20.最後の日常
タチアナさんの店の扉を押すと、香ばしい匂いがふわりと広がった。
店内は、仕事終わりのお客さんで賑わっていた。
「いらっしゃ〜い」
カウンターの奥から、タチアナが顔を上げる。
「あんたら、学校帰りかい?」
「……ちょっと、聞きたいことがあってな」
レオンはそう言って、席に着いた。
ユイも隣に座る。
「私に……聞きたいことかい?」
「……あぁ。この世界の……仕組みについてだ」
その一言で、空気が変わった。
タチアナは手を止める。
数秒だけ、沈黙。
「……あんたら、どこまで知ってるんだい?」
「対人補正、っていうのがあるってこと」
ユイは答える。
「人との関係とか、行動とかを“それっぽく”調整してる」
「……そうね、大体合ってるわね」
タチアナはゆっくりと頷いた。
「この世界ではね、プレイヤー同士の関係性が破綻しないよう、“最適化”されてるんだよ」
「最適化……」
レオンは心当たりがあるようだった。
「えぇ、そうよ。
好意、距離感、会話の流れ……すべてが“自然に見える範囲”に収まるように補正される」
ユイは息を呑む。
(……やっぱり)
「じゃあ、それって……」
「……そうね」
タチアナは静かに言った。
「“本物の関係”とは、言えないわね」
言い切られる。
「……なぁ。そのシステムって」
横から、レオンが口を開く。
「壊せるのか?」
直球だった。
タチアナは視線を上げる。
「可能性は……あるけど……。
そもそも、壊したい理由って?」
「あんたに教える義理はないな」
レオンはタチアナを警戒している。
「……まあ、いいわ。
あんたらがシステムに干渉したいなら、行くしかないわね……中枢に」
空気が張り詰める。
ユイは、少しだけ躊躇ってから口を開いた。
「……ねぇ、タチアナさん」
「なんだい?」
「どうして、そんなに詳しいの?」
静かな問いだった。
システムの中枢――普通のプレイヤーが知っているには、あまりにも踏み込みすぎている。
「そうね……。
このゲームは、私のために作られたから……かな」
タチアナは、曖昧な返答をした。
その曖昧さが、逆に引っかかる。
「それって、どういう……」
そこまで言いかけて、ユイは言葉を失った。
沈黙の後、タチアナは語る。
「……まぁ要するに、このゲームの開発者は、私の父なのよ。
テストプレイの頃からずっとこの世界にいるわ……」
何事もなかったかのように、調理を再開する。
包丁の音が、コツ、コツ、と規則的に響く。
「だから分かるのよ。
それを壊そうとするプレイヤーなんて、今までいなかったわ……。
……いや、違う。
きっと、対人補正に違和感を感じたプレイヤーは、ゲームをログアウトして、やめちゃうのかもね……。
せっかく仲良くなっても、いなくなっちゃうのは……やっぱり寂しい」
ユイは、小さく息を呑む。
ただの情報じゃない。
(……これは、タチアナさんの経験だ)
そう直感した。
でも、それ以上は聞けなかった。
聞いてはいけない気がした。
「……話、戻すよ」
タチアナは何事もなかったように言う。
「システムの中枢に触れたいなら、君たちが通ってるアルカディア学園に行くといいわ。
“管理領域”への入り口がある」
「具体的な場所は?」
タチアナは覚悟を決めたような表情に変わる。
「……学園長室の床下ね」
「そこに行けばいいの?」
ユイは確認する。
「ええ。ただしね――」
タチアナの声が少し低くなる。
「安全は保証しないわよ」
ユイは少し怖くなった。
「……もし、バレたらどうなるの?」
「私にも分からないから、保証できないって言ってるのよ。
特に今は、ログアウト不能状態を一向に修正する気配がない……。
干渉するのは……危険でしかないわ」
重い沈黙。
現実の重さが、ここに落ちてきたようだった。
「……でも」
ユイが口を開く。
「やらなきゃ、ダメなんだと思う」
ゆっくりと顔を上げる。
「このままじゃ……全部、“作られたまま”になるから」
レオンが、ユイを見る。
「……明日、行くか?」
「うん」
迷いはなかった。
「明日、この世界のシステムに触れに行く……!」
はっきりと、言い切る。
タチアナはしばらく二人を見つめて――
「……そうかい」
小さく頷いた。
「なら、今夜は体力つけて、ちゃんと休むことだね。
おかわり、好きなだけしていいからね」
「……うん。ありがとう、タチアナさん」
「……悪ぃな」
二人は頷く。
だが――
(……たぶん、休めない)
そんな予感があった。
◇
店を出る。
夕暮れの街は、いつもと同じように整っていた。
「日、伸びたね」
「……かもな。でも、もう帰るぞ」
レオンが言う。
「……うん」
ユイも答える。
だが、歩き出して数分。
ユイはふと、足を止めた。
「……どうした」
「レオン……!」
振り向く。
「僕、ちょっと寄りたいところある」
「……明るいけど、もう遅いんだぞ?」
「うん、分かってる」
少しだけ、間を置いて。
「門限……、破ってみたい」
レオンの目が、わずかに細くなる。
「……本気か?」
「うん……。
最後にさ、“ちゃんと自分で選ぶ”って、やってみたい」
レオンは数秒、何も言わなかった。
それから――
「……すっかり、悪ガキだな」
笑って言う。
否定はしない。
止めもしない。
それが、いつもの許可だった。
◇
歩いていると、日は落ちた。
街の雰囲気は、昼とはまるで違っていた。
人通りは少なく、静かで、どこか不安定。
本来、《学生》がいるべきじゃない時間。
システムが想定していない行動。
それでも――
(……今、僕は自分の意思で、ここにいる)
はっきりと、自覚できる。
隣を見る。
レオンも、同じように歩いている。
どこにも属さないまま。
「……なぁ」
「うん?」
「怖くねぇのか」
レオンが聞く。
「……ちょっとはね」
正直に答える。
「でも、それより……。
自分で選んだ事が嬉しい。
少し、不良の気持ちもわかった気がするな」
ユイは笑いながら言った。
レオンはただ、その言葉を聞いていた。
しばらく歩く。
街灯の少ない道。
静かな空気。
ユイが、ふと立ち止まった。
「……レオン」
「なんだ」
「手、出して」
「……は?」
「いいから……!」
少しだけ強引に言う。
レオンはため息をつきながらも、手を出した。
その手を――
ユイは、そっと握る。
「……っ」
一瞬、レオンの身体が固まる。
「……何してんだ、お前」
「……ダメ?」
「ダメじゃねぇけど……」
言葉が続かない。
ユイは少しだけ笑う。
「こういうのもさ、今までは“対人補正”だったのかなって思って」
指先に、少し力を込める。
「でも、今は違う」
顔を上げる。
「これは、僕がやってる」
はっきりと言う。
レオンは何も言わない。
だが、その手を振りほどかなかった。
むしろ、わずかに握り返す。
言葉はないが、お互い、それで十分だった。
◇
どれくらい歩いたのか分からない。
やがて、人気のない公園に出る。
誰もいない。
静かな場所。
二人は、自然と足を止めた。
「……明日だな」
レオンが言う。
「うん」
「後戻り、できねぇかもしれねぇぞ」
「分かってる」
ユイは即答した。
「それでも、やる」
その声に、迷いはなかった。
沈黙。
夜の空気が、ゆっくりと流れる。
「……なぁユイ、もしよ」
レオンは少しだけ言葉を探して――
「もし、全部消えたら」
その先を、飲み込む。
ユイは、一歩近づいた。
「それでもいいよ」
「……は?」
「だって」
まっすぐに見る。
「それでも、僕はもう一回レオンに会いに行くから」
レオンの目が見開かれる。
「現実でも、ゲームの世界でも、どこでも」
小さく笑う。
「ちゃんと、自分で選ぶよ」
その言葉の意味は、重かった。
システムがなくても。
補正がなくても。
それでも、選ぶ。
レオンは、しばらく何も言えなかった。
そして――
「……バカか、お前」
小さく吐き捨てる。
でも、その声は震えていた。
「そんな簡単に言うなよ。
本当に会えなくなっちまったら……俺…………」
ユイは首を振る。
「でも、決めたから」
その瞬間、レオンがユイの腕を掴む。
「……っ」
強く引き寄せる。
気づけば、距離がゼロになっていた。
「……離さねぇぞ」
低い声。
「俺は、お前がいないと……」
「……離れないよ」
「……絶対だぞ」
「うん……」
ユイは頷く。
そのままレオンは、強く抱きしめた。
初めての距離。
逃げ場のない近さ。
でも、不思議と怖くない。
(……これも……僕が選んでる。
レオンが……選んでくれている)
そっと、抱き返す。
ぎこちなく。でも、確かに。
しばらく、そのまま時間が止まる。
夜の静寂の中で、
二人だけが、そこにいた。
◇
しばらくして、どちらからともなく体を離す。
言葉は、もう必要なかった。
「……帰るか」
「うん」
今度は、自然に並んで歩き出す。
繋いだ手は、そのまま。
離す理由が、なかった。
夜の街を抜けていく。
門限は、とっくに過ぎている。
でも――
(……これでいい)
ユイは思う。
(明日、すべてが変わるかもしれない。
けど、もしレオンがいなくなっても、僕は絶対に探しに行く。
……次はちゃんと選ぶって決めたから)
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※作者は特級の声優ヲタです。キャラクターの脳内再生CVなど、お気軽に自由なコメント待ってます!




