17.進まない選択
あれから一週間が経った。
朝の空気は、ほんのり温かくなってきている。
ゲームの世界でも、季節は巡るのだ。
ユイは通りの端に立ち、目の前の建物を見上げている。
――ハッピー不動産。
入り口にはそう書いてある。
石造りの二階建て。
装飾は少なく、派手さもない。
(……よし、入ろう)
この一週間。
学校に通って、バイトをして。
気づけば、迷うことは減っていた。
何をすればいいかは、自然と分かる。
どこへ行けばいいかも、考えなくても体が動く。
【ロール進行度:99%】
(……ちゃんと、進んでる。
あと……1%で……)
でも――
(……これでいいのかな)
胸の奥に、少しだけ引っかかるものがあった。
「……いよいよ、決めるんだな」
後ろから声がした。
振り向くと、レオンがいつもの位置にいる。
壁に寄りかかるでもなく、ただ立っているだけ。
この世界の流れから、少しだけ浮いた場所に。
「うん」
ユイは頷いた。
ただ、少しだけ、止められるかもしれないと、どこかで考えていた。
何か言われるかもしれないと。
でも、レオンは何も言わない。
興味がないわけじゃない。
ただ――
(……見守っている)
そんな距離だった。
「じゃあ、行ってくる」
「……ああ」
ユイは扉を押した。
◇
中は、静かだった。
受付の男が、ゆっくりと顔を上げる。
「……いらっしゃい。用件は?」
「えっと、家を探してて」
ユイは答える。
「ここ、空いてるって見てきたんですけど」
ユイが指を指したのは、街のはずれにある小さな一軒家。
“ボロい”といえば間違いではないのだが、ユイはどこか温かみを感じていた。
「ええ、空いております。
ちなみに、ロールは何でしょう?」
いつもの質問。
「《学生》です」
「……そうですか」
男は一瞬だけ視線を落とし、何かを確認する。
「条件付きなら、購入は可能となっておりますが……」
「条件?」
「門限や、契約期間、光熱費。
それらはすべて《学生》基準に制限されます。
よろしいでしょうか?」
「はい! 大丈夫です!」
ユイは、ハッキリと言った。
迷いはなかった。
制限があることも分かっている。
自由じゃないことも分かっている。
それでも――
(……ここに、決める)
そう思った。
契約書が差し出される。
ユイはそれを受け取り、目を通す。
細かい規約。
細かい制限。
全部、書いてある。
(……檻みたいだ)
ふと、そう思った。
でも――
(……それでもいい)
そして、ペンを取ったその瞬間。
ほんのわずかに、手が止まる。
(……これ、選んでるのは僕だ)
誰かに言われたわけじゃない。
流れに乗ったわけでもない。
自分で、決めている。
その感覚を、確かめるように……名前を書く。
“ユイ”
最後の一画を書き終えたその瞬間――
視界の端に、淡い光が揺れた。
【ロール進行度:88%】
「……え?」
思わず、声が漏れる。
確かに進行度が下がっていた。
今まで、一度もなかった変化。
胸の奥が、ほんのわずかに軽くなる。
しかし同時に、何かを取りこぼしたような感覚が残った。
(……なんで、減っちゃったの?)
さっきまで、確かに“正しいこと”をしていたはずだ。
ロールに従い、《学生》の条件で家を買う。
何もおかしくない選択。
それなのに――
(……違う)
ふと、気づく。
(……これ、自分で選んだからだ)
誰かに言われたわけじゃない。
流れに乗ったわけでもない。
自分で決めて、自分で選んだ。
だから――ほんの少しだけ、外れた。
(……下がった)
胸の奥が、わずかにざわつく。
不安ではない。
むしろ、奇妙な実感。
(……僕、ちゃんと選べたんだ)
その証明みたいに思えた。
「……どうかしましたか?」
受付の男の声で、我に返る。
「あ、いえ……大丈夫です」
ユイは小さく首を振った。
それ以上は、何も言わない。
契約は、そのまま完了した。
◇
外に出る。
扉が閉まる音が、やけに静かに響いた。
「買えたのか」
レオンが言う。
「うん」
ユイは、少しだけ息を吐く。
その表情は、どこかすっきりしていた。
「ここからちょっと歩くけど、きっと――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「……レオンにも、気に入ってもらえると思う」
レオンは怪訝そうな顔をした。
「お前の家を、俺が気に入ってどうすんだよ」
「……え?」
ユイは目を瞬かせた。
「だって、一緒に住むんでしょ?」
「……は?」
空気が止まる。
「……え、僕、てっきりそうだと思ってて……。
二人で住める家、選んだんだけど……」
沈黙。
ほんの数秒。
でも、それは妙に長く感じられた。
そして――
「…………っ」
レオンの肩が、小さく揺れる。
「……ぷ……っ」
次の瞬間。
「……ぷははははっ!」
声を上げて笑った。
初めて聞く、はっきりとした笑い声だった。
「なんだよ、それ……!」
息を整えながら、レオンは言う。
「俺、ずっと勘違いしてたわ」
「え?」
「お前、俺といるのが嫌になったから、家買うのかと思ってた」
「……は!?」
今度はユイが驚く番だった。
「そんなわけないじゃん!
……だから、最近、レオン拗ねてたんだ」
「……べ、別に拗ねてはねぇよ」
「えー? 絶対拗ねてたって!」
「……そんなの、もうどうでもいいだろ?」
まだ少し笑いを残しながら、レオンは頭をかく。
「……いや、悪かったな。勝手に拗ねてて」
「やっぱり拗ねてたんじゃん!」
「……うるせぇ」
短く返す声は、もういつもの調子に戻っていた。
ユイは、ほっとしたように笑う。
「じゃあさ……」
一歩、近づく。
「仲直りってことで、来てよ」
「……ああ」
その一言だけだったが、ほんのわずかに力がこもっていた。
ユイはレオンの袖を掴んで、歩き出す。
一瞬だけ、その手が緩む。
でも、レオンは、その手を握り返した。
意識的に……、選ぶように。
◇
二人はしばらく手を繋いで歩いている。
街の喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。
人通りも減り、建物もまばらになる。
「こっちだよ」
ユイは迷いなく進む。
この一週間で身についた、“自然な判断”。
けれど、その足取りは昨日までとは違っていた。
(……決めてる)
どこへ行くかを。
どうするかを。
流れではなく、自分で。
やがて、小さな家が見えてきた。
木造の一軒家。
壁は少し古びているが、手入れはされている。
庭も小さいながら、ちゃんと形になっていた。
「……ここか」
レオンが呟く。
「うん」
ユイは頷いた。
「今日から、ここが――」
一瞬、言葉が止まる。
でも、今度は迷わない。
「僕たちの家」
静かな言葉だった。
レオンは何も言わない。
ただ、その家を見ている。
豪華でもない。
便利でもない。
ロールの制限がかかった、不自由な場所。
それでも――
「……悪くねぇな」
ぽつりと、そう言った。
ユイは、少しだけ嬉しそうに笑う。
「でしょ?」
扉の前に立つ。
鍵を取り出す。
ほんの少しだけ、手が止まる。
(……ここに、入る)
それは、“場所”を選ぶこと。
同時に、“在り方”を選ぶことでもあった。
ロールに従う自分と、ロールから外れる自分。
その両方を抱えたまま。
(……それでも)
鍵を回す。
扉が、ゆっくりと開いた。
中はまだ何もない。
空っぽの空間。
でも――
(……ここからだ)
ユイは、一歩踏み出す。
その後ろから、レオンも入ってくる。
同じ場所に。
同じタイミングで。
何かが決まったわけじゃない。
何も解決していない。
それでも――
少なくとも今は、二人は同じ場所に立っていた。
◇
その夜。
窓の外には、静かな灯りが揺れている。
ユイは床に座り込み、ぼんやりと天井を見ていた。
(……下がった)
あの時の数字を思い出す。
ほんのわずか。
でも、確かに。
(……でも)
不思議と、後悔はなかった。
(……これでいい)
そう思えた。
視線を横に向ける。
レオンは壁にもたれ、目を閉じている。
変わらないようで、少しだけ距離が近い。
(……ここで、一緒に過ごす)
その事実が、静かに胸に落ちてくる。
そして、もう一つ。
(……僕は、この世界で進んできた)
でも――
(……止まることも、戻ることも選べる。
それがこの家なのかもしれない)
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