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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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東体大記録会③ 幾千ものスパート

「センセー! ついにやったよ!」

 びっしょり汗をかいた涼風はゴールするなり俺と朝陽のもとに直行。16分21秒という世代トップクラスのタイムを出した疲れはないようだ。

 彼女は俺のもとに近づくと思いきり踏み切りをし、両足ジャンプで俺に抱きつこうとする。

「うお、あぶねぇ!」

 俺が反射的によけると、涼風は後ろに突っ立っていた漣に抱きつくことになる。両手・両足で漣に抱きつく涼風。

「お姉ちゃん!?」

「汗でべっしゃべしゃじゃない! ……でも、すごいよ。まさか涼風にベスト抜かれるなんて」

 抱きついた涼風を突き放すことなく、むしろ抱き抱える漣。

 涼風はそれに反応するかのように、漣に顔を埋める。

「うん。本当に、本当に……嬉しいんだよ……うわああああん」

 急に泣き出す漣。

「バカ。記録会でしょ? 都大路にとっておきなさいよ」

「だって……だって!」

 涼風の今まで溜め込んでいたものが、一気に噴き出してきた。

 体操部でうまくいかなかった日々。駅伝部に入ってからも常にチームの最下位を走り続けた。県大会では走ったものの快走はできず、北信越駅伝ではメンバーに入れなかった。

 いつも陽気で、明るくて、バカなことばっかり言ってるのに本当はすごく悔しかったんだろう。そんなこと見てれば分かる。

 くそ……泣けてきちゃうじゃないか。6月まで違う部活だったくせにこんなに伸びちまって。

「やっぱり、生徒の成長は嬉しいものですね先輩」

「そうだな。これは泣けちまーーー誰ですか!?」

 知らない人と会話しちゃってたぞ栃岡!?

 聞き覚えのある声の主は、明英大のジャージを着ていた。首にはたくさんのストップウォッチ、手にはグリップボード。

 選手でもないのにショートボブにしていある彼女の顔を見て、思い出さない名前はなかった。

「夏純!」

「お久しぶりです。栃岡先輩」

 夏純は俺が明英大附属朝霞台高校で教育実習をしたときの教え子であり、そこの陸上部の選手だった。今は明英大に進学してマネージャーをやっている。

「二ノ丸高校の常盤さんですよね、速くないですか!?」

「俺もビックリだよ。実は3000mのベストは10分切るくらいなんだ」

「それ本当に言ってるんですか! あり得ないです!」

 あり得ない、は彼女の口癖だ。そいえば最近聞いたような気がするけど、いつだっけか。最後に会ったのも思い出せないのに。

「他の生徒さんも好タイムですね。最終組にも3人いるなんて!」

 言われて思わず苦笑い。まさか俺のエントリーミスだなんて言えないわな。

「はは、まだエースクラスの選手もいるしな。都大路に向けていいリズム出てきたよ」

「そうですか。先生ってやっぱり、本当にあり得ないですよ。新潟ロングディスタンスでは留学生も倒したって言いますし」

 夏純と俺は、久しぶりの再会に会話を花開かせていた。彼女は教育実習の教え子だが教え子としては大人びているしかわいい後輩という感じだ。

 そんな彼女との会話を楽しんでいると、目の前で女子最終組の選手がアップを始める。

 目の前に現れるロングタイツにジャージ姿の選手。他の選手とは動きが違った。

「お、栃岡くん。しばらくぶりだね」

 占部。実業団ニチヤク陸上部で、俺の同期。

 自己ベスト15分18秒の彼女は、この組のトップ候補だ。

「なーにかわいい後輩といちゃいちゃしてるのよ。子供たちに噂されちゃうよ?」

「からかわないでくれよまじで……いいから次頑張ってくれよ! 応援してる」

「ありがとね。栃岡くんの生徒さんたちともいいレースさせてもらうよ」

 スキップしながらバックストレートに流しをしていった占部。動きはとても軽い。

 占部と入れ替わるように、今度現れたのはまたもやニチヤク陸上部の板倉だ。フルマラソン自己ベスト2時間23分、5000mの自己ベストは15分30秒。世界陸上明けに怪我をしてたから復帰レースということだそうだ。

「お、栃岡翔くん。来てたのね」

「もちろんです。実はさっき、うちの涼風が16分21秒で走ったんですよ」

「涼風ってあの双子の……遅い方!?」

 板倉、さすがにビックリした様子だ。

 都大路の試走のときに板倉には二ノ丸のことをボロクソ言われたんだ。悔しかったんだ。

 だから今日は、強くなった俺たちを見せたいんだ。

「次はエースの3人が走るんです。くれぐれも、お手柔らかに」

「怪我明け数週間の私には上出来の煽り方ね。こっちも負けないわよ」

 板倉はふふっと笑いながら、髪止めで髪をまとめる。それはほんの一瞬で、すぐに流して走り出す。

 俺たちのことを、少しはライバルとして見てくれたのかもしれないな。ちょっと嬉しいかもしれない。

「先輩ってやっぱりあり得ないですぅげ……なんであんなに強い人と知り合いなんですか……」

 夏純は驚いた、というかドン引きするくらいに衝撃を受けた様子だ。

「色々と付き合いはあるもんだ」

 まだ夏純には話さなくていいかな。京都であった色んなことや都大路を目指すことになったきっかけ。それはまた今度ゆっくり話すとするか。

 そして女子の3組目が終盤に差し掛かったころ。3人の新手がやってきた。

「お、やっと見つけたよ。夏純ちゃーん!」

「栃岡先輩ここでしたか。一緒にラップとりましょう」

「なんだなんだ、みんな明英大じゃないか。ま、俺も明英大出身なんだけどね」

 大学同期の木林、後輩の河田、そしてニチヤク監督・元々二ノ丸高校顧問の大森。なんでこんなに明英大揃っちまったんだ。ていうか大森も明英大だったの?

 木林は俺を見つけるなり急に肩をつかんでくる。

「なんだお前ん高校(とこ)絶好調じゃないか! 今の岸部の3人より速いんじゃないか?」

 たった今走り終わった岸部高校のタイムは3人平均で16分30秒前後。副部長日隈が復調傾向で16分15秒ほどのタイムを残したものの、九十九里姉妹は後半失速し16分40秒ほどだった。

 改めて思った。涼風が速い。まさか岸部の3年生クラスのタイムだっただなんて。

「次の組は常盤漣、藩内京子、腰平稲穂なんだろ! みんな3000mは元々得意だし、こりゃ一気にくるかもな」

 木林めっちゃ調べてるじゃないか。なんだそのサーチ能力。駅伝バカですか?

 ……とは言うものの、俺も人のこと言えないわな。

 木林が駅伝メンバーについて聞きたがっているのは分かっていたが、俺のすぐそばには駅伝部のメンバーがいたのでそれは振り切った。

 いよいよスタート目前だ。各チームのメンバー達はランニングシャツの服装になり、アームウォーマーや手袋の装備を装着する。

 すぐそばでは漣がスタートの準備をする。彼女は3000mSC用の水豪に足をかけて靴の紐を結ぶ。

 ん?この後継、さっきも誰かやってたような……気のせいか。

 漣が履くのはスパイクシューズ。フレイム・ジャパンはアディノでも最高級シリーズだ。宇宙を連想させるような青いアッパー、そして短い3mmのピンは長距離選手の憧れでもある。

「いいもの履いてるな」

 俺は興味津々に、そのシューズを見いる。

「ネットで安かったから。定価の半額で1万3500円だね」

 半額でその値段か。めちゃくちゃ高いじゃないか。

「にしても、スパイクなんて履いて5000mももつのか? マラソンシューズの方が良かったんじゃ」

「トラックはスパイクの方が性に合ってるの。それに今日は出だしから全力でいかないと」

 漣を見て感じた。今までとは集中力が違う。

 県駅伝では明らかに経験不足のオーバーペース。今思えば采配ミスだったかもしれない。

 北信越では因縁の寺門と勝負をしたけども、勝負というよりは最後まで寺門との仲を気にしているようだった。

 でも、今日は違う。

 昨日の織田との言い争いで確実に火がついている。明らかに、戦いにいくのだという気持ちが伝わってくる。

 でも少し、冷静にならないとダメだ。

「この組は最初から3分一桁前半でラップを刻む。占部は自己ベスト狙っていくそうだ」

「最初はビリ付近で走らないと、潰れるだけみたいだね」

「そうだ。出だしはビリでもゴールの順位は関係ないさ」

「なるほど……トータルで勝負ってことね」

 漣は忙しそうに腕にアームウォーマーを付けて、スタートラインへと駆け出していった。

 すぐさま、5000mのスタート地点にはランナーが勢揃いした。

 実業団はニチヤクをはじめ、東セラ、満点屋など強豪が揃っている。大学も明英大をはじめ全日本クラス。高校生なんて……まじで二ノ丸と岸部、石川の星城、そして垂水実業しかいないな。

 垂水実業は2年生エース織田をはじめ3人のエントリー。持ちタイムは全員15分台で、入るべくして入った組だ。

 二ノ丸の3人の実力なんて最下位に決まっていた。

 スタートラインにずらりと並んだ選手を見る。京子なんて、今朝白さんのトラウマ関係なしに萎縮した様子だ。

 こんな組にぶちこまれたら誰だって緊張する。

 でも俺は、緊張するのもそうだが、ワクワクもしていた。文字通りレベル違いの記録会。この中でメンバーがどんな走りをするのか。それはちょっと見てみたいことでもあった。

 係員がスタートの用意をする。待ちに待ったその瞬間が、今にもやってくるのだ。

『オンユアマーク』

 その一言でトラックが静まり返る。

 大一番のレースだ。日も暮れはじめたトラックににわかに緊張感を感じる。

 バァン!と炸裂音が鳴る。

 スタートした瞬間に駆け出す選手たち。反応(リアクション)がさっきまでの組と桁違いだ。

 スタートから猛烈なスピードで走る選手たち。冗談でも何でもなく地区レベルの800mのようだ。

 あっという間に1周目にさしかかる。通過はーーーー

「占部さん72秒!」

 速い!

 さすがの占部は果敢にも自己ベスト狙いでいくみたいだ。

 170cmはあろうかという大型ランナー占部は、一歩一歩推進力を見せて突き進んでいく。

 実業団の走りだ。横越にも格の違いは見せられているが、それとは更に格が違う。

 こりゃ本当にとんでもない組に入ってしまったな。

 二ノ丸高校の3人は集団の最後尾で進む。最初の400mは占部から5秒遅れの77秒。

「まだ我慢していこう! 1000mまでは我慢だ!」

 欲を出すな、と念を押して伝える。

 朝陽はずっと記録会の雰囲気に押されているせいか無口だったが、ようやく口を開く。

「ここは前半押さえる作戦なのね」

「作戦というか、それしかないんだよなぁ……」

 もはや走り方を選べるほどのレースではない。エントリーミスを悔やむ。

 でも今はいい走りを祈るしかない。二ノ丸高校の漣、稲穂、京子の3人は最後尾でレースを進める。

 レースは占部を先頭に1000m3分02秒、2000m6分7秒で進んだ。序盤こそ満点屋や東セラの選手がいたがすぐに脱落。残り3000mで占部の独走となった。

 大森は大きく唸り声をあげてレースを見つめる。

「やはり国内の記録会では無理があったか……外国人もいないし、苦しい展開だ」

 頭を抱えるような素振りをする大森。

 隣の河田は、必死にフォローに入る。

「でも占部さん、身体は動いてますよ。本人もまだ諦めちゃいない」

「うむ……まぁ板倉の方が、状況は厳しいがな」

 板倉は占部から遅れること数十メートル、レースの中程で走っていた。

 二ノ丸高校の3人はずっと最下位を走っていたが、2000mを過ぎてから1人また1人と交わしていき、その距離は縮まっている。

「みんな! 2000通過6'20! いいぞ、ここから拾っていくんだ!」

 それに呼応するかのように、俺の目の前で石川・星城高校の庭野選手をかわす。彼女は北信越駅伝で1区区間2位だった選手だ。

 5000mはここからキツくなる。今から辛そうな顔をしてれば最後までもたないことは必至だ。でもみんな、まだまだいける顔をしている。

「イナホー! ゴー!」

 先ほど16'41で5000mを走ったサクラはトラックで走る稲穂に声援を送る。さっきまでのレースの疲労はどこへやら。

「イナホ、いいタイム出そうデス」

「悪くないな。いける」

「さっきハシッタばかりなのニ、もうウズウズしマスね」

 悔しそうにトラックを見つめるサクラ。このままいけばサクラのタイムよりもいい走りをするのは分かっていた。

「コーチ、不思議デス。トラック・アンド・フィールドは個人キョウギ。デも、ナンで、私ハイナホを応援シテいるのでショウか」

 さっきからサクラの声は全力だった。稲穂のそれよりはもちろん及ばないが、心から応援してるのが分かる。

 俺はサクラの言葉を聞いて、ふっと笑った。

「サクラも、駅伝選手になってきたな」

「ホワッツ!? どういうコト、デスか?」

「もう分かってるはずだろ」

 釈然としないサクラ。でもすぐに、また1周回って稲穂たちは俺たちの前を通過する。

「イナホ! カタのチカラ抜いて! ワルいクセが出てマス!」

 漣と京子からは少し遅れ始めた稲穂は、サクラのその言葉を聞いて腕をダラーんと下ろす。そして「よし」と言ったと思うと、もう一度前を追うのであった。

 その後すぐ漣は京子をも離し、ついに3000mの通過にさしかかった。9分29秒での3000通過。

 うわうわ、また3000m通過で自己ベスト出しやがった。10秒ほどの更新だけどすごいなこれは。

 その後の京子は9分33秒、稲穂は9分40秒。稲穂はちょっと苦しくなったかな?

 漣はその後も猛烈なスピードを維持して明英大・入島、そして岸部の横越まで追い付く。

 タイムを測っていた夏純はそれに気づいた様子だ。

「常盤さん、もうあんな位置まで……入島さんは1500m4分15秒の選手で長いのは苦手ですが」

「漣はやっぱり長距離に適性あるみたいだな。追い上げて横越にも追い付くなんて」

 とは言え、漣の猛追もここまでだろうと思った。入島、横越の前は50mほど空けてニチヤクの板倉と垂水実業の織田だ。さすがに残り2000mを切って、ここまで上がるとは思えない。

 俺はトラックの漣に指示を送る。

「もう上げるな!あとは頑張って維持しよう!」

 漣のためを思って言った。

 しかし漣は……入島と横越なんて目もくれず、そこから一段階ギアを上げたようだった。

 見た目は800mのような走りだ。スプリントの部類に入るランニングフォームで、一歩また一歩と前を追う。さすがに入島と横越は漣のことを最後までもたないと思ったのだろう、見過ごして距離をもった。

「漣、なに考えてるんだ? もう呼吸はめいいっぱい苦しいはずだ」

 そばにいた涼風は心配そうにトラックを見る。

「おねーちゃん……やっぱり織田新子に追い付くつもりなんだ」

 「TARUJITSU」の赤いユニフォームを着た織田との距離は縮まっていた。

「でもあんなフォームで最後までもつのかよ……」

 一方、先頭の占部は4000mを12分16秒で通過。自己ベストは少し厳しくなってきたようだ。

 大森は厳しい顔をしながらも最後まで声援はやめない。

「最後まで出しきってこい!そうだ!まだ追い込める!」

 最後の力まで振り絞るかのように走る占部。大きなストライド

 改めて彼女のことをすごいと思った。俺と同世代、高校の頃から知り合いなのに、こんな走りが出来るなんて。

 来年には本当に日本代表になるかもしれないな。

「おねーちゃん! ファイト!」

 隣では涼風が漣のことを応援する。え、もう来たの?

 見るとトラックには、織田と板倉まで数メートルと迫った漣がいた。

「なんて追い上げ方だ!もう限界に達しているはずなのに!」

 さっきの組の涼風もすごいと思ったがもっとすごいぞ漣。3分一桁まで上げてきてるんじゃないか!?

 俺はもう無我夢中で漣に声援を送る。

「もう最後だ!ここで出し惜しんじゃもったいない!最後の最後にぶち抜いてくくれ!」

 次の瞬間、目の前を走る漣が激昂する。

「うおおお!! まっけねぇえええ!!」

 漣はアームウォーマーを外して俺に投げつける。慌てて拾ってキャッチしたが、その時にはもう漣の姿はなかった。

 彼女は板倉と織田を一瞬で振り切り、そして残り2周へと入っていった。

 でもさすが15分台の自己ベストを持つ2人だ。漣にすぐに追い付く。

「板倉ぁ! 高校生に負けてるんじゃねぇ!」

 大森が激昂する。実業団選手にとって高校生に負けるなんてあってはならないことだ。たとえそれが怪我明けであったとしても。

 残り1周半になったとき、板倉が一気に引き離しにかかる。まさに猛烈なスピードアップだ。

 やっぱり……世界レベルの選手は違うな。

 織田と漣に後続の入島と横越が追い付いてきた。さすがに疲れたか?

「漣まだいける! 最後いけ!」

 俺は必死に声援を送る。

 だがここで入島が前に出る。さすが1500mの選手だ。

 それに続く織田と横越。漣は少し距離が離れた。

 これ厳しいな。残り1周を切って漣は3人から数秒のロスをとった。

「あの漣ちゃんが離れるなんて……」

「追い付くのにエネルギーを使いすぎたな。でも最後頑張ってほしい」

 俺は半分諦めムードだった。もうさすがに漣は追い付けないだろう、と。

 ーーーーでも俺の予想は見事に裏切られる。

「入島さん! 後ろきました!」

 ラップを取る夏純が声援を送る。

 え? 入島の後ろって

「漣ちゃん! まだ追い付けるよ!」

 朝陽がトラックに全力で声を出す。

 漣は一歩、また一歩を距離を縮めていた。

 信じられない。その一言に尽きる。いったいどこに、こんな力が残っていたというんだ!

 漣は残り150mで前の3人に追い付く。目の前でスピードを出す漣を見て思った。強い。

 そこからは独壇場だった。15分20秒でフィニッシュした占部に会場は湧いていたが……俺の注目は漣一点だった。

 フィニッシュラインを駆け抜ける漣。その様子は遠くからでもよく分かった。

 タイムはーーーー15分49秒!

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