
彼らは既に天の縁から地上へ蹴落とされていたからだ。
骸も北の辺境へ堕ちていた。
残された九十六柱の死体だけが、プレイの前に集められていた。
プレイは、両手を死体の山にかざした。
すると、神々だった何かがゆっくりと宙に浮き上がる。
血の海を引きずり、内臓を引きずり、肉片を引きずりながら、彼らは天高く浮かんでいた。
「さて、皆さま」
彼女は宙に浮かぶ血みどろの肉塊達に優しく囁く。
「私の世界の土壌になってくださいね」
そう言うと、彼女の白い手から見えない力が放たれる。
すると九十六柱の死体から薄い光の筋が立ち上がっていった。
それは、彼らが死の瞬間に祈神に向けて無意識に祈った、祈りの残滓だった。
「赦してくれ」
「自分はあなたの敵ではない」
「お慈悲を」
そしてプリムスの言葉にならぬ叫び。
その願いの欠片が、神々の死体から漏れ出して、プレイの掌で一つになった。
一つになった祈りの光は、彼女の手の中で変質していく。
金色に近い優しい色の光が、徐々に黒く濁っていった。
神々の悲痛な祈りは、祈神の手の中で、世界を穢す呪いへと変わっていったのだ。
「とっても綺麗」
プレイは満足げに呟いた。
彼女は変質した黒い光を、九十六柱の死体に再び戻した。
死体はその光を吸収しわずかに脈打つ。
そうして神々は、死んでいるが神格としては死に切っていない、奇妙な状態へと変質した。
「さぁ神様達、最期まで働いてもらうわ」
プレイは手を組み、膝を付いて死体へと祈った。
すると九十六柱の死体が、広場の上空から勢いよく射出されていく。
彼らは血と肉を引きずりながら夕暮れの空へ、そして地上の各地へと、放物線を描いて飛んでいった。
神々の屍は世界中に降っていった。
――――
戦神ベルムの叩き潰された死体は東の山岳地帯に堕ちた。
落ちた場所では岩が灰色に変わり、動物達が無意味に殺し合うようになった。
武神アルマの喉を砕かれた死体は、北方の闘技場跡地に堕ちた。
落ちた場所では人々が理由もなく殴り合うようになり、武の技は破壊の為だけに使われるようになった。
豊穣神フルクトゥスの瓶のようにくびれた死体は、中央平原の麦畑に堕ちた。
麦は異常成長し、巨大な穂を実らせたが、その実は猛毒だった。
慈悲神ミゼリコルディアの折られた死体は、西の街の教会に堕ちた。
教会では祈りが歪み、慈悲の言葉が呪詛へと変質した。
時神クロノスの内臓を引き出された死体は、南の大陸の砂漠に堕ちた。
砂漠では時の流れが乱れ、一日が千日となり、千日が一日となる場所が生まれた。
知識神サピエンティアの炭となった死体は、北の学術の街に堕ちた。
書物は読む者を狂わせ、知識は人を破滅させる毒となった。
技芸神アルスの槍に貫かれた死体は、東の城市に堕ちた。
技芸は腐敗し、職人達は作品を作る度に自らの命を削るようになった。
議長神プリムスの真っ二つに切断された死体は、世界の中心の都市に堕ちた。
最古の神の死体は、巨大な裂け目を都市に刻み、その裂け目は時を超えて、いつまでも閉じることがなかった。
かくして九十六柱の神々の屍が、世界中の各地に堕ちていった。
堕ちた場所では、それぞれの神格が司っていた概念が暴走し始めた。
こうして神々は祈神に祈らされ続けていた。
屠られた後も、彼らの神格はまだ存続していた。
プレイは彼らを殺しただけで、神格は砕かなかったのだ。
だから彼らは本当の意味で死ぬことはできず、欠片となって地上に散らばってもなお、永遠に祈神に祈らされ続けた。
その祈りが、地上へ漏れ出した。
漏れ出した祈りは、概念の暴走となって、土地を侵していった。
これが、後に『神骸の時代』と呼ばれる、世界の穢れの始まりだった。
ただ一柱、骸の神骸だけは違った。
北の辺境、誰の地図にも載らない洞窟に、彼の屍は静かに横たわっていた。
彼の神格はプレイによって砕かれていた。
神話の時代の骸は、概念を司る神々の中でも頂点に位置する力を持っていた。
彼は剣を取れば負け、格闘では競えば負ける、純粋な技術の戦闘では並程度の神である。
神々の絶頂の時代たる戦神も武神も、技においては彼を凌駕した。
だが本気で戦えば、彼に勝てる神は一柱もいなかった。
死を司るとは、全ての存在に「終わり」を与え得るという事。
それこそ、戦の神も、武の神も、時の神も、本気の骸には敵わぬ理由だった。
そして祈神プレイにすら、骸の死の権能は通じた。
死という概念だけは、あらゆる概念の最上位に位置する究極の存在であるが故、それを前提に生まれる生命は何人もそれを超越する事は出来ないのだ。
九十八柱の総和を超える力を持つ祈神も、神格として存在する以上『終わり』を与えられる存在だった。
骸の概念の剣に触れていれば、プレイは即座に殺されていた。
だからこそ、プレイは生まれた瞬間に、真っ先に骸へ向かったのだ。
議場の論証への報復だけではなかった。
祈り集約システムの例外を排除する為だけでもなかった。
骸の死の権能だけが世界で唯一、自分を殺せる力だった。
だからプレイは誰よりも早く、誰よりも完全に『死』を消し去る必要があった。
骸の認識速度を超える速さで、骸の権能の中心を貫く必要があった。
骸の神格が砕かれた瞬間、世界からプレイを殺せる存在は消滅した。
他の九十八柱とは違って、骸だけは本当の意味で殺されていたからだ。
けれど、彼は最後まで祈神に祈らなかった。
だから祈りを奪われなかった。
彼の屍は欠片へと砕けなかった。
砕く神格そのものが、もう存在していなかったからだ。
残されたのは、肉体と魂だけだった。
奪われていない魂。
それは、彼自身が他者から祈りを受けることを拒み、彼自身が他者へ祈りを向けることもなかったが故に、誰にも触れさせなかった彼自身の核。
祈らない者であり続けたからこそ、彼の魂は誰にも奪われずに済んでいた。
その奪われなかった魂が、長い長い年月をかけて、彼の肉体に代わる新たな神格を編み直していった。
だから彼の周囲には、彼の神骸の周りには何の異変も起きなかった。
穢れは彼の周囲には及ばなかった。
岩は岩のまま、雪は雪のまま、風は風のまま。
骸の眠る洞窟の周囲だけは、神話の時代の正しい世界の姿を保っていた。
――――
神話の時代の天界では、祈神プレイが両手を広げていた。
全ての神を屠り終えて世界に飛ばした彼女は、ゆっくりと飛び立ち天界の中央、神々の神殿が並ぶ場所へと降り立った。
空席となった神殿の数々を、彼女は微笑みながら見渡した。
そして、白い手を持ち上げ天界の門を閉じた。
乾いた音を立てて、神話の時代の天界が、永遠に封鎖されたのだった。
地上から天界へ通じる道は全て断たれた。
神々が地上を見守るために使っていた窓も、神格と人々を繋いでいた祈りの回路も、全てプレイの意思によって遮断された。
彼女は地上へ降りるつもりはなかった。
彼女の目的は永遠の祈りの搾取であり、人類を滅ぼすことではなかった。
生きていない者は祈らない。
祈らない人類は彼女の糧にならない。
だから人類は生かしておかねばならなかった。
しかし、彼女自身が地上を巡るのは効率が悪かった。
「ふふ。さぁ、おいで」
彼女は両手を合わせて祈る。
すると空き家となった神殿に四つの光が灯った。
光は、それぞれ異なる色を帯びていた。
柔らかな白光、暗い赤光、淡い薄紅、そして金光。
それぞれの光が人の形を取り始めた。
こうして四柱の使徒が生まれた。
最初の白光は、しなやかな体つきの女の姿となった。
優しげな顔立ちだが、性別を超越したような存在感を持っている。
プレイは彼女に微笑みかけた。
「貴方は慈使のミゼリア。慈悲を司り、人々の苦しみに寄り添いなさい」
ミゼリアは深く頷いた。
次の赤い光は、長身痩身の男の姿となった。
青白い肌、感情の読み取れぬ冷たい眼差し。
「貴方は怨使のマレディクス。呪いと罰を司り、人々を恐れさせなさい」
マレディクスは薄く目を細めただけだった。
三つ目の薄紅の光は、小柄で華奢な女の姿となった。
陶器のような白い肌、頬に薄い赤み、薄紅色の髪。
どこか幼さの残る顔立ち。
「貴方は乞使のオラティア。祈願と乞いを司り、人々の願いを集めなさい」
オラティアは両手を組んで遠慮がちに頷いた。
最後に立ち上がった金光は、最も年長に見える男の姿となった。
四十代前半、誠実そうな顔立ち。
他の三使徒とはどこか異質な気配を纏っていた。
「貴方は誓使のヴォトゥス。誓いを司り、人々を律しなさい」
ヴォトゥスは無言で胸に手を当てた。
四使徒はそれぞれの性質をプレイから与えられて誕生した。
彼らはプレイの意思を体現する神格の派生体であり、彼女の代理として地上を統治するための装置だった。
「皆さま」
プレイは四使徒に向けて優しく告げた。
「地上を四分割して統治してください。人々から祈りを集め、私の元へ送り続けるのです。人々が私の存在を意識せぬまま、しかし彼らを永遠に祈らせ続けるのが貴方達の役目です」
四使徒は揃って頷く。
その後、彼らはそれぞれの方角へ飛び立っていった。
慈使ミゼリアは東へ。
誓使ヴォトゥスは北へ。
怨使マレディクスは南へ。
乞使オラティアは西へ。
プレイが生み出した転移の門をくぐり、地上へと降りていった。
彼らが降り立ったのを見届け、プレイは天界の最奥へと歩いていった。
そこは、九十九柱の神々ですら立ち入ることのなかった、世界の根源に近い場所だった。彼女は、その最奥の空間に、自分自身を置いた。
そして彼女は何かを始めた。
その何かが何であったかを、地上の者は誰も知らない。
神々は皆、既に屠られていた。
残った骸は、意識を閉じていた。
四使徒は地上で統治を始めていた。
プレイ自身の真の目的を知る者は、彼女自身を除いて、この世界に一人もいなかった。
彼女は、天界の最奥に籠もり続けた。
そうして千年の間、誰も彼女の姿を見ることはなかった。
――――
世界は変わっていった。
最初の年、地上の人々は、神々の異変に気付き始めた。
神殿に祈っても応える神がいない。
豊作を祈ると毒の麦が実る。
慈悲を祈ると呪いが返ってくる。
人々は、何が起きたのかを理解できぬまま、ただ恐怖した。
数年が過ぎた。
各地に堕ちた神々の屍は、地に埋もれたまま、奇妙な脈動を続けていた。
プレイによって祈らされ続ける神格は、死に切れず、屍の表層を少しずつ砕いて欠片を撒き散らした。
人々は、その欠片が何であるかを知らなかった。
ある者は、光るそれを神からの恩寵と思って呑んだ。
ある者は、薬になると信じて口にした。
ある者は、ただ飢えて咀嚼した。
そうして、神成りする者が現れ始めた。
神骸の欠片を呑んだ者は、人の身で耐えられる筈のない神性に侵食され、異形へと変わっていった。
彼らは夜ごと、何かに追われるように、闇を彷徨うようになった。
数十年が過ぎた。
四使徒が世界を四分割して統治し、人類を『祈らせる装置』として支配する構造が完成した。
人々は祈神に祈らされ続けた。
彼らは自分達が祈らされていることを知らなかった。
彼らは、それが『神への正しい祈り』だと信じていた。
祈りは祈神に吸われ、天界の最奥に籠もるプレイへと運ばれていった。
百年が過ぎた。
数百年が過ぎた。
世界は緩やかに、しかし確実に色褪せていった。
生きる者は祈りに縛られ、死する者は祈神に魂を吸収され、誰一人として、自分の生も死も、自分のものとは言えなくなった。
幽谷の大河の流れは止まった。
死はもう、自分のものではなくなった。
それから更に季節は巡った。
北の辺境の洞窟には何度も雪が降り、何度も解けた。
岩肌は風に削られ、苔が薄く生え、長い年月の積み重ねが、洞窟の周囲に静かに堆積していった。
骸の屍は少しずつ変わっていった。
肉体はやがて朽ちていった。
皮膚は枯れ、肉は乾き、骨が露わになっていった。
風と雪に晒され、彼の姿はいつしか、ただの白骨となっていった。
だが、彼の魂は消えなかった。
彼の魂は長い長い時の中で、ゆっくりと彼の神格を編み直していった。
けれど、死神としての神格は戻らなかった。
死を司る能力も戻らなかった。
それでも、彼の魂と神格は、肉体を失った後もその場に在り続けた。
骸は待っていた。
いつか来るかもしれない、誰かを。
神かもしれない者を。
あるいは、人間かもしれない者を。
あるいは、まったく予想もつかない、新しい何かかもしれない者を。
その者が来るまで。
雪は、降り続けていた。
風は、吹き続けていた。
時は、流れ続けていた。
誰にも知られぬまま、北の辺境の洞窟に、ひとつの神骸が静かに眠っていた。
神話の時代は終わった。
神骸の時代が始まっていた。
そして──
まだ、その先のことは、誰も知らない。




