1-20
1-20
ルーチェがテントに戻った時にはすでにミロンドが帰っていて、1人酒を飲んでいた。
「父さん、ただいま」
「ルーチェか」
ミロンドはルーチェをちらりと見ただけで、またすぐに何かを考えこむようにたき火を眺めていた。
「フェルセと夏至祭を見てきたんだよ。父さん、すごいね。今年も剣術大会で優勝したんだね」
ルーチェは父の背後から抱きついた。
「ありがとう。でもな、いくら剣の腕があっても父さんは母さんを守りきれなかったよ。すまんな」
ミロンドの声は、いつになく弱々しかった。
もしかしたら父は泣いていたのかもしれないと、ルーチェは思った。
「……仕方なかったんだよ。もう、どうしようもなかったんだよ」
そんな言い訳しか、出て来なかった。
ルーチェは父親の隣りに座った。
父は何も言わなかった。しばらく2人でたき火にくべた赤々と燃える炭をじっと見つめた。
「父さんは、母さんの両親と約束したんだ。母さんを自分の命にかえてでも守るから、一緒になりたいとね」
しばらく経った頃、父は口を開いた。
「母さんは昔から体が弱かったから、独り立ちさせることをあきらめていたらしいんだ。『監視員』の目をごまかしながら、手元においておこうと決めていた」
ミロンドはコップに酒をつぎ足した。
それからたき火の上にかけておいたやかんを取ると、コップに湯を入れた。
「だがな、父さんは母さんに会ってしまった。母さんを見た時から、この人のことを守っていきたい、自分のできることならなんでもしたいと思ったよ」
ミロンドはそこで言葉を区切り、酒を飲むと、一息ついた。
ルーチェは何も言わず、父の言葉を待った。
「母さんも……アイリーも同じ気持だったんだろうな。俺と一緒になって、このパーティで旅をするようになってから、表情が豊かになって、笑うことが増えたよ。口数は多い方ではなかったけど、アーディンは上手になった。時々高熱を出してはルネを驚かせていたな。その度に、ルンカの病院を探しまわったよ。目に涙を浮かべてさ、ごめんなさいって言ってたけど、ちっとも苦ではなかった。むしろ俺は楽しんでたくらいさ。ルーチェが産まれてからも、産後の肥立ちが悪かったり、2人で風邪だとか、なんだかんだで倒れたりしてたな。そんなに永くは生きられないだろうと思っていたが、あっという間だったな」
ルーチェは何も言わず、黙って父を見ていた。
湿気を含んでいた炭が、パチンとはぜた。
「ラーデンの病院でな、母さんは言ってたんだ。アーディンが弾けなくなった、だから自分はもう駄目なんだと。アーディンが弾けなくなったと分かった時、母さんは自殺を考えていたらしい」
「母さんが、そんなことを……」
ルーチェは父の言葉が信じられなかった。
でも、よくよく考えてみると、馬車の中で母はアーディンを弾いてくれなかった。アーディンを弾いてくれとねだったルーチェに、哀しい顔で弾けないと答えた母。
「ああ。もしかしたらな、もっと時間をかければそのうち弾けるようになったかもしれない。だがね、夏至祭で帰れば、必ず『監視員』に殺されるだろ。夏至祭に出なかったら、『監視員』は追いかけてくるんだ。右肩の印がある限り、奴らはしつこいさ。どちらにしても殺されてしまうのなら、その時まで俺と、ルーチェと笑って過ごしたいて、母さんはそう言ってたさ」
父はそう言うと、酒を一口飲んだ。
「……ここに着いた日、母さんはアーディンを弾いてくれたんだ」
自分の心を無理やりねじ伏せてまでも、母は自分のためにアーディンを弾いてくれた。
母にとって、あの演奏はとても辛かったに違いない。そこまでしても、ルーチェに伝えたかったのだろう。あの圧倒されるような表現力は、一生忘れられない。
「そうか、それがアイリーにとって最後の演奏だったんだな……」
ミロンドはつぶやいた。
「母さんは父さんに会えて感謝してるって言ってた。母さんは今でも僕の心の中で生きているんだよ。アーディンを弾く度に、母さんと話しているんだ」
ルーチェは昼間考えていたことを思い出した。
あの時はできた。今でもできる自信がある。
「ルーチェ、いつの間に強くなったんだな」
父が驚いたように、ルーチェを見ていた。
「だって、今日は僕の誕生日だよ。ひとつ大人になったんだ。いつまでも泣き虫じゃないよ」
ルーチェはちょっと照れくさくなって、ふふふと笑った。
「もう10歳か。早いもんだな……」
ミロンドは苦笑した。
「あとね、父さん。お願いがあるんだけど」
ルーチェはきちんと座り直すと、父の顔をまっすぐに見た。
「何だい?」
「僕に、剣術を教えて下さい」
ルーチェはそう言うと、深々と頭を下げた。
「どうしたんだ?いきなり」
思いもよらない依頼に、ミロンドはあっけにとられた。
「僕だって、守られるだけじゃ嫌なんだ。誰かを守りたいんだ。それに、母さんのような悲しい犠牲者を出したくないから」
「……父さんは、母さんのことを守れなかったよ?」
「でも、それでも僕は……、僕はプラティ族を変えていきたいんだ。どうすればいいか、まだ分からないけど。でも、絶対に剣術は必要だと思うから。その時に、ないと困るから。だから、お願いします」
ルーチェは再び頭を下げた。
父は何も言わず、赤々と燃えていた炭がやがて燃え尽きて白くなっていくのを眺めていた。
「プラティ族を変えたい、そう言ってた奴は何人か知ってるさ。結局な、みんな何らかの形で殺されているんだ。ルーチェもそうなってほしくないって父さんは思うがね。プラティ族を変えられるのなら、変えて欲しいって願っているし、そのためなら何でもするよ。フェルセも生まれてきたし、もしかしたら、何か変わっていくのかもしれないな。父さんがどのくらい教えられるか、分からないけど教えてやるよ。何てたって、ルーチェは俺の子だからな。すぐに上手くなるよ」
ミロンドはそう言って笑った。
「本当?ありがとう、父さん」
ルーチェの顔が、ぱっと明るくなった。
「にしても、ついこの間まで母さんにべたべただった奴と、同じなんて思えないな」
「それはもう言わないでよ」
ルーチェは父に抱きついた。
「そこまで成長したってことか。剣の修行は明日からだ。今日はもう遅いからもう寝るんだよ」
そう言うとミロンドはルーチェの頭をがしがしとなでた。
「はい、分かりました。父さん、おやすみなさい」
ルーチェは飛び起きると、ペコリと頭を下げた。




