都大路④ 東寺の門の外で
「本当に、最悪の結果だよ。3年間の努力が水の泡なんだけど」
その言葉はその通りの意味ではなかった。
たまたま運が悪かっただけだよ。私の3年間の努力は終わったけど、これからまた頑張っていけばいいよ。卒業後もまた陸上続けるね。
そういう意味だったのに。いつも私の口はその通りに動いてくれない。
結局チームの雰囲気はボロボロ。全中駅伝も出れなかった。卒業式の色紙なんてなかった。卒業の打ち上げなんて、やろうという話題にもならなかった。
だから漣ちゃんが二ノ丸高校に進学して、種目を変えて陸上を続けているのは、気にしないことなかった。
「――――美希先輩、どうしたんですか?」
「はっ」
目の前で鍋をつつきながら私を気に掛ける漣ちゃん。
大会前日ということもあり食べ過ぎないように、お椀には少しだけ鍋が載せてある。
「ごめんね。ちょっと考え事」
そう言いながら箸を動かす私。
大会前日に鍋とはちょっと予想外だから驚いた。でも中身は食物繊維を少なめにしつつ、それなりに満足できる内容にしてある。
ニチヤク寮の食卓には二ノ丸高校駅伝部と栃岡先生の親戚・朱ちゃん、そして別の学校の陸上部に所属する私、寺門美希。ニチヤクの大森監督含め、主力選手はほとんど帰省していた。
そんななか残っていたのがコーチの河田さん、世界陸上代表だった板倉さん、世代トップ選手の占部さん。すごい面子だ。
そのうち占部さんは私の隣に座って気さくに話しかけてくれる。
「寺門さんは卒業後、明英大だよね。やっぱり800mやるの?」
「そのつもりです。長距離よりは得意なので」
「でも長距離が向いてるんじゃない? 駅伝、いい勝負だったって聞いてるよ」
「北信越駅伝ですか」
その勝負は忘れることができない。
喉仏が焼けこげそうなくらいに呼吸をして、死に物狂いで体を動かして。それでも漣ちゃんに完全に負けた。
長岡の陸上競技場のホームストレートで、私のことを置き去りにするエメラルドグリーンのユニフォームを私は忘れない。
「800mのスピードがあって長距離ができればかなり強いんじゃないかな」
「どうなんでしょう」
「ふふっ、顔がにやけてるよ」
占部さんは私の肩を叩く。
何か見透かしていたような彼女。
本当に悔しかった。でもそれ以上にめっちゃくちゃ楽しかったあの勝負。
あの感覚は病みつきになってしまいそうだ。
斜め前に座る栃岡先生は、私のそんな様子を見て会話に参加する。
「明日は寺門に漣の付き添いをやってもらうけど、うずうずして自分が走りださないようにな」
「そんなこと考えつくのがおかしいですね」
言った瞬間、言っちゃったと思った。私の悪い癖、言いたくもないことを言ってしまう。
栃岡先生、また怒っちゃったかな?
恐る恐る彼の顔を見ると――――笑っていた。
「はははは、俺って頭おかしいな」
なんでそんなリアクションするんですか?
今まで私が意味不明発言をした人はみんな唖然としたり距離をとったり。私を異質なものとしか見ていなかった。
でも栃岡先生は違う。知れば知るほどに、もっと知りたいと近寄ってくる。
「おかしすぎすよ。他校の私を引率してきたり。スパイだったらどうするんですか?」
「知られちゃいけない情報なんて提供した覚えはないな。むしろ、都大路の情報を受け取ることができる」
「たしかに、二ノ丸高校のみなさんよりは知ってますね。去年は1区の付き添いもやってましたし」
「今年もそのつもりだ。1区の付き添い、漣のサポートだ」
そうなることは予想できていた。
明日は1区の付き添いに私と千香ちゃん、2区に栃岡先生と占部さん、3区に板倉さんと稲穂ちゃん、4区に河田さんと朱ちゃん、5区に吉川先生と合流した栃岡先生。
サポート体制は万全だ。沿道には保護者の方もいると聞いている。それから二ノ丸高校の応援メンバー。
「お仕事は了解しています」
スタート前は1人くらいついていた方がいろいろ便利だ。でもニチヤクの板倉さん、占部さん、河田さんがついているのは他校の選手がびっくりしちゃいそうだけど。
「給料は出せそうにないんだがな」
「出たらびっくりです。立派な裏金です」
「ごめんごめん」
栃岡先生はばつが悪そうになりながら、しかし何か考えたような表情をしたのち言った。
「じゃあうちらが本当に入賞したら、一緒に集合写真うつろう! 占部や河田も一緒に、チーム二ノ丸ってことで!」
なんですかそれ。
フリーダム過ぎますよ。
集合写真といえばチームの努力の証。何年もあとで見返してみんなで思い出を語り合うものです。
それに他校の選手とか、会って数回の実業団選手が入るってどういうことですか?
考えられないです。そんな、たくさんの人が笑顔で映っている写真なんて。
―――――でもそうやって、心の壁を突き破ってくることで。救われる人がここにいるんですよ。
私はそう思いながら、鍋の残りを突っついた。
ミーティングルームに集まった駅伝部とニチヤク陸上部と寺門と朱。全員で明日の最終確認を行う。
「では明日の区間の再確認だけど、
1区 6km 漣
2区 4km 涼風
3区 3km サクラ
4区 3km 信乃
5区 5km 京子
これで最終決定だ」
前に立った俺が全員を見回すと残念がってる稲穂がいるのを見た。これはしょうがないことだけども。
「サポートにはそれぞれ回ってもらうことになる。板倉さん、占部、河田、寺門、千香、朱、朝陽、そして俺。フルメンバーで対応をする」
なんて豪華なメンバーだろう。サポートの全員がほぼ全員全国大会に行っているし。
「1区の漣で何とか区間15位以内で渡し、そこからじわじわと順位を上げていく作戦だ。1区はインターハイ決勝クラスだけど、ぶっちゃけ後半の方の区間はそうでもない。みんなの自己ベストタイムを目指す感じで走れば、絶対に順位を上げることができる」
よし次は走り方の説明だな。
「今さら確認するまでもないが駅伝の走り方を確認しよう。選手を抜いていいとき、並走するとき、そして離れていいときの3つがある。ここでは今までのレースを振り返ろう。まずは北信越大会の京子」
いきなり指名された京子は少し拍子抜けしたようだ。
「わ、私ですか?」
「北信越の京子は並走を目指したパターン。最後は競り負けたけどあれはお手本になるレースだ」
自分の実力を知りつつ、事前にある程度のレベルを把握できていたからこそできた。
「次に県大会の稲穂。これは選手を抜いていくパターンだ。オーバーペースにならずに、しかも相手を余裕で離せそうなときはガツガツいくべきだ」
自分がオーバーペースかなんて、ある程度のレベルじゃないとできない。でもみんなにはそれができるはずだ。
「そして離れていいとき。これが県大会の漣。明らかに付くのが大変なとき、あるいは序盤から急激なペース変化がある場合にはこれを使う」
言い換えれば「暴走は放っておけ」ということだ。100mあたり1秒の繊細なペース変化でも、それが何度も続けば大きなダメージになる。
例の横浜の選手も、そういったことを効果的に盛り込んだレースをしているっていうことか。
「同じ新潟の岸部の横越でさえ横浜の例の選手の作戦に完全にやられたみたいだ。明日の1区は注して走らないとだな」
漣はその言葉に反応する。
「それってどういうこと?」
「集団に流され過ぎないってことだ。集団の後方に位置して細かなペース変化を気にせず走り、落ちた選手を拾っていくという戦法だ」
「なるほどね。本当に出しゃばらない方がいいってこと」
「そうだ。明日は振り落とされないように必死に走るんだ」
「オッケー」
漣は作戦……というか走り方を理解したようだ。お願いだ。明日だけは飛ばさないでくれよ。
それ以外のメンバーも、自分の作戦は気になっている様子だが、耐え切れずに涼風が挙手をする。
「センセー! 私は!?」
「あとの区間に共通して言えることは、最初1kmを抑えて入って、それから全力を出すって感じだ。正直都大路は1区が一番きつい。言い換えれば残りの区間はそれよかは走りやすいんだ」
1区6㎞のきつさはやばい。後半にかけてきつくなる上り坂では、序盤速く入り過ぎたら間違いなく最後はばてる。
でもそれ以外の区間は下手すれば普通のロードよりも走りやすい。2区4㎞は上りが少しきついが距離は短いし5区5kmはひたすら下りだから距離ほどのきつさはない。
「ふふん、単純な作戦、戦法だからこそ、頑張りぬくことが大事になるね」
「そういうことだ。でもみんなそういうの得意だと思うんだけどな」
「あったりまえじゃーん!」
涼風は俺だけじゃなくみんなに向かってピースをする。自分より遥かに実力のある寺門や板倉さんに向かっても。
単純明快、でも大きなプレッシャーや苦しさと戦う作戦。みんなにはそれができるはずだ。
ただ問題なのは、やはり1区。
しかも1区は全体の流れを決める重要な区間だ。昔の箱根駅伝では2区が全体の流れを決めると言われていたけど最近は1区の方が大事だと言われている。1区の順位がそのまま最後まで続くことが多いことからそんなことが言われている。
そう考えれば高校駅伝の1区は最長の6㎞、そして急激な苦しい坂。出遅れては、勝てない。
「明日の最初のキーパーソンは漣だ」
漣は小さくため息をする。
「そういうプレッシャー、嫌いなんだけど」
「うん知ってる。だからやった」
「筋金入りのクズ!?」
「怒らないツッコミができるって分かって安心した。それの検証だ」
「ばか。ほんと鈍感なのか鋭いのか、どっちかにしてよ」
漣は俺の腹部に拳を突き出した。でもそれはとても弱く、優しく、温かい感じがした。照れ隠しなのかな?
「ミーティング、もう終わりにしよ? 眠いんだけど」
「悪い悪い」
それっきりミーティングは終わりにしてしまった。長居は禁物、疲れるだけ。大会前日はぐっすり寝て明日のレースに備えるのが一番だ。
レース当日は10時20分にスタートするから5時に起床する予定。逆算すれば9時には寝ないといけない。
もちろん俺も。みんなの様子を見ることが、俺の監督としての役目だ。
早々に俺は明日の支度をして、歯磨きをして、見よう見まねのインスタを更新してそうそうに布団に入る。
時間は8時半。こんなに早く寝るのいつぶりだっけ。少なくとも社会人になってからは初めてだな。ということは大学ぶりか。
大学ぶりにこんな時間に布団に入ると寝れないわな。いやぁ普段はこれからもう一仕事やるくらいの勢いだよ。日によってはまだ仕事してるくらいだな。
まぁひと昔前のブラック企業時代なんてもっとひどかった。この時間が定時とか言ってたな。頭おかしい。本当におかしかった。
それなら今の生活はだいぶましになったな。とりわけこの年末は引率とはいえ京都在中。上洛ですよ上洛。俺は大名かな。
いやーこうして夢の舞台に仕事で来れるってすごいよなぁ。本当に奇跡のようにここまで来れた。
色んな人に囲まれて、色んな人の支えを受けて。
そして明日はそれを発揮するときか。
今日はもう休もう。
……。
…………。
今何時かな?
俺は起き上がって充電中のランウォッチを確認する。
「8時38分」
え?8分しか経ってないの?
俺は立ち上がって部屋の電気を付ける。そして窓のカーテンを開ける。
外は真っ暗。その中に東寺の真っ暗な影が見える。
何にもライトアップもされていない。最近の観光名所はライトアップばかりをしているけどこういうのもいいんだ。「昔の人もこういう景色見ていたんだ」って雰囲気になれる。
窓を開けてみる。空は真っ暗で星もちらほら見える。
はぁ、長い夜になりそうだな。
―――俺って結構緊張に弱いのかな。
大会前に眠れなくなるって俺はもう何歳だよ。ていうか俺選手じゃないし。そりゃ選手並みに大会のことを考えてる自負はあるんだけど。
あーあ完全に寝れなくなっちゃったよ。一度こういうテンションになると寝れなくなっちゃうんだよね。
ちょっとコンビニ行って甘いものでも買ってこよう。甘いもので血糖値上げて眠気を誘うのはアリだな。
よしと決めたが吉日。俺は財布と携帯を持ってニチヤク寮を出ていく。マッサージルームでのんびりしている河田と占部に一言言って。
夜の京都は寒かった。キンと冷えるような寒さが俺の背中を突き刺す。
マフラー付けてくればよかったかな。後ろ髪を引かれる気分をごまかしごまかして近所のセブントゥエルブまでやってきた。
コンビニの中は暖かった。生ぬるい冷房の空気が俺を包む。アイス買いたくなるような気分になっちゃうような。
あ、でもアイスっていいかも。スズカゼ・カキゴオリじゃないけど暖かいニチヤクでアイスを食べて寝るって最高の贅沢じゃないか。
俺はアイスコーナーに行くとそこには赤と黒のジャージの集団がいた。そう、新潟県最強のあの集団だ。
「栃岡先生じゃないですかー! 久しぶりですねー!」
ベリーショートのボーイッシュな爽やかな顔。彼女は岸部高校の2年生、藤沢だ。
「どうしたんだ。こんなところで」
「あはは、実はこういう状況で」
藤沢の視線の先にはエース、横越がカップアイスを手に持ちながらわめいていた。
「勇ちゃんアイス買って!じゃないと走らない!」
そばにいた九十九里姉妹はフルパワーで苦笑いしながら阻止する。
「いやあの、そうしなくてもちゃんと走れますって」
「いやだから、そうせずとも速いですって」
そんな優しい言葉をかけてもらっても駄々をこねることをやめない横越。
「むりむりむりー! 私はどうせ早々に先頭集団を離れて、失速しちゃんだー!」
藤沢はもはやドン引きしていた。エースのその姿に。
「はいはい、アイス食べたらねんねして、明日は頑張りましょうねー。ひーちゃん先輩、クジュクリーズ、お願い!」
その言葉に合わせるように副部長日隈、そして九十九里姉妹はアイスを会計して店を出ていく。
ありがとうございました、という店員さんの声が震えているのが分かった。僕も震えていますよ。
藤沢はその一部始終を見て、そういえばと言う。
「寺門さんいませんでしたか? 親戚なんですか誰かの」
「いやそういうのじゃないんだ。常盤漣と吉村千香の元チームメイトでな、なんかノリでこうなった」
「どういうノリ!? ていうか二ノ丸高校ってホテルこの近所ですか?」
「まぁな。実業団ニチヤクのスポーツ部合同寮に泊まってる」
「どういう関係ですか!?」
藤沢がビックリし過ぎて腰を抜かしそうになっていたので事の顛末を全部話した。
ニチヤク監督が元二ノ丸高校の監督でコーチは俺の後輩。寺門はサポートメンバー、そんでもって全中入賞選手の俺の親戚もいること。
藤沢は何も言えない表情でそれを聞いていた。聞く言葉すべてが斜め上のことばかりで驚いているというのは言われなくても分かった。
話が終わると藤沢は、ニッコリと笑う。
「面白い話でしたよ」
「半分くらい死にかけたけどな」
「またまた御冗談を~」
藤沢はニコニコ笑いながらコンビニを後にしようとする。
「それじゃまた明日。負けませんよ。うちのチームは上位入賞なんですから」
「成長したうちらの力を見ててほしいな」
「ええ。ライバルには負けませんよ」
店内音楽が流れ終わらないうちに、そう言い残して藤沢は消えていった。
きざなやつめ。次の岸部のエースに相応しいな。
早く来年の県駅伝が怖くなっちまったよ。
さてと、俺もアイス買って帰ろうか。
俺は滾る血を冷却するかのようにアイスを手に取った。




