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神の骸のオラトリオ  作者: 須江野モノ
第一章 『契りの春』

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第11話 『灰の中で』

 私は夢を見ていた。


 ある時は森の中で、夜の野営中だった。

 ぱちりと爆ぜている焚き火の前には、男が一人、座っていた。


 金色の髪に、両目とも深い青色。


 顔は若かった。

 二十代の半ばだろうか。

 長く剣を握ってきた者の落ち着きと、まだ若い顔立ちが同居していた。


 私はそんな男を知らない。

 知っている筈が無い。


 けれど、私は彼の事を()()()()()()()


 彼の青い瞳が、僅かに細められる時の開き具合。

 彼が焚き火を見つめる時の、口元の小さな緩み。

 彼の指の節の、ごつごつとした形。


 私はその全て知っていた。

 そして、その名前さえも。


「サウル」


 その名を呼ぶと彼は振り向く。

 不器用な、しかし、優しい笑みを私に向けてくる。


 その笑顔を見るだけで胸の中が温かくなる。

 この人の傍に居る、ただそれだけが嬉しかった。


 明日も、明後日も、その先も。

 この人と一緒に居られるのだと思うと幸せだった。


 ある時は雨の日の宿屋の窓辺。


 私の肩にサウルは頭を預けていた。


 私は彼の髪に指を絡め、頭を優しく撫でる。


 純粋な金色の髪。

 絹のように滑らかな手触り。


 窓の外では雨が降り続き、雨音が低く響いている。


 私達の間に言葉は無かった。

 ただ雨音と、呼吸の音だけが私達の周りを満たしている。


 彼の体温が肩から伝わってくる。

 その温かさが、私の世界の全てだった。


 ああ、この時間が永遠に続けばいい――


 心からそう思った。


 これが世界で最も幸せな時間だと。


 ある時は朝の市場。


 私はサウルの手を引いていた。


「サウル、こっち! こっちよ! こっちに美味しいパン屋さんがあるの」


 自分の声が子供のようにはしゃいでいる。

 サウルは少し困ったような顔でついてきた。


 でもその表情の中には、深い優しさがあった。


 彼の手のごつごつとした感触。

 幼い頃から剣を握ってきたであろう、騎士の手。

 硬く、無骨な手。


 その手は私に引かれて、市場の喧騒の中を歩いている。


 その事が可笑しくて、嬉しくて、笑いが止まらなかった。


 市場の喧騒の中で、朝の光に包まれて、私達はお互いの顔を見て笑い合う。


 夢の中で私は思った。


 ああ、私はこの人を愛している――


 知らない筈なのに。

 会ったことすら無いのに。

 それでも私はサウルを深く愛していた。


 彼の青い瞳も。

 金色の髪も。

 若い不器用な笑みも。


 全てを知っていた。

 全てを愛していた。


 私は本当に、心の底からの充足感を感じていた。

 これ以上無いほどに幸せだった。


 だが、しかし。

 最後の断片は突然訪れる。


 ある時、最後に居たのは冷たい石の上だった。


 祭壇のような場所、暗い天井。

 石の床の冷たさが背中に伝わってくる。


 身体は動かなかった。

 何故、動かないのかは分からない。


 ただ身体の中に、何か自分ではないものが巣食っていた。

 それが私の四肢を、私のものではなくしていた。

 その感覚があった。


 そんな私の目の前にはサウルが立っていた。


 彼は剣を握っており、その剣の先端は私の胸に向けられている。


 彼は泣いていた。


 彼の青い瞳から涙が零れ落ち、口元は震えている。


 しかし、それでも彼は、剣をしっかりと握っていた。


「お願い」


 私は低く言った。


「お願い、サウル。やって。私が私で居る間に。妹の様に、ニナの様にならないうちに」


 私がそう告げるとサウルの目から涙が更に流れる。


 彼は頷き、剣を振り上げた。


 そして、それを突き下ろした。


 剣が私の胸を貫くと、凄まじい熱さが流れ込んでくるのがハッキリと感じられた。

 同時に、悲しい程の冷たさも、そこにはあった。


 炎のような熱さと、氷のような冷たさ。


 二つの感覚が同時に、私の中で混じり合っていく。


 しかし、痛みは無かった。


 私がサウルの顔を見上げると、彼の青い瞳から涙が零れ落ち、私の頬に落ちる。

 その涙の温かさを、私は確かに感じた。


 良かった――

 ニナの様にならなくて――

 貴方を傷つけずに済んで――


 私は夢の中で薄く笑い、対照的にサウルは泣いていた。


 意識がゆっくりと闇に呑まれていく中、最後に私は彼に囁いた。


「ありがとう。ごめんね。いつか、また会おうね」


 その言葉に対し、サウルは一言だけ言った。

 優しく、寂しく、けれど力強く。


「俺は必ず、お前を――」


 最後の方、サウルが何と言っていたのか。

 そこはハッキリと聞こえなかった。


 けれど私は、サウルのその声で夢の中から意識が引き上げられて行った。



 ――――



 ライラは目を覚ました。


 彼女が寝ていたのは藁の上、そして倉庫の中。

 倉庫の隙間から朝の光が差し込んでいた。


「……」


 ライラの頬には涙が伝っていた。

 だが、それが何の涙か分からなかった。


 夢で見たものをすぐには思い出せない。

 ただ何か温かいものを見た気がする。

 そして何か深い悲しみが、胸の中に残っていた。


「サウル……?」


 ライラは低く呟いた。

 何故その名を呼んだのか、自分でも分からなかった。

 しかし、その名が胸の中で確かに響いていたのだ。


「っ――!」


 起き上がろうとすると身体が痛み、ライラの顔が歪む。


 痛みの元を辿り、彼女が自分の体を見ると、肩と太腿に包帯が丁寧に巻かれている。

 ライラはそれを見て、ようやく昨日の事を思い出した。


 使徒達が村を急に襲って来た事。

 村人が無差別に襲われて死んだ事。

 全てが炎に包まれ、両親もいなくなってしまった事。


「そうだ、ニナは――!」


 痛む身体に鞭打って身体を起こす。

 そして周囲を見渡すと、倉庫の隅でニナが座っていた。


 彼女の腕の中には黒い毛玉の獣、子犬ほどの大きさの羊に似た形の生物、フォエが居た。


 ニナはフォエを優しく抱っこし、ふわふわの毛に頬を押し付けている。


「あ、おはようお姉ちゃん! 起きたんだね」


 姉の目覚めに気づいたニナは声を掛ける。


「フォエ、ふわふわで気持ちいいよ! 何か良い匂いするし!」


 ニナはフォエの毛に顔を埋めながら微かに笑う。

 その笑顔はまだ完全な笑顔ではなく、涙の跡が頬に残っていた。


 しかし、彼女は生きていた。


 ライラはそれが嬉しく、同時に胸の中に安堵が広がっていく。


「やあ、ライラ。よく眠れたかい?」


 黒い毛玉はニナの腕の中で心地よさそうにしながらライラに言う。

 ライラは、それを見て呆れながら、しかし少しだけ笑いながら返事をした。


「フォエ……。あなた、いつもの姿に戻ったの? ていうか姿を変えられるのね」


「うん、戻ったよ。あの姿は、地上を早く移動したい時にしかならないんだ。ちなみにだけど、私は人間の姿以外なら大体のものになれる」


 フォエはニナの腕の中で自慢げに答える。


「それに、こうしてた方がニナに可愛がってもらえるからね。悪口を言われるよりも、可愛がってもらう方が気分がいいだろう?」


 フォエの軽妙な口調に、ライラはわずかに笑った。


「ふふ、そうね。それで、ここはどこ……? 倉庫みたいだけど」


「君が良く知っている倉庫だよ。ニナが隠れていた、あの倉庫。君の生家のね」


「あ……」


 ライラは思い出した。

 昨夜の襲撃の時、ニナがここで毛布に包まれて隠れていた事を。

 今、自分もその同じ倉庫の中にいる事を。


 しかし――


「でも、私達はどうやって……?」


 疑問に思ったライラに対し、フォエは即答する。


「あの男が君をここに運んだ後、本格的に治療したんだよ。私とニナも彼に連れられここに来た。もう一人男が来て、不思議な結界を張ってくれたんだけど、彼はその後はどこかに消えてしまったんだ。そうして一晩明けたんだよ」


「別の男? いえ、それは今はいいや。あの人は、今どこにいるの?」


「外だよ。朝早くから何かをしている」


 ライラの胸の中で何かが波打つ。


「何かって、何?」


「外に出た方がわかりやすいよ。自分の目で見てきな。見ての通り、私はニナにモフられて忙しいんだ」


 フォエの声にはわずかな含みと、撫でられる心地良さがあった。


 ライラは、


「それもそうね」


 と、言ってゆっくりと立ち上がる。


 身体は昨日までは大穴が空いていたのだ、当然まだ痛む。

 しかし、動けない程ではなかった。

 包帯の下の傷は、既に血が止まっており、どういう訳か折れた骨や削られた肉も元通りである。


「お姉ちゃん、どこ行くの?」


 ニナがフォエを抱っこしたまま聞いた。


「ちょっと外を見てくるね。すぐ戻るから待ってて」


 ニナは姉の言葉を聞き頷いた。

 そしてライラは倉庫の戸をゆっくりと開けた。



 ――――



 ライラを待っていたのは朝の光と、それから、燃え尽きた村の残骸だった。


 焦げた家々の柱、灰の山。

 倒れた村人達の遺体は、まだ地面に転がっている。


 それとは対照的に空は青く澄んでおり、世界は残酷なほどに美しい朝を迎えていた。


 複雑な感情を抱きながら周囲を見渡していると、ライラの視線がふとある場所で止まる。


「あ――」


 ライラの家の前で、昨日の男が一人、土を掘っていた。


 彼は黒い外套を脱ぎ、シャツの袖を肘までまくっている。

 縞模様の金髪と白髪が朝の風に揺れ、スコップの音が規則的に響く。


 一体何をしているのかと一瞬ライラは考えたが、その答えはすぐに分かった。

 彼の隣には、瓦礫の中から運び出されたであろう、二つの焦げた遺体が置かれている。

 その二つの死体はライラとニナの両親だった。


 男が掘っていたのは墓穴だったのだ。


 二人の遺体は丁寧に布で覆われているが、顔だけが覆いから出ていた。


 父の顔は煤で汚れていたが、しかし安らかに見えた。

 母の顔も同様だった。


 二人とももう、苦しんでいなかった。


 ライラはその光景を見て声が出なかった。


 そんなライラに気が付いたのか、スコップを止めて男が振り返る。


 朝の光の中、彼の右目の赤と左目の青がより鮮明に見えた。

 縞模様の髪。

 不器用そうな、しかし整った顔立ち。


「起きたか」


 男は低くそう言った。

 ライラはしばらく何も言えなかったが、彼女はようやく声を絞り出して言う。


「あの……」


「ああ」


「あなたの、お名前は……?」


 ライラは確かめるように聞いた。

 なぜ確かめたかったのか、彼女には分からなかった。

 ただその名を聞きたかった。


 男はしばらく答えなかった。

 

 彼の表情は変わらない。

 しかし、その奥で何かがわずかに揺れたような気がした。


 それから男は低い声で答える。


「サウル。俺はサウルと言う」


 その名を聞いた瞬間、ライラの心臓が何故か熱くなった。


 鼓動が速くなり、胸の中に温かいものが広がっていく。

 夢で見たものが霞のように流れていくが、しかし、もう思い出せない。


 ただ、その名前がライラの胸の中で、確かに熱を持っていた。


 それが一体何なのかはライラには分からない。


 ライラは低く呟いた。


「サウル、さん……」


 サウルと名乗った男は何も言わなかった。

 しかし、彼の表情の中のわずかな何かが、ライラと同じ様に揺れていた。


 ライラにはそれが見えなかったが、確かに揺れていたのだ。


「これ……。あの、私の両親で、何を」


「埋葬している」


 サウルは短く答えた。


「すまない、勝手な事をした」


「どうして……」


 ライラは声を震わせながら聞く。


「どうして、あなたが私の両親を……?」


 サウルは答えなかった。

 ただ、彼はスコップを土に差し込んだまま止まっていた。


 それからしばらく考えた後にサウルは答えた。


「恩人なんだ」


「えっ?」


「ずっと昔、世話になった。二人は俺の大切な人だ」


 ライラはその言葉の意味がすぐには理解できなかった。


「ずっと昔って……」


 ライラは聞いた。


「私が生まれる前のこと、ですか?」


 サウルはライラの質問には答えず、視線を彼女の両親の遺体へ向けた。


 ライラはもう、それ以上は追求しなかった。

 答えないと言うことは、何か踏み込んではいけない領域が、そこにあるという事なのだ。


 大切な人とサウルが言った以上、埋葬をしている彼も、ライラと同じ気持ちなのだから、これ以上はただ傷つくだけになってしまうから。


 それでも、ライラの心臓はまだ熱を持っていた。

 サウルが両親の「恩人」だったという話と、夢の中の何かが、無意識の中で繋がりかけていたのだ。


 ライラは両親の遺体に近づくと、傍で膝をついて父の手を握る。


 その手は生前からは考えられないほどの冷たさをしていた。

 けれど、それは確かに父の手だった。

 ライラが十六年間、尊敬して愛していた父の大きな手。


「お父さん……」


 ライラの目から涙が零れる。


「お母さん……」


 ライラは母の手も握った。


 細い指、指輪を外した跡。

 その指輪は昨夜、ライラが瓦礫の中で見つけたものだ。

 今はニナが首から下げている。


 きっと、サウルが気を利かせてニナに持たせてくれたのだろうと、ライラは解釈した。


「今までありがとう」


 ライラは低く呟く。


「ごめんなさい」


 ライラの涙が両親の手に落ちた。


「ニナは、私が守るから。だから、安心して」


 朝の光はライラの背中を照らし、サウルは少し離れた場所でそれを見ている。


 彼は何も言わなかった。

 ただ、とても悲しそうな目でライラの背中を見ていた。


 その時。

 倉庫の方から足音が聞こえて来る。


「お姉ちゃん……」


 ニナがフォエを抱いたまま、外に出てきていたのだ。


 ニナの目はすぐに両親の遺体に向き、涙が彼女から零れ落ちた。

 しかし、ニナは泣き叫ばなかった。

 ただ姉の傍にゆっくりと歩み寄り、両親の遺体の前に膝をついた。


 ライラはニナを抱きしめ、ニナは姉の胸に顔を埋める。


「お父さん……。お母さん……」


 ニナの小さな声と身体は震えていた。


 それからしばらく、二人は両親の前で座っていた。


 そして、どれだけの時間が経ったろうか。

 気持ちが一旦落ち着いたライラは立ち上がり、サウルに言った。


「両親を埋めてください。外はまだ、寒いですから。土の中なら、故郷の村の土地なら少しは温かいはずだから」


 ライラの言葉にサウルは無言で頷いた。


 そして彼は淡々と、けれどどこか重い雰囲気を漂わせながら、ライラとニナの両親の遺体をそれぞれの墓穴に入れた。


 ライラとニナは両親の顔に最後に触れ、それから布で顔を覆った。


「世話になりました」


 そう言うとサウルは土を被せ始める。


 ぱさり、と、乾いた土が両親の身体の上に落ち、二つの土の墓が出来上がった。


 ライラとニナはその墓の前で、しばらく立っていた。


 サウルは少し離れた場所で二人を見て、それから別の村人の遺体の方を見ていた。


「他の村人達も、できる限り埋葬する」


 サウルは二人にそう言った。


「だが、お前達はまずは休め。力仕事は俺がやる」


「……はい」


 ライラが頷くと、サウルは別の遺体の方へ歩み出す。


 二人と一匹はサウルの後ろ姿をぼんやりと見つめていた。

 そして突然、ライラが口を開く。


「ねえ、フォエ」


「なんだい」


「あの人のこと、どう思う?」


 フォエはしばらく答えなかった。

 その代わりに、黒い毛玉の獣はニナの腕の中で、じっとサウルの方を見つめている。


 数秒後、フォエはゆっくりと言った。


「……どこか懐かしい気配を感じる、気がする」


「懐かしい?」


「うん。不思議だよね。会ったことは無いのに。私は彼の事など知らないのに」


 フォエの声には自分でも説明できない戸惑いがあった。


 ライラにはその意味が分からなかった。

 しかし、フォエが何かを感じ取っている事は分かった。


 朝の光の中、サウルは別の村人の遺体を運んでいる。

 彼の背中は広く、しかし何処か寂しげだった。


 ライラとニナは両親の墓の前に立っていた。

 ニナはフォエを強く抱きしめ、フォエはサウルの後ろ姿をじっと見つめている。


 そして、ライラの心臓はまだ熱を持っていた。


 その熱は何故、生まれたのか。

 彼女には分からなかった。

 ただ『サウル』という名が、彼女の胸の中で何度も響いていた。

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