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神の骸のオラトリオ  作者: 須江野モノ
第一章 『契りの春』

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第14話 『春の旅路』

 村を発ってから数日が経った。


 ライラ、ニナ、サウル、そしてフォエ。

 彼らの旅は穏やかに続いていた。


 昼間はひたすら歩く。

 サウルが先導し、その後ろをライラとニナが付いて行く。


 サウルの足取りは決して早くは無かった。


 彼が、自分達の足に合わせてペースを調整してくれているのだと、ライラは数日経ってからようやく気が付く。


 その証拠に彼は、道が険しくなるとさりげなく二人の前を歩き、足場を確かめていた。

 川を渡る時は、まず自分が先に渡ってから手を貸してくれる。

 ニナが歩き疲れれば、彼は何も言わずに背負ってくれた。


 サウルという男は多くを語らない。


 しかし、その行動の一つ一つに不器用な優しさが滲んでいた。

 それだけは語らずとも、ライラはハッキリと理解出来ていた。


 旅の食事の準備はライラの役割になっていた。


 旅立つ時に結んだサウルとのささやかな約束。

 ライラはそれを忠実に守っていた。


 干し肉と道中で採れる野草。

 時には、サウルが狩ってきた小動物。

 限られた材料で、ライラは工夫して料理を作った。


 母から教わった薬草の知識が、こんな風に役立つとはライラ自身、思ってもみなかっただろう。


 どの草が食べられて、どの草が毒なのか。

 それは本当に役に立つスキルだった。


 具体的に言えば、


「お姉ちゃんの料理、美味しい!」


 と、ニナがいつも喜んで食べてくれているからだ。


 サウルは料理の出来に関しては何も言わない。


 しかし、彼の椀はいつも空だった。


 それが彼なりの感想なのだと、ライラには不思議と分かった。


 そしてフォエは旅の間、よく姿を変えた。


 見晴らしの良い道では、子犬ほどの毛玉の姿でニナに抱かれている。

 森に入れば、狼に似た大きな獣の姿になり、周囲を警戒する。

 夜の野営では顔の無い羊姿に戻り、ニナの枕元でクッション代わりとして丸くなる。


「ねぇ、フォエはどうして姿を変えるの?」


 ある時、ニナがフォエに訊いた。


「場所に合わせているのさ。千年以上前の人間の上流階級では、こう云った概念をTPOと呼んで重要視していたんだ」


 フォエは軽く答えた。


「見晴らしの良い道では、小さい方が君に抱かれて楽ができる。森では、大きい方が何かあった時に君達を守れる。時と場合と場所に合わせて変えているんだ」


「ふうん。良く分かんないけどフォエって便利だね! ね! 鳥とかにもなれる? 大きい鳥! 私、空を飛んでみたい!」


「勿論なれるとも。私は便利な存在なんだ」


 フォエの軽妙な口調にニナは笑っていた。


 過酷な旅の中でも、妹の笑顔が絶えないように、()()()()()()を叶える為に、フォエも協力してくれているのだろう。



 ――――



 旅が始まって一週間程過ぎたある日の昼。

 一行は小さな村に立ち寄った。

 そこは薬師の村よりも、さらに小さな寂れた村だった。


 サウルはその村の市場で、保存食と水袋を補充している。


 その為の路銀はサウルが持っていた。

 どこから得たものかライラには分からなかったが、それを問う事はしなかった。

 その金の出処がなんであろうと、ニナが腹を空かせないことが、ライラにとっての最重要事項だからである。


 そして村の様子は何処か暗かった。

 人々の顔には、怯えのような影がある。


 理由はすぐに分かった。


 夜になると村人達は、足早に家へ戻って行ってしまうのだ。

 まるで何かから逃げるように。

 まるで何かから隠れるように。


「この村にも烙印を持つ者がいるね」


 フォエがライラの足元で低く呟く。


「えっ。フォエ、分かるの?」


「分かるも何も、私が契約したからね」


 ライラは思わずフォエを見た。


「君と同じさ。この村のとある男が、私と契約して烙印を得た。だから夜使徒はこの村を狙う。人々はそれを恐れて夜は家から出ないんだ」


「フォエ、あなたは……」


 ライラの声に、僅かに責めるような色が混じった。


 弱った人の前に現れ、願いと引き換えに、烙印という呪いを与える。

 それは人の弱みに付け込む行為ではないのかと、ライラは思ったのだ。


 フォエは、その視線の意味をすぐに察した。


「確かに、そう言いたい気持ちも分かるよ」


 フォエは軽く、しかし静かに答える。


「でも、私は弱みに付け込んだ訳じゃない。あくまでも対等な取引だ。願いの内容も、その代償も、全部きちんと説明した上で、相手が自分の意志で選んだ。私は嘘もつかないし、騙しもしない」


「……」


「君の時もそうだったろう?」


 ライラは自分が契約した夜を思い出す。

 確かに、フォエは全てを説明した。


 願いが叶う事も。

 その代償として、夜使徒に狙われる事も。

 その上で選んだのはライラ自身だった。


「……うん。そうだったね。ごめん」


「気にしてないよ。それに、烙印を持つ者は本当に珍しいんだ」


 フォエは続けた。


「世界に同時に三十人ほどしかいない。それくらい、契約というのは稀な事なんだよ。誰もが契約できる訳じゃない。余程の絶望と、余程の覚悟がないと成立しない」


「三十人……。そんなに少ないの」


「ああ。だから、烙印を持つ者は世界の何処にいても目立つ。夜使徒にすぐ見つかる」


 ライラは改めて、自分の烙印に手を当てる。

 そしてフォエに尋ねた。


「でも、この村はまだ滅んでないわよ?」


 フォエは村を見渡しながら答える。


「そうだね。君の村は滅んでしまった。けれど、この村は夜使徒の襲撃を受けても、まだ耐えている。君の村との違いは何故だと思う?」


「分からない……」


「答えは単純、願いの差だよ」


「願いの差?」


「そうさ。この村に居る契約者は『村を守る』と云う願いをしたんだ。その願いの影響でこの村は、辛うじて持ち堪えている」


 フォエの言葉にライラははっとした。


 願いの内容によって、結果が変わる。

 自分はニナを守る事を願った。

 この村の誰かは、村を守る事を願った。


 しかし、それはつまり――――


「フォエ、貴女は前に『正しい対価を支払えば、奇跡はいくらでも起こせる』って言ったわ。じゃあ……。それって願いが大きい程、支払うべき代償大きくなるって事じゃないの……?」


 ライラは恐る恐る尋ねた。

 フォエはしばらく黙ってから、静かに答える。


「鋭いね。その通りだよ」


「やっぱり……」


「願いの規模に比例して、支払う代償も大きくなる。これも契約の最初にきちんと説明した事の一つさ」


 フォエが細部まで説明したかしてないかで言えば、正直微妙な所である。

 けれど、それを察するだけの情報は全て提示されていた。

 だから、フォエとの契約に詐欺的な部分は何も無い。


「君の願いは『妹を守る』という、ささやかなものだった。だから代償も比較的軽い。君自身に烙印が刻まれて、夜使徒に狙われる。それだけで済んでいる」


「これで軽い……?」


「ああ。これでも軽い方さ」


 フォエは村の方へ視線を向けた。


 寂れた村。

 怯えた人々。

 しかし、滅んではいない村。


「この村の契約者の願いは『村を守る』事だった。村全体だ。君の願いよりずっと規模が大きい。だから――」


 フォエは一度言葉を切った。


「だから、代償もずっと大きかった」


「代償って……。その人は何を失ったの?」


 ライラの声がわずかに震える。


 フォエは低い声で答えた。


「その男はもう人間じゃないんだ」


「えっ……」


「人で在る事を辞め、それでも尚、村を守る為の『何か』に成り果てた。姿も、心も、人だった頃とはもう違う。けれど、村を守るという願いだけは果たし続けている」


 ライラは息を呑んだ。


 人ではなくなる。

 それでも、村を守り続ける。

 そんな代償を払った者が、この村に居る。


「その人は……。それで、幸せなの?」


「さあね。それは私には分からない。私が叶えるのは願いだけだ。その後、その者が幸せかどうかまでは、契約の範囲外だからね」


「……」


「ただ、一つだけ言えるのは」


 フォエは、村を見つめながら続けた。


「その男は、自分の意志でそれを選んだ。誰かに強制された訳じゃない。村を守る為なら、人でなくなっても構わないと、自分で決めたんだ」


 ライラも村を見渡す。


 夜が近付き、人々が家に籠もっていく。

 その人々は、知っているのだろうか。

 自分達が、誰かの途方もない代償の上で、生かされている事を。


 恐らく、誰も知らないだろう。


 ただ夜使徒を恐れ、夜から逃げるように生きている。


 ライラは自分の烙印にもう一度手を当てた。


 自らの代償は軽い方だとフォエは言う。


 しかし、それでも村は滅んだ。

 両親も村人達も失った。


 もし、自分がもっと大きな願いをしていたら。

 もっと大きな代償を、払う事になっていたのだろうか。


 ライラには分からなかった。


 ただ、契約というものの重さを、改めて感じていた。



 ――――



 その日の夜、一行は村を出て、街道沿いの森で野営した。


 焚き火を囲みながら、ライラが作った野草のスープを、三人と一匹は啜る。


 食後、やがてニナはフォエを抱いたまま、ライラに寄りかかって眠ってしまう。

 旅の疲れだろうか、やはり、幼い少女にはこの旅は過酷だ。


 でも、その寝顔は穏やかで、どこか幸せそうだった。


 両親や大切な故郷は無くなってしまったが、それでも、大好きな姉と世界を周り旅が出来ている。


 それが、ニナにとっては嬉しいのだろう。


「おやすみ、ニナ」


 ライラはニナに毛布を掛けてやった。


 焚き火の傍にはライラとサウル、毛玉状態のフォエが残る。


 二人と一匹の間にはしばらく沈黙が続く。

 焚き火の爆ぜる音だけが、夜の森に響いている。


 そんな折、ライラは思い切ってサウルに訊いた。


「サウルさん」


「ああ」


「私達、これからどこへ向かうんですか?」


 サウルはしばらく焚き火を見つめていた。

 それからゆっくりと答える。


「まずは、ミゼリアの領域だ」


「ミゼリア……」


 ライラはその名を声に出して繰り返す。


「慈使の、ミゼリア様……?」


「そうだ」


 ミゼリア、四大使徒の一柱。

 慈悲を司る使徒。


 ライラの村でもその名は知られていた。

 慈悲深き慈使のミゼリア。

 人々を救うとされる、心優しき使徒。


「ミゼリア様の領域は東でしたよね」


「ああ。ここからは遠い。だが、まずはそこを目指す」


「どうしてミゼリア様から……?」


 その時、サウルが答えるよりも早く、フォエが口を挟んだ。


「ミゼリアが弱いからさ」


「えっ……?」


「四大使徒の中で、()()()()()明確に弱い。慈悲の使徒だからね。直接戦う力は四大使徒の中で、ぶっちぎりで最低なんだ。俗っぽい言い方をすれば雑魚だよ」


 フォエはあっさりと言い切った。

 神様に近い存在である四大使徒を『弱い、雑魚』と断じるフォエの言葉にライラは少し驚く。


「ただし、厄介な点もある」


 フォエは続けた。


「ミゼリアは傷ついた者を癒す力を持つ。味方を何度でも回復させるんだ。だからミゼリアを倒すには、まず周りの配下を片付けないといけない。でも、それが出来ないんだ。どうしてか分かるかい?」


「……ミゼリア様の配下が強いから?」


「そう、ミゼリアの周りには強い配下が揃っている。最上位使徒三柱に、強い人間の戦士が複数人。本人は弱くても、周りがそれを補っている。それでも他の四大使徒から倒すよりはずっと簡単だ。サウルが狙うのはそういう構造なんだろう?」


 フォエがサウルを見上げると、サウルは頷きながら言う。


「ああ。四大使徒の中で最初に倒すなら、ミゼリアが最も現実的だ」


 ライラは二人のやり取りを聞いて思う。


 四大使徒を倒す旅の、その最初の標的が、慈使のミゼリア。


 改めて自分達が旅の果てに何を成そうとしているのか。

 その事の現実感が増していく。


 しかし、不思議と恐怖はなかった。


 サウルが傍にいて、フォエが傍にいる。

 そして、ニナが隣に居る。


 それだけで、ライラは前へ進める気がした。


 しばらくしてから、ライラはふとサウルに話しかける。


「サウルさん、あの……」


 サウルがライラを見る。


「一つ、聞いてもいいですか?」


「あぁ」


「サウルさんはどうして……」


 ライラは言葉を選んだ。


「どうして私達に、こんなに優しくしてくれるんですか?」


 サウルはしばらく答えなかった。

 代わりに彼の右目の赤と、左目の青が、焚き火の光の中で揺れている。


 それから、ほんの少しだけ笑いながら答えた。


「別に、優しくしているつもりは無い」


「でも」


「ただ、当然の事をしているだけだ」


 サウルの言葉は素っ気なかった。


 しかしライラには分かっていた。


 彼が自分達に向けてくれている、不器用な優しさを。

 時折、自分とニナに見せる少しばかりの笑顔を。


「ライラ」


「はい」


「一つ、言っておきたい事がある」


「なんですか?」


 サウルはしばらく間を置いてから言う。


「俺に畏まる必要はない」


「えっ?」


「さん付けも不要だ」


「でも、それは……」


「その方がしっくりくる」


 その言葉を聞いた瞬間、ライラの心臓が強く跳ねる。


 何故だろう。

 その言葉がライラにとって、何処か懐かしく感じられたのだ。


 彼女の脳裏に夢の中の光景がよぎる。

 夢の中で、自分はサウルを何と呼んでいただろうか。


 確か――


「サウル」


 夢の中で、自分は確かにそう呼んでいた。

 呼び捨てで、親しげに。


 ライラの胸の中で、何かが疼くのを感じる。


「サウル、さん……。じゃなくて」


 ライラはおずおずと言い直す。


「サウル……?」


「ああ」


 サウルは頷いた。

 その表情は変わらない。


 しかしその奥で、彼の何かが僅かに和らいだような気がした。


「それでいい。その方がずっといい」


 ライラはしばらく戸惑っていた。


 しかし不思議と、もう一度、呼んでみる。


「サウル」 


 その響きは。


 何故か、こちらの方がずっと、しっくりきた。

 まるで、ずっと昔からそう呼んでいたかのように。


 ライラにはその理由が分からない。

 しかしその夜から、ライラはサウルを呼び捨てで呼ぶようになった。


 そして少しずつ、砕けた口調で話すようになっていく。

 その方が、自然な雰囲気で心地良い。


 焚き火は静かに爆ぜている。

 ニナの寝息も、穏やかに続いていた。


 フォエはニナの傍で、毛玉の姿で目を細める。


 春の夜はまだ少し肌寒い。


 しかし、焚き火の傍は暖かかった。

 そして、ライラの胸の中も何処か暖かかった。

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