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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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87/95

都大路⑥ さざ波立つこの西京極

「52番、北信越代表、二ノ丸高校」

 私はゼッケンを見せて召集を完了させる。

 いよいよ都大路のスタートまで15分を切った。1区の私はもう一度靴紐をきつく締める。

 隣にいる美希先輩、千香は私をじっと見つめる。

「あのさ、ちょっと視線を感じるんだけど」

 千香はしまったと言わんばかりの表情を浮かべる。ショートヘアの毛先を居心地悪そうにいじる。

「ごめんね漣ちゃん。気になっちゃって」

「ううん、大丈夫」

 私はもう一度、マラソンシューズの紐に手をかける。

 一度立って左右のバランスを確認する。キツさは左右で変わらないみたい。

 これならいけるわね。安心して紐を二重に結わえる。今日はいつもよりも早く、靴ひもがしっくりくる。

「ちょっと流し行ってくるね」

 美希先輩は手元の時計を確認する。

「流しなら1本だけにしないと。もうスタートに並ばないと」

「もうそんな時間なの? んじゃま、いっか」

 私は流しに行くのをやめる。肌にワセリンを塗ることにした。

 センセーが言ってたな。ワセリンを肌に塗っておくと暴風効果があるんだって。

 今日はすごく寒いし風も思った以上に感じちゃうからちゃんとするんだぞって買ってくれた。そういうところ面倒見がいいんだよねー。

 センセーが買ってくれたワセリン。私たちへのプレゼント、か。

 私たちという言葉は少し不満だ。本当は私のプレゼントって言いたいのに。そう言えたら、どんなに気分がいいのか―――――

 ってスタート前に何考えてるの私! ダメダメダメ!

 今はそういうこと忘れなきゃ。ワタシってすぐ独占欲になっちゃうから。真剣勝負の舞台にそんな感情はいらない。

 センセーは第1中継所で待ってくれる。それだけ信じていればいい。

 終わってからのことは終わってから考えればいいんだ。

 私は自分の頬をパンパンと2回、強く叩く。

 こういうことは今考えちゃダメ。今はレースに集中しないと。

 ふぅ―――――。

 ……。

 よし。集中モード入った。

 それに呼応するかのように、1区の選手のスタート位置への集合が指示される。

 いよいよ出番ね。そう感じた。

 ウィンドブレーカーを脱ぎながら色んなものがこみ上げてくるのが分かる。

 ―――――春からは想像できなかったコトだね。

 春なんてただの中距離選手だったのに。元々本職だった長距離の芽を見出されて気づけば都大路の舞台まで来ちゃった。

 美希先輩とも駅伝で争うことになるなんて。でも今はこうして仲良く都大路って、本当にどうなってるんだか。

 でもこれはこれで素敵な運命なのかなと思った。美希先輩と仲を戻せたことって、半年前じゃ想像できなかったことだし。

 今こうして隣にいてくれること。これも奇跡なんだな。

 美希先輩のためにもがんばらなくっちゃ。

 私はアームウォーマーを身に付ける。これで準備完了だ。

「スタートまで10分切ったことだし、私行ってくるね。二人ともよろしくお願いしまーす」

 間延びしたお願いをすると私は、西京極陸上競技場のホームストレートへと向かおうとする。

 そのときに美希先輩と千香が、呼び止めるように私に声をかける。

「漣ちゃん。最初は絶対、様子見て入るんだよ」

「テレビでばっちり見てるから。ちゃんと目立ってよね」

 二人とも言ってることが本当にちぐはぐ。でも期待してくれてるんだよね。

 ありがと。そう分かっただけ強くなれるよ。

「じゃあ本当に行ってきます!」

 私はそう最後に言い残して、競技場のサブレーンを後にした。

 サブレーンから西京極陸上競技場のホームストレートに入る。

「さっむい!」

 それに尽きた。さっきまであれほど暖かったというのに。一気に体温が奪われそうな寒さだ。

 今日の最高気温は3℃だけどそれ以下なんじゃないかと思うくらい。ちょっと厚着してきてよかった。こんなに寒空だと、本当に雪降ってきそうだし。

 私はスキップから助走に入り流しをする。

 100m18秒ほどだろうか。緩いペースの流しは心地よかった。

 体が軽い。先週の東京体育大の記録会よりもずっとだ。連日の練習メニューがうまく作用してるみたい。センセーって本当にすごいや。まるで私たちのことなんでもわかってるみたい。

 陸上競技場の観客席には色んな学校の応援団の応援が聞こえる。二ノ丸高校はさすがにいないみたいだよね。ああやって応援している学校、都大路に慣れてる気がするな。

 私は100mのスタート地点に設置されているスタート地点に向かって軽くジョグして戻る。他の学校の選手も私と同じように歩む。

 知らない人ばっかり、なんて思っていると、私に話しかけてくる選手がいることに気づく。

「漣、漣?」

 聞き覚えのある声―――――振り返ると新子がいた。

「よっ。さっきっから顔が固まってるやん。緊張してるんか?」

「そんなことない。見慣れない光景だから」

「バレバレや。緊張してる。んま最初はそんなもんやろ」

 そういえば新子は去年都大路に出てたんだっけ。なんか先輩風吹かせてて気にくわない。

「してないっての。調子はどうなの?」

「この前の東京の記録会から調子ええんや。今日は一発、区間賞狙ってるで」

 威勢がいいなと思った。やっぱり関西の人ってみんなこうなの?

「漣はどうや」

「とりあえず区間15位以内ってセンセーには言われたけど、個人的には一桁は狙いたいところよね。私たちの目標は入賞なの」

「入賞目標なら、1区は尚更大事やな」

「プレッシャーかけること言わないでよ」

「すまへんな。んま、健闘を祈っとるわ」

 新子はそう言いながら自分の拳を突き出す。挨拶かしらね。

「お互いね」

 私はそう言って、自分も拳を作ってそれにコツンと当てる。女子力ゼロだけどこれはアスリートのご挨拶ってところね。

 照れくささもありながらスタートラインに戻るともうスタートまで5分というところだった。ナンバーカード順に、私たちは並ばされていく。もっともナンバーカード52番の私なんて、最後列からのスタートなんだけどね。

 でもこの位置はいいことだってセンセーも言ってくれた。都大路のスタートは毎年大混雑で転倒も頻繁に起こる。だったら最後尾からのスタートで良くないか?って。そう言われると後ろに行くのも気が引けることはないわよね。

 そうこうしているうちにスタート30秒前になってしまった。時間があまりに一瞬で過ぎてしまっていて、もうスタートかという気持ち。

 でも心の準備はできている。待ちに待ったこの舞台がいよいよ始まるんだって、そう思う。

『10秒前――――――』

 役員のおじさんが声をあげる。

 ――――――よし、いよいよね。

 ランウォッチをストップウォッチモードに切り替える。準備はオッケー。

『オンユアマーク……』

 心の中でカウントをする。

 5秒前……2、1……

 バアァン!

 号砲の炸裂音が聞こえる。

 次の瞬間、すぐに目の前がランナーで覆いつくされてることに気づく。

「え、はや!?」

 私はいつもの3000mの感覚でスタートをしていたが一瞬で置いて行かれた。

 ちょ、なにこのスピード。バカじゃないの!?

 先頭集団が100mを通過したタイムは16秒を切るくらい。速い。あまりに速すぎる。

 幸い今年は転倒者もおらずに集団はトラックの第一局走路に入っていく。

 まぁ、ここまでは想定内ね! 先頭のペースはさすがに少し落ち着きを見せてバックストレートに入っていくのが分かる。いくら何でも最初のペースのままで西大路通を登り切れるわけない。

 ―――って、これがあの横浜会鳳の人の仕業なのかしら。集団の一番後ろくらいで走ってるから気づかないけど、スピード緩めたり速めたりしてる気がする。

 なるほど。こうやって集団のパワー削っていくのね。これ真面目についていったら勝負にならないんじゃないのかな。

 私はバックストレートを最後尾で走っていた。でも心なしか不安なんてものはなく、むしろ初めての都大路を楽しもうという気持ちなくらいだ。

 色んな学校の聞いたことない吹奏楽の応援が聞こえる。どこかの学校の生徒が必死になって応援してる。そんな入り乱れた声を一身に浴びながら走る。

期待とエールが入り混じるこの舞台。楽しい。真剣勝負の舞台なのに、なんでこんな気持ちになれるんだろう。

 センセー、こんな場所に連れてきてくれてありがとう。走り終わったらいっぱい感想聞かせてあげるんだからね。

 いつも鈍感バカなセンセー。だからたくさん私の気持ちを伝えたい。今私が思っていることの、全部を!

 あんなに私に一生懸命になってくれた人いなかったんだから。陸上だけじゃなくて、全部において。センセーにとって私は京子先輩とか、涼風の次の次の次に来る存在名の知れないけど……私にとってはたった一人の、そして一番のセンセーだから。

 だから今日の走りはセンセーを想って走る。それだけで強くなれる気がするから。

 負けない。

 絶対に区間一桁で帰ってきて見せるんだから。







「漣、この位置で大丈夫なのか?」

 第一中継所でスマホのワンセグを除く俺はすごく不安になった。

 一緒に見ていた占部はそんなに心配してなさそうだった。

「こんなものじゃないの? まだメインの西大路通にも入ってないんだし」

「そうなのかな…… あ、今の1kmは先頭が3分10秒だから漣は3分12秒くらいか」

「まだここからよ。逆に後方につけてるのは上手いレース展開よ」

 占部は都大路の1区で区間賞をとったこともある選手だ。彼女は同じ新潟出身で暁月のエース格の選手だった。俺はそのころからの付き合いってことだ。

「双子の妹はどうしてるの?」

「知らない。涼風はどっかで走ってる」

「本当にフラフラ出歩く子ね。一昨日もいきなり私の部屋に来て『トランプ占いやりましょ!』なんて来たし」

「お気楽だな。んで、占部はやったの?」

 占部は聞かれた瞬間に顔が赤くなる。今日の彼女は陸上選手感ゼロのピンク色のコートだけどそれと同じ色をしてやがる。

「そ、そんなのいいでしょ!」

「ははーん図星だな」

「そんなのいいでしょ!」

 俺は占部のことを完全にいじっていた。

 占部は全国的にも実力のある選手のくせしていじられキャラだ。新潟県陸協の練習会では、よくみんなにいじられていたもんだ。

 しかしウォーミングアップから帰ってきた涼風は俺と占部の様子を見て、何やら気にくわない様子だった。

「センセー、コート」

「俺はコートじゃないよ」

「てーい!」

 彼女は自分が抜いた上着を、俺の頭に思いっきり投げつける。 

 ぐはっ!?

 俺は涼風のウインドブレーカーを慌ててキャッチする。

「な、何するんだよ」

「いいからちゃんとサポートしてよね。本当にロリコンなんだから」

「久々だなその絡み! ていうか今の文脈でロリコン関係なくね!?」

 割と忘れてたぞロリコンいじり。

 そういえば県駅伝の前くらいまでは結構ロリコン疑惑でいじられていたけど最近は全くいじられていないな。いじられなさ過ぎて忘れてしまってたくらいだ。まぁ思い出したくもなかったんだけど。

 涼風はさらにロングタイツを脱いで生足を露にする。今にも雪が降りだしそうな寒い空には似合わない格好だ。

 涼風はアームウォーマーを腕に装着する。これは東体大記録会でもやっていたスタイルだ。彼女のお気に入りになりつつあるってことか。

「センセー、今っておねーちゃんはどのくらいの位置にいる?」

 着替えをしながら涼風は俺に聞いてきた。

 おっといけね。テレビ見るの忘れてたよ。

「んと、3km通過地点では……まだ先頭集団の中にいるな。20人ほどの大集団だけど、順調についていってるみたいだ」

「よかった」

 涼風はちょっと安心したような笑顔を見せてくれた。

 俺もそれを見てちょっと安心した。緊張でガチガチなんじゃないかと思っていたから、こういう普通な表情を見ると安心する。

「涼風、この区間は前半が上りだけど後半の北大路通りはゆるやかな下りになる。そこまでパワーを保持できるかが、勝負のカギだ」

「うん。要するに前半は飛ばすなってことでしょ」

「そうだ。漣はこのままいけばかなりいい位置で襷を渡すだろう。だからこそ最初は周りに抜かれてもいいから、結果的に順位をあまり変えずにサクラに襷を渡す必要がある」

「そんな抜かれるつもりないんだけど」

「あのなぁ……涼風、あそこ見て見ろ」

 俺は涼風の肩を叩いて右斜め前を指差す。

 そこには山梨代表の朱雀学院、留学生のマルシャンがウォーミングアップをしていた。細身の涼風と変わらないくらいの細い足に、涼風よりも遥かに大きい背。

 マルシャンの自己ベストは3000m8分53秒。今年のインターハイはもちろん1位。日本人トップが横浜の佐名木の3位で9分5秒だったから彼女よりも一回り速いことが分かる。

 涼風はマルシャンの姿を見た瞬間、青ざめたような顔をする。

「嘘!? あの子と同じ区間なの!?」

「しかも朱雀学院は序盤出遅れて1区は漣よりも後ろで渡すことになりそうだ」

「私追い抜かれること決定なの!?」

「そういうことだよ!」

「ひえぇえ! 無理! さすがに勝てない……」

 涼風は完全に怯んでいた。もう無理、私じゃ勝てないと言わんばかりに。

 さすがにこういう表情を見せられると俺も怯む。こういうときなんて声をかけてあげればいいのかなんて正直よく分からない。変に取り乱したらどうしようなんて、思ってしまっている。

 でもそんな涼風と俺の様子に見かねたのが占部だった。彼女はやれやれと言わんばかりの表情を見せつつ、一方で優しさをもった顔で涼風の前に立つ。

「涼風ちゃん。何もマルシャンに勝てだなんて言ってないよ。朱雀学院は今年日本人選手の層が薄いから5区までには二ノ丸の方が前に出れるかもしれない」

「え、そうだったんですか?」

「そう。今のあなたの役割は、お姉ちゃんに負けない走りをすること」

 占部はそう言いながら、ワンセグの画面を涼風の目の前に持ってくる。

 そこには5kmを過ぎてもなお先頭集団に食らいつく漣がいた。

 先頭集団はもう5人ほどの混戦になっている。横浜の佐名木ほか、岸部の横越や垂水実業の織田など知ってる顔がちらほらいる。

それを漣ほか5人ほどの選手が追うという構図だ。漣はそのかなり後方に位置しているが依然として余裕はありそうな感じだ。もう一段階持っている。そんな印象すらある。

 テレビ画面に食い入るようにして見ている涼風を見て占部はしめたと言わんばかり表情だ。

「おねーちゃんにできて、涼風ちゃんに出来ないってことないと思うな」

「いじり方分かってますね。ありがとうございます。なんか負けられなくなってきた」

 涼風はポケットからハチマキを取り出して「おっしゃー!」と声を出す。気合を入れたな、と思った。

 そろそろ先頭が来ることだった。漣も30秒以内での遅れでは襷を繋いでくれるはずだから涼風もそろそろ準備しないとだな。

「これ、お願い」

 涼風は俺に着ていたボアコートを預ける。

「そろそろランナー来ることだし、私行ってくるね。二人ともよろしくお願いしまーす」

 涼風は軽くジャンプしながら中継地点へと向かっていく。

 彼女が中継所に向かった、その時だった。中継所付近の完成がひと際大きくなることに気づく。先頭集団が来たんだと気づいた。

 すぐにワンセグに目を移す。画像が粗くて分かりにくいが、先頭は緑と黄色のユニフォーム。横浜会鳳の佐名木のようだった。

 先頭は後続を大きく引き離していた。中継所で頑張って背を伸ばして見ても、遠目からでは漣の位置は分からなかった。

 でも漣は確実にいい位置で渡してくれる。

 俺はそう信じて、中継所にスタンバイした涼風に視線を送った。

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