第13話 『燃ゆる故郷』
昼休憩が終わり、午後も三人と一匹は村人達の埋葬を進めた。
と言っても、当初の方針通り残りの村人は村と共に焼く為、午後は殆ど死体の運搬と燃料の確保に時間を使っていた。
焼け残った家屋から、まだ使える木材を引き剝がす。
それから倒れた村人達を広場の中央に、一人ずつ運んでいく。
その作業は、終わりが見えなかった。
何時間も、何日も、何十日も。
ずっとそうしている様な錯覚さえ覚える程、途方もなく辛い作業だった。
だが、そんな思いとは対照的に、気が付けば陽は落ちている。
世界は夕暮れを超えて夜へと変わっていく。
そうして肌に感じる風は冷たく刺さり、自分という存在を内側から消耗させていた。
「もう、こんな時間……」
ライラが、広場に集めた村人達の遺体に薪を載せながら空を見上げると、後ろから駆けてくる足音が聞こえる。
振り向くとそこには、フォエを抱えたニナが、こちらに向かって来ていた。
彼女は姉の前で立ち止まると、ニッコリと笑いながら言った。
「お姉ちゃん! サウルおじちゃんが、ご飯出来たから食べようだって! 行こ!」
そう言ってニナは、ライラに自分の手を伸ばす。
ライラは微笑みながらその手を取り、
「えぇ、そうね」
と言って、火の明かりが揺らめく方へ歩き出した。
――――
焼け残った広場の一角で、サウルが小さな焚き火を起こしていた。
その上の小さな鍋の中で、何かの汁物が湯気を立てている。
干し肉と、どこかで採ってきたらしい野草を煮込んだ、簡素なスープ。
しかし、一日中働き詰めだったライラ達にとっては、それだけで十分なご馳走だった。
「ほら、食え。身体が温まる」
サウルは木の椀にスープを注いで、ライラとニナに差し出す。
「ありがとうございます」
「ありがと!」
ライラが受け取り一口飲むと、温かさが冷えた身体に染み渡っていくのを感じる。
母の手料理とは違うが、同じくらいの温もりを感じる、とても優しい味。
それはどこか心地良く、心を奥底から安心させてくれる。
ニナも、ふうふうと冷ましながら、美味しそうに飲んでいた。
フォエはニナの膝の上で、相変わらず目を細め、何処かをぼんやりと見つめている。
視線は天に輝く星に向いており、何かを思い出そうとしている風に見えた。
そうして、しばらく三人は無言でスープを啜っていた。
焚き火の爆ぜる音だけが、夜の村の一端で静かに響いている。
やがて椀が空になった頃。
ニナがふと、口を開く。
「サウルおじちゃん」
サウルは僅かに視線を上げてニナを見る。
「どうした」
「あのね、サウルおじちゃんがお父さんとお母さんを埋めてくれたでしょう? だから、ありがとうって伝えたくて」
サウルは無言だった。
代わりにただ、視線を焚き火の方へ向けている。
「お母さんがいつも言ってたの。困った時は、ちゃんとお礼を言いなさいって。だから、ありがとう」
サウルは少しの間、黙ってから答えた。
「いや、礼は要らない」
「え、どうして?」
「お前達の両親には昔、世話になった。俺からしても親の様な存在だ。だから、俺があの二人を弔うのは当然の事だ」
「でも、ありがとう」
ニナの純粋な感謝。
サウルはそれに、何も返せなかった。
ニナはそれから、サウルをまじまじと見つめる。
「ねえ、サウルおじちゃん」
「今度はなんだ」
「サウルおじちゃん、何歳なの?」
サウルはしばらく沈黙した。
それから、気不味そうに答える。
「すまない……。老け顔のせいでおじちゃんに見えるかも知れないが、俺はまだ二十五歳だ」
ニナは目を丸くして驚いた。
「ええっ!? お姉ちゃんと九歳しか違わないの!?」
「ああ」
「じゃあ、サウルおじちゃんじゃなくて、サウルお兄ちゃんだ!」
ライラも驚きサウルを見る。
「え、サウルさん、二十五歳……?」
「そうだ」
「すごい失礼なんですけど、とてもそうは……」
「色々あってな。こうなってしまったんだ」
サウルはそれ以上は説明しなかった。
彼の年齢を聞き、ライラの胸の中で何かが脈打つ。
夢の中の若いサウル。
二十代半ばの、純粋な金髪と青い両目の青年。
そして、目の前に居る老け顔のサウル。
金髪と白髪が混ざった縞模様の髪色。
右目の赤と、左目の青。
二十五歳という年齢。
全てが彼女の中で繋がりかけていた。
しかしライラにはあと一歩、その先が見えなかった。
「サウルお兄ちゃん」
ニナが新しい呼び方を試す。
初めて聞く筈なのにその響きは何故か、ライラの胸の中で温かく響いた。
ニナはフォエを抱いたまま、サウルにもう一歩、近づいて言う。
「ねえ、サウルお兄ちゃん」
「なんだ」
「私達を一緒に連れてってくれないかな? お姉ちゃんと私、それからフォエも」
「ちょ、ニナ……!?」
ライラは妹が突拍子も無いことを言って慌てる。
まだ決めてもいない事を、妹が勝手に口にしてしまったからだ。
勿論、このままこの村に居るという選択肢は最初から存在しない。
遅かれ早かれここからは立ち去る必要があった。
けれど、女二人で生きられる程、この世界は甘くない。
だからどこかで必ず、リスクを負う必要がある。
ライラはその覚悟がまだ出来ていなかったのだ。
「だって、サウルお兄ちゃん強いし、優しいし。お姉ちゃんもサウルお兄ちゃんが一緒だったら安心するでしょ?」
ニナの純粋な提案に、ライラは何も言えなかった。
ライラはしばらくサウルを見つめていた。
夢の中で見たような気がする青い瞳。
しかし、目の前の男の右目は赤い。
知らない筈なのに、知っているような気がする男。
二十五歳という、そこまで経験が深い訳では無い微妙な年齢。
それなのに四大使徒を倒し、祈神を殺すと言った男。
ライラの心の中でピースがハマる様に何かが決まった。
「サウルさん」
「ああ」
「お願いがあります」
「なんだ」
「私達を、貴方の旅に連れて行って下さい。私に出来ることは何だってやります。だからどうか……」
そう言うとライラは深く頭を下げる。
身も蓋も無く言えば、それはつまり『身体以外に支払える物は無いが、衣食を保証しろ』と言っているのと何ら変わらない。
サウルは溜息を一度付いてから答える。
「特別、お前達に何かをして貰おうとは思っていない。強いて言えば食事の準備を任せたいくらいだ」
「でしたら……!」
「だが、俺の旅は過酷だぞ。きっと、お前達には辛い道になる。夜の襲撃の心配が無くなるくらいしか保証は出来ない」
「それでも構いません。私一人ではニナを守れないんです。でも、あなたは強いし、何故か信用も信頼も出来るんです。だから、お願いします」
ライラの言葉を聞き、サウルはしばらく黙った。
彼の右目の赤と、左目の青は、複雑な感情を込めてライラを見つめている。
それから少ししてから、サウルは頷きながら言う。
「……分かった。お前達を連れて行こう」
「ありがとうございます」
その言葉を聞き安堵したのか、ライラの目から涙が零れる。
その涙の中には強い意志と共に、自分でも言語化出来ない感情、強いて言えば『安らぎ』に近いものがあるのを、何となく感じた。
――――
食事を終え、夜が更けた頃。
いよいよその時が訪れる。
ライラ、ニナ、サウル、そしてフォエは、村の入り口に立っていた。
広場の中央には、村人達の遺体が集められている。
その周りには、薪と油の染みた木材や布類が積み上げられ、それらは導火線の様に村の外周と内部へ伸びていた。
だから、火を放てば村は燃える。
ライラが生まれ育ったその全ては、炎と共に消え去り灰になる。
ライラは松明を手に握っていた。
元々はサウルが持っていたのだが、ライラがどうしてもと懇願し、松明を受け取ったのだ。
彼女の手は僅かに震えている。
サウルはそれを見ても何も言わず、ただ、ライラの傍に立っていた。
「お姉ちゃん……」
ニナがライラの服の裾を握る。
ライラはそんな妹の手を握り返した。
彼女は燃える村を想像する。
炎に包まれる自分の家を、薬草園を、井戸を、広場を、石組みを。
横たわる村人達の遺体。
好きだった人も嫌いだった人も、全てが等しく灰になる。
しかし、ライラには分かっていた。
これは終わりではなく、弔いなのだと。
土に埋められなかった村人達を、炎で天へと送る。
彼らの魂が安らかであるように。
彼らがこれ以上、地上で朽ちていかないように。
これ以上、苦しまなくて良いように。
ライラは深く息を吸った。
「みんな……」
彼女は低く呟く。
「ありがとう。今まで本当に。私はニナと一緒に行くから。皆の分まで生きるから。だから安心して眠って」
そう言うとライラは松明を、村の入り口の油の染みた木材に近付ける。
すると松明の火が移った。
最初は小さな火だった。
しかし、それは瞬く間に燃え広がっていく。
ドミノ倒しの様に連鎖する火は、油を吸った木材を伝って勢いよく燃え上がる。
炎は家屋から家屋へと、舌を伸ばす。
ぱちりぱちりと、木が爆ぜる音が夜の中に響いていく。
村が燃えていく。
ライラの故郷が、炎の中で消えていく。
彼女はその光景を見つめていた。
涙が頬を伝い、瞳は火の粉を宝石の様に彩る。
しかし、彼女は決してその目を逸らさない。
それが生き残った者の責任だと言わんばかりに、頑なに前を見つめていた。
燃える家々の音。
舞い上がる火の粉。
立ち上る黒い煙。
それらと共に、炎は夜空を赤く染め上げる。
ニナも姉の隣で燃える村を見ていた。
彼女の小さな手は、ライラの手を強く握っている。
「お父さん……。お母さん……。みんな……」
ニナの小さな声は、炎の音の中に溶けていく。
フォエはニナの腕の中で、静かに炎を見つめている。
獣は何も言わなかった。
サウルは少し離れた場所で、燃える村を見ていた。
彼もまた、何も言わなかった。
ただ、その横顔には、深い深い何かが刻まれていた。
――――
どれだけの時間が経っただろうか。
村は依然として燃え続けていた。
やがてサウルが、重い腰を上げて口を開いた。
「……行くぞ」
その声は静かだった。
しかし、サウルの響きには確かな重みがある。
ライラはそんな彼の言葉に頷いた。
「はい」
彼女は最後にもう一度だけ、燃える村を振り返る。
炎の向こうには両親の墓があった。
炎はまだそこまでは届いていない。
けれど、それも時間の問題だろう。
ライラはその墓の方に向かって、小さな声で呟いた。
「行ってきます。お父さん、お母さん」
それからライラは前を向く。
彼女はもう振り返らなかった。
そうして四人は夜の道を歩き始める。
燃える村を背に、まだ見ぬ旅路の先へ。
ライラ。
ニナ。
サウル。
そしてフォエ。
炎は夜空を赤く照らす。
その赤い光の中を、四人の影はゆっくりと遠ざかって行く。
まだ肌寒い春の夜。
この日だけは、炎の熱で少しだけ暖かった。




