都大路① 私を照らす明かり
長岡市。長国中学校の職員室。
私、栃岡朱は、ニヤニヤを抑えきれなかった。
「合格」と書かれた通知書を担任教師からもらったとき、思わず絶叫をした。
「や、やったああ!来年からお兄ちゃんの二ノ丸高校で、駅伝を走れるうううう!」
私の浮わついた様子を見て担任教師は呆れ気味。
「栃岡さん……喜ぶのはいいけど、他のみんなは受験勉強真っ只中なのよ」
「分かってますって!一人でトレーニングして、ちゃんと公立の勉強もしましって!」
「二ノ丸高校は新潟県内私立でもトップクラスの進学実績よ。専願だから余裕で入れたもののーーーー」
「分かってますっての!勉強しますから、今日は練習行かせてくださいって」
「分かってるとは思えない回答ね…… でも良かったわね。大好きな従兄弟が先生やってる学校に受かって」
「はい! 高校駅伝はずっと憧れてたので。卒業後も絶対実業団選手になります!」
担任教師に一礼すると、私はスキップ感覚で教室を出る。
廊下の空気は寒い。暖房で生ぬるかった教室よりも、心地よく感じる。
「そうだ!お兄ちゃんに報告しなきゃ!」
マレーシアにいるお父さんとお母さんより先にお兄ちゃんに連絡する。私もいけない子だなー。
黄緑色の公衆電話に、中学校の入学祝いのテレホンカードを入れる。こんなところでこのテレホンカードを使う機会があるんて。
プルルルル……プルルルル……
あっれ、お兄ちゃんお仕事中かな? そういえば今日って平日だったね。
しょうがない、また放課後かけ直そうと思ったとき、受話器の先から聞きなれた声が聞こえる。
「もしもし、栃岡です」
お兄ちゃんだ! その声にドキリとしつつも、いつも通りのテンションで話そうとする。
「こっちも栃岡でーす! お兄ちゃん、高校合格したよ! 二ノ丸高校!」
「まじか! 本当に受かったんだな!」
「うん! 専願だったし難しくなかったけど……」
「いやいや、朱ほどの子がスポーツ使わずにテストで高校受けるってだけでも大したもんだぞ! 偏差値60越えてるし」
「こ、今年は倍率低かったし…… でも受かって、本当に、ホッとしたんだよ」
ここに来て初めて合格を実感した気分だった。やっぱり誰かに褒められるのは嬉しいものなんだね。
私も私で、お兄ちゃんに話したいことはたくさんあった。
「それでねそれでね! 駅伝部の皆さんにもご挨拶したいんだ。明日から冬休みだからーーーー」
「あーわり。実は明日から京都入りなんだよね。悪いけど駅伝部に来るのはそのあとにしてくれるかな?」
「えー!? 朱に黙ってみんなで京都旅行ですか?」
「都大路だよ!本番! なんとか補習出ずに早めに京都入りできるんだ」
あ、忘れてた。そういえば次の日曜日がもう都大路じゃん!
朱も行きたいなとは思ってたけど、高校入試の合格発表でお兄ちゃんに相談するの完全に忘れてたよ。
……でも私みたいな人が行ったら怒られちゃうよね。実業団ニチヤクの宿舎に泊まるみたいだし場違いだよね。
「はぁーあ、朱も行きたかったなぁ、なんちゃって」
「ん? 大丈夫だよ。部屋は余ってるみたいだし、全国大会はみんな初めてだからサポート役がほしいと思ってたんだけど」
え、ええええ!?
「でも私なんかいたら邪魔じゃない?」
「そうか? 北信越の時は連絡役務めてくれてみんな感謝してたんだぞ。お陰であの最終区間のラスト勝利に繋がったわけだし」
はわわ、はわわわ。
お兄ちゃんちょっと褒めすぎだよ。
今まで部活でも走ることしか期待されてこなかったのに。そんなふうに信じてくれてたなんて。
京都に行きたくなっちゃうじゃん。
「まぁ朱も忙しいし、ゆっくりしたいだろうから無理しなくていいよ。テレビでーーーー」
「お兄ちゃんやっぱり朱里も行く! 行って皆さんと一緒に都大路に出る!」
「お、本当に来るのか! じゃあ急いで学割出してもらって、お袋に伝えておくんだぞ」
「もっちろんだよ! 今から急いで準備するよ!」
それじゃあ、と言って受話器を置く。ガチャンという音を確認すると、私の気持ちは完全に京都に向いていたのだった。
「お兄ちゃんと一緒に全国行ける!」
そう思って私はルンルン気分で廊下を駆け出していくのだった。
これは多分、私のなかでも特別な意味を持った都大路だ。
単純に自分がサポート役ってのも嬉しい。でもそれ以上に嬉しいのは頑張っているお兄ちゃんの晴れ舞台を見れるからだ。
私が長距離を始めたのは小学5年生。お兄ちゃんが箱根駅伝予選会を走る姿を見てカッコいいと思ったのが最初だった。
チーム12人中9番目。タイムも62分をギリギリ切るくらいと満足の行く結果ではなかったらしい。本選出場も逃しちゃったし……
でも、結果とか順位とか、そういうことはどうでもよかった。
かっこよかったんだよ。お兄ちゃん。
大学生活のすべてをかけて、死に物狂いでゴールに駈けていく姿。汗を拭う暇もなく1秒を犠牲にしまいと走る姿。
あんなにカッコいい人を見たのは初めてだったんだよ!
長距離を始めたのは、その姿に魅せられたから。そして今でも私は、お兄ちゃんに憧れを抱き続けている。
これがただの憧れなのか、ただ単に応援したい気持ちなのか、それとももっと別のものなのか……分からない。分からないよ、こんな感情。生まれて初めてだもん。
でもいいの。今一緒に都大路に行ける。それがどんなに嬉しいことか!
ひんやり頬を掠める風を心地いいと思いながら、私は駆けていった。
12月20日火曜日、午前10時。
新潟駅の新幹線改札前に、俺たちは集まっていた。
今日は新潟駅で集合した後に、東京経由で京都に入る。それからコースの下見、スポマガの江戸川記者の取材を受けることになっている。
自販機で買ってきたココアを朝陽と朱に渡すと、俺はみんなのことを待つのであった。
「なんか集まり悪くないか?」
俺たち3人以外には一般の利用者しかいない。
朝陽もこの状況に気付いてはいた。
「まだ早いでしょ? それにこういう時ってバタバタするものよ」
「そういうものか」
「……ていうか翔、ニチヤクの皆さんへのお土産買ってなくない?」
「え、あぁ!」
忘れてた。占部と板倉さんが柿の種チョコの話をしてたら、食わず嫌いの河田が食べたことないとか言って俺が買ってくることになってたんだった。
「しょうがない。東京駅で買う」
「誤魔化さない! 私が荷物見てるから駅ビルで買ってきてよ」
確かにまだ時間はあるな。
朱に新潟駅の中を見せてあげたいし行ってくるか。
「朱といってくるよ。よろしく」
俺は朱の手を引くと、お土産売り場に急ぐ。
朱はなんだかご満悦な表情だ。
「えへへ……お兄ちゃんと初デート……」
「朱が小学校1年生の時も一緒に行かなかったっけ?」
「あれは朝陽ちゃんも一緒だったもん!」
言われて思い出した。
朱がどこか行きたいと駄々こねてて、じゃあ翔と一緒に新潟に行きなさいよと行ったお袋にはめられたんだっけ。
朱の両親がまだ日本にいたとき。1週間だけ朱を実家で預かることになったときにそんなことがあった。
「あの時はこんなことになるなんて、朱は考えもしなかったなー」
「俺もだよ。フラれたのに同じ学校の同じ部活の顧問になり、そして朱まで同じ学校になってしまうなんて。小説か何かかよ」
「小説だったら、従兄弟でもベタベタしても大丈夫だよねー!」
朱はそう言って、俺の腕を自分の元にぎゅーっと寄せる。まるで抱き枕でも抱いているかのように。
「あのなぁ……」
呆れもしたが、一方で朱も誰かに甘えたいんだろう。
両親がマレーシアに行っており、家には親戚のおじさんおばさん。学校のみんなにも高校合格の話は言えないだろうし。
まぁ都大路くらいは怒らないであげようか。
新潟駅のお土産売り場で大量に柿の種チョコを購入すると、俺たちは改札口まで戻るのだった。
といってもまだまだ時間があったので、朱と俺の昼ご飯を買いに駅ビルをブラブラする。
その時。朱が何か見つけたように、俺のコートの袖を引っ張る。
なにかと思っていると、朱が指さす方向にはドラッグストアのカウンター。
「見て、稲穂先輩がいる」
上下二ノ丸高校のジャージを着た稲穂がいた。しかし駅ビルの中だというのになぜか厚着で、ニット帽を被ってマスクまでしている。
何買ってるんだろう。見るからに薬……鎮痛剤っぽい。
「はっ!」
朱は何か気づいたように俺の目を覆う。
「お兄ちゃん見ちゃダメ!あれは女の子の買い物!」
「うわ、ちょ、やめろ! よせ!」
俺が必死に抵抗して声をあげると稲穂も気付いたみたいだ。会計を済ませて、俺たちのところに駆け寄ってくる。
「あれ、朱ちゃん見送りですか?」
「違う違う。サポート要員として緊急招集かけたんだ」
「そうだったんですね。また一緒に、頑張ろうね」
「はい!」
落ち着いた様子の稲穂。今日はいつもよりも大人な印象を与えたいのかな?
制服にコートを羽織った彼女と、俺は改札へと向かった。
改札に着くともう全員揃っていた。
「忘レ物したら、ドウしまショウ」
京都遠征に不安なサクラに能天気な涼風が反応する。
「最悪ユニフォームとランシューあれば大丈夫じゃない?」
「イエス!全くソノ通りデス!」
陸上部入りたての中学生かよ!なんか懐かしいわ!
とはいえ、これくらいのリラックスした感じがあれば大丈夫なのかな。
切符改札に通すと、俺たちは始発のMAXときに乗り込んでいった。
京都駅に着いたのちは西京極での軽い練習。それから駅伝部のみんなをニチヤクの寮に電車で行かせた後に、俺は部長である京子、エースの漣と3人で五条通のカフェに行くのだった。
このメンツは江戸川記者の指定だ。彼女は県大会から直前の記録会までの結果を全部チェックしてこのようにアポイントをとって会うのだという。この直前も神奈川県の横浜会鳳高校の取材をしていたんだという。
記者って忙しそうだなぁ。
なんて思いながらカフェに入った俺たち。
えーっと、入って3席目に江戸川記者がいるって聞いたけど……あ、あそこ?
そこには両目を手で覆った、髪の毛ボサボサの女性がいた。
「あ、のー……江戸川記者さんで、いいですよね?」
「いかにも」
武士ですか?
江戸川記者はゆっくり顔をあげる
「しばらくぶりですね」
「こちらこそ。眼精疲労がすごくて、目を温めていたんです」
追い込まれ過ぎだ。なんか俺も1年前まで似たような経験をしていたような気がする……
「お気遣いどうも。時間もありますので、早く終えちゃいますね」
「助かります。まずは事前にいただいたものに応えますね」
俺と京子、漣は事前質問をもとに回答をする。
「常盤さんは今大会注目の双子選手の1組ですが、意気込みは?」
「そうですね、他の双子がどうこうっていう意識はないです。というか言われるまで気にもしなかったです」
「では誰を今大会では意識しているのですか?」
「垂水実業の織田さんですね。それから―――――涼風」
漣は絞り出すようにその名前を言った。
「織田さんはライバルなんです。あんなに熱いレースをしたのは初めてで、感謝もしています」
「東京体育大記録会ではラストまで勝負する激戦でしたね。でも、妹の涼風さんはなぜ? タイムも漣さんの方が上なのに」
「絶対に負けたくないんですよ。涼風って私よりも友達多くて、学校の成績もいいし。これで陸上も負けちゃったらいいところないですよ」
「そんなことないですよ。こんなハイレベルでやってるんですし――――」
「それじゃダメなんです。涼風も速くなってほしいけど、私はもっと速くありたい。負けたくないんです」
負けず嫌いだな。漣は。
お姉ちゃんだからしっかりしなきゃいけないという気持ちに駆られているか。妹と一緒だと、余計にそんなことを感じてしまうのかもな。
江戸川記者は取材を続ける。
「では藩内京子さん。お父様のことを聞いてもいいでしょうか?」
それを言ったとき、正直止めなきゃと思った。
でも京子はそんなことお構いなしな様子だ。
「はい。構いません」
「お父様が亡くなられたコースを走るということ、どうお考えですか?」
「特に意識はしていません。父は父、都大路は都大路です」
「既にネット上では陸上ファンが、今朝白さんの再来だと騒いでいます。注目されていますね」
「父は魅力ある選手だったと聞いています。なので思い入れがあるんでしょう。私がそれに見合う活躍ができるとは限りませんが……」
「でも今ではチーム2位の実力。部長としても都大路での目標は、ずばりなんでしょうか?」
「そうですね」
京子は一瞬迷ったような素振りを見せながらも、それでも話す。
「入賞です。5000mの平均タイムなら二ノ丸高校はトップレベルにあります。あとはコースに順応して結果を残すだけです」
それが難しいことなんですけどね、と言って京子は笑う。京子のインタビューも無事に終了した。
京子は安心したように手元の抹茶ラテに口をつける。漣もそれに便乗してコーラフロートを飲む。
「では続いて栃岡先生のインタビューです。単刀直入に聞きますけど、駅伝部員達で誰が一番好きなんですか?」
その瞬間に噴き出す京子と漣。
俺も意味不明な質問に動揺する。
「ちょ、どういうことですか?」
「その言葉の通りですよ。これだけかわいい駅伝部員の中に男性顧問。最近では他校の選手や中学生、学校の女子生徒も駅伝部に関わってるみたいじゃないですか。そういえば副顧問の先生も若い女性でしたね、ふふふふ」
「めっちゃ知ってるじゃないですか! いやあの……1人は身内なんで本当にやめてください……」
「冗談ですよ。本当に実力があって人望のあるチームの証です」
はは、冗談でよかった。
京子と漣は口元をハンカチで拭っている。誤解されずに済んだかな。
「都大路初出場でありながら、持ちタイムは入賞を狙える位置にある。今までもいろいろお話を伺ってきましたがずばり一番の目標は何でしょうか」
「やはり入賞ですね。最低限、襷を繋いで20位以内でとは思っていますが」
「栃岡先生ご自身は箱根駅伝に出れなかったと伺っています。その辺も関係しているのでしょうか」
「確かにそういう気持ちはありましたね。前までは」
「前までは?」
「僕のリベンジは新潟ロングディスタンスで果たせたと思ってます。都大路は僕のチャレンジではなく生徒たちのチャレンジです」」
「都道府県対抗駅伝のメンバーにもいましたね。栃岡先生」
「はい。ですので僕の競技はそっちで頑張ります。今大会は、二ノ丸高校のチャレンジです」
「結構顧問の先生は多いんですよ。『自分がうまくいかなかった分を、生徒に果たしてもらいたい』タイプ」
「あるあるだとは思いますが先生のエゴじゃないでしょうか。そんな気持ちで駅伝に臨んでいたら寂しいですよ」
「栃岡先生なりの指導者論ですね」
「そんな大したものじゃないですよ」
話していると止まらなくなってしまう。
江戸川記者は本当に話を引き出すのがうまい。気づいたらベラベラ話しているが、どれも俺の本心だという自信がある。
話していると30分経っていることに気づく。
「もう約束の30分なので、インタビューも終わりにしますね」
「ありがとうございます」
「二ノ丸高校はキャラが濃いので注目しています。あの今朝白さんの忘れ形見の京子さん、エースランナーの双子、異色のアメリカ留学生、演劇部並みの声を持つエリート、元生徒副会長の初心者ランナー、現役生徒会長の復帰選手……あまりに個性的過ぎます」
「それに箱根駅伝を逃した顧問っていえば、素材としてはバッチリですね」
「そ、そこはマスコミですので使わせていただきます」
やばい見抜かれた、と言わんばかりの江戸川記者の表情。親身になってくれている記者さんだから全然大丈夫です。
「はは、全然大丈夫ですよ。江戸川記者さんですから。コーヒーごちそうさまでした」
「いえいえ、会社のお金ですから。こちらこそありがとうございました」
江戸川記者は、出口までご案内しますと席を立ちあがる。
「都大路、頑張ってくださいね。ここだけの秘密ですが二ノ丸高校は私の推しです」
「記者さんがそういうこと言っちゃダメじゃないですか?」
「だから秘密なんですよ」
「そういうことですね。では」
俺たちは3人で、五条通のカフェを出た。
外は寒かった。京都は盆地だから冷えるって聞いたけれどもここまで刺すほどの寒さになるとはな。日が沈んでいるから余計に寒くなるのかもしれないな。
マフラーも手袋も持っていなかった京子は寒そうにぶるぶる体を震わせている。
「これ、雪降りそうですね」
「京都で雪なんて降るのか?」
漣は、何かを思い出したかのようだ。
「そういえば週末は京都、雪じゃなかったっけ?」
「まじか」
俺はケータイを開いて天気予報を確認する。
「えっと……『週末から寒波が訪れてホワイトクリスマスになりそうです』って。うわー都大路本番は寒そうだな」
俺は寒空の空を見上げた。
夜空にはきれいな星が映っていた。今日は星がよく見える。
平安時代から続く京都の都。昔の貴族も同じような景色を見ていたのかな。
なんて考え事をしながら、俺たちはバス停に急ぐのであった。




