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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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東体大記録会② 覚醒

 東京体育大学記録会。目前に迫る5000mのレースに、駅伝メンバーは緊張していた。

「いいか、最初は絶対に飛ばすな。この組の目標タイムは16分00秒だが参考にすぎない」

 目の前で集中した面持ちで聞くのは、先の2組目の信乃、涼風、千香、サクラ。

「東体大記録会では自己ベストよりも大幅に速いタイムを申請するのが一種の習慣だ」

「コーチ!イワユル『サバ読み』ってコトでスね!」

 サクラが嬉しそうに反応する。

「よくそんな日本語知ってるな……そういうことだ。だから速くても16分15秒くらいにトップが入るだろう」

 千香は改めて、苦虫を噛んだような表情だ。

「それでも16分前半……やっぱり全国区の記録会ですね」

「駅伝シーズンも終わりかけ、みんな仕上がりを確認するなかでのタイムトライアルだ」

「タイムかかり過ぎて、周回遅れになりそうです」

 耳にかかったショートヘアをそっと直す。居心地悪そうな不安そうな様子だ。

 無理もない。駅伝部に入ってから1月しか経っていない。今回だって出すかすらも迷った。

 でもやっぱりメンバーの一員。特別扱いは出来ない、させない。

「でも千香、メンバーの7人目なんだ。途中棄権なんかしたら許さないからな」

「分かってます。そんなもったいないこと、さすがに出来ないです」

 少し安心した。彼女の場合、最初から厳しいレースになるのは予想済みだったから。

「あとのみんなも同じだ。最後まで諦めずに勝負し続けてくれ」

 これは駅伝の選考だ。途中で気持ちが折れちゃ駅伝なんてもっての他だ。

 まずはみんなゴールを……してほしい。そしていい記録を出してほしい。

 そんな思いを胸に、先の組の4人をアップに送り出すのであった。

 そして15時。女子5000mの時間になった。

 冬にしては気温が高く動きやすい時間帯だ。ナイターだと少し寒いので日中で良かった。

 スタート位置にぞろぞろ集まり始める選手たち。意外にも、実業団や大学生だけでなく高校生の姿もあった。

 やはり都大路に出る高校が多いようだ。北信越駅伝では2位だった石川の星城、東京の早稲田国際、愛知の尾張南高校……都大路にほぼ毎年出るチームでも中核選手が多いようだ。

「見たことない高校ばっか!知ってる高校なんてないじゃん」

 スタート位置の近くの水壕に足をかけ、靴紐を結ぶ涼風。最近新調したというマラソンシューズはピンクに緑色のストライプ。すごい色だな。

「東京の大会だもんな。そういえば、体操部では県外行ったことなかったのか?」

「うーん合宿くらい? 体操でも有名な高校はちょこちょこあるけど」

 よいしょっと言いながら涼風は開脚をする。地面に着きそうなくらいに倒れる上半身。

 目にかかる髪を人差し指で掻き分ける涼風。今日の彼女は、いつも通り前髪を残して後ろはポニーテールにしてある。漣はいつもショートヘアなので対照的だ。

「ヘイ、コーチ!」

 サクラが、ストレッチする涼風に加わってきた。片足スクワットをして股関節周りをほぐすサクラ。

「サクラ、今日は靭帯大丈夫なのか」

「イエス。チョウシがイイときハ、痛みモでナイです」

 サクラもまた、ポニーテールにしている。やっぱり陸上選手はショートヘアかポニーテールの2択なのかなと思ったり。稲穂は普段セミロングだけど、レースのときは後ろでまとめているからね。

「こないだも話したけど、サクラはアメリカで5km走ったことあったんだよな?」

「ソウです。ニホンにクル直前オフシーズンに、18分フラットホドでシタが。クロカンレースデス」

 クロカンレースで5km18分。クロスカントリーはコースによってタイムが大きく異なるが、これはまずまずのタイムだ。

 サクラに大きな期待を寄せていると、トイレから帰ってきた信乃と千香がやって来た。

「そろそろ最終コール、スタートですよ」

 そう言いながら目の前でジャージを脱ぎ始める信乃。白い肌がユニフォームの隙間から見え、すらりとした脚が姿を現す。

「何をジロジロ見ているのですか」

「あぁいや! 絞れているなと思って」

「褒め言葉……でいいんですよね?」

 呆れた顔をしつつも、やれやれと微笑む信乃。いつもの余裕はあるみたいだ。

「調子も悪いわけじゃない。レース期待してるぞ」

「やるしかないですよ。文句は言ってられません」

 信乃アームウォーマーをはめる。色は黒。イフシンのロゴが目に入る。

「日差しもあるしあまり寒くない。アームウォーマー、適当なタイミングで俺に投げてくれ」

 レース中に帽子を投げたり、手袋を外したり。温度や気候の変化とも戦うのが長距離選手だ。

「ありがとうございます。では行ってきますよ」

 軽く流しながら信乃はスタートに向かう。それについでサクラ、涼風、千香が向かう。

 スタートラインに集まった一同。

 実業団は高卒ジュニア層を中心にファーティマ製薬、陽山銀行、井戸海上の中堅チーム。大学は文化学院大学と……その為諸々? 高校生は残り半分くらいか。

 こうしたメンバーのなか、駅伝部のみんながどんな走りをするか……蓋を開けないと分からない。俺は手元の時計をストップウォッチモードにし、ビデオカメラで動画を撮る用意をする。残せるデータは多い方がいい。

 スタート地点でアナウンスの声が聞こえる。

「それでは、女子2組目、スタートします」

 東体大に学生だろう。若い顔の審判がスタートの用意をする。

 一度、静まるトラック。

 遠くで車の走る音だけが聞こえる。

「オンユアマーク」

 そして炸裂音が聞こえた。スタートの合図と共に、一斉に走り出していく。

 色とりどりのユニフォーム。まずはその姿を見失わないように、目を凝らしながらメンバーを探す。

 二ノ丸高校はお馴染み、エメラルドグリーンのランニングシャツに、黒のパンツをしている。他のチームが黒とか青が多いなかで、これはまずまず探しやすいのだ。

 一団になってホームストレートを走るメンバー。やはりサクラは先頭付近にいる。金髪だから余計に目立ってわかる。

 その次は涼風と信乃か。二人仲良く同じくらいの位置取り。悪くはない。千香も最後尾周辺で落ちついている。

 そして最初の1周目にさしかかる。先頭は77秒。え、速い…… 先頭の実業団選手の自己ベストはせいぜい16分中盤。ちょっと速いな。

 そのままペースを上げ下げせずに2周目を走る集団。さすがにサクラは速いと気付いたようで、第2集団に落ちていく。

 今のサクラの力は未知数だ。秋の新人戦まではトレーニングを積めていたもののそこから怪我をした。しかし北信越駅伝の3km区間ではまずまずの走りができたため、今回も期待はしているが……読めない。ましてや5kmのタイムなんて……

 そう思っていると、1km通過にさしかかっていた。サクラは3分16秒の通過。まだ速い。最初飛ばすなって言ったのに……これじゃオーバーペース気味だ。

 そして千香が最後尾の集団で通過する。3分28秒。こんなところかな。最低17分台では帰ってきてほしいけど。

 その前の集団には信乃がいる。高校生中心の集団だ。まさか、他の高校生はうちの元生徒会長で秋終わってから受験勉強と並行しながら駅伝やってるとは思わないだろうな。

 そんなことを思いつつ、ちょっと誇らしい気分になっていた。そしてみんなの通過タイムをノートに記録していたが、

「あれ、涼風がいない?」

 後ろから集団を見てみる。千香、その前に信乃、その前にサクラ。涼風はどこだ? ちゃんとスタートしたはずだし、もしかして途中棄権したんじゃ!?

 一瞬悪寒がした。ここまでの練習では調子よかったから当日に合わせられなかったんじゃないか?

 まずいという不安でいっぱいになっていた。

 すると先頭が2000mの通過をした。アナウンスの声が聞こえる。

『先頭は2000m6分34秒。ファーティマ製薬の民谷(たみや)さん、二ノ丸高校の常盤(ときわ)さんの2名です』

 常盤さん。

 え、涼風!?

 ノートから顔を上げる。

 第2曲走路の水壕の前を水色のユニフォームの民谷選手、そして涼風が一瞬で通過する。

「なんて……なんて位置にいるんだ涼風……」

 これは彼女の3000mの自己ベストよりもずっと速いペースだ。端から見れば明らかに突っ込みすぎ。

 でも今日の涼風は何か違う。

 動きを見てて「ペースが落ちる」予感が皆無なのだ。

 フォームはあの漣ととても似ている。中距離選手のような大きな走り。普通、そんな動きをしてればスタミナ切れを起こすわけだが、涼風の走りにはロスがなかった。

 また1周走って帰ってくる涼風。この1周のラップは78秒。動いてる。動いてるぞ!涼風!

「いいぞ! このままいけるところまで追い込め! あと半分だ!!」

 初めての5000mは3000を過ぎてから地獄に変わる。オーバーペースは完全に足にくることになる。

 そうなる前に……なるべくリードを作っておくんだ。どうせ抑えたってキツくなる。ならば追い込むしかないんだ!

 興奮しながら後続のサクラ、信乃、千香に声援を送っていると、気づけば涼風は3000mを通過した。

『先頭は民谷さん、常盤さん。9分50秒で3000mの通過。この1000mは3分16秒です』

 ペースが上がっている!? しかもこのタイム、涼風の3000mの自己ベストより速いじゃないか。

 いったいいつの間にこんな走りが出来るようになったんだ。

 涼風は県駅伝が終わったのち一時的な伸び悩みを経験した。安定感が出たと同時に、爆発的な伸びが隠れてしまった。

 しかしみんなが北信越へ調整しているあいだ、一人でトレーニングを重ねていたのだ。長距離は1人じゃ強くなれないが、1人になることで自分の身体のリズムを認識できる。

 双子の漣がいい走りをしたのも影響しているんだろうが、これはまさしく覚醒だ。

「へぇ、涼風ちゃん速い」

 レースに夢中になって気付かなかったが朝陽が隣にいた。5000m最終組メンバーの京子・漣・稲穂の3人のアップ付き添いが終わったのだろう。

「これは県駅伝の京子、北信越駅伝の漣を上回るペースだ。どこにこんな力あったんだか……」

「追い込まれると人は、変わるのね」

 嬉しそうにトラックを見つめる朝陽。

 北信越を走れなかった悔しさや、学園祭で感じたクラスメートとのほうこうせいの違い。それが今、タイムとなって現れているのだ。

「んで、あとのみんなは……サクラちゃんも速いんじゃない?」

 朝陽に言われてトラックを見ると、サクラは涼風の80mほど後ろを走っていた。涼風が速すぎるのでこんなに差がついているが、5000m16分台を狙える走りだ。

「サクラも力あるんだな」

「そうね、でも」

 朝陽の表情から笑顔が消えた。

「信乃ちゃんが苦しいのが、辛いところよね」

 信乃はサクラの後方、約100mを走っていた。

「残り2000mで前を走るサクラちゃんに追い付かなきゃ都大路のメンバー入りはない。苦しい場面ね」

「うぐ……やはり調整期間が短かったか」

 信乃は北信越駅伝を走って短いスパンで今回の記録会に望んでいる。しかも走ったことがない5000m。

 レース前に不安な表情をしていた信乃が思い浮かぶ。あの弱気な表情と、それを隠そうとする強がりな信乃。思えばこの苦しい状況のフラグであった。

 信乃が目の前を通りすぎていく。ラップを測っていたがペースは毎周1秒ずつほど落ちている。

「拾っていくしかなくなったぞ! 動かすだけ動かせ!」

 俺の方なんて向かなかったが、信乃は一度その長い太股を手で叩くと、もう一度ペースを上げるのだった。

 でも、俺には分かっていた。信乃はもう苦しい。サクラにアクシデントが起こらない限り、もう逆転は不可能だ。そうなると都大路のメンバーはーーーー

 ダメだ。顧問の俺が、こんなこと考えてどうする。信頼してくれてる選手に失礼すぎる。

 大体俺のエントリーミスでこうなった。もう自信もって、みんなの背中押してやることしか出来ないんだ。

 信乃から更に100mほど遅れて千香が通過する。千香は完全に苦しそうだ。それは信乃よりもずっと。全中駅伝出場者とはいえブランクは大きすぎる。

 でも、まだだ。まだ終わっちゃいない!

「千香! 千香もメンバーの一員なんだ! 拾っていこう! まずは前だ!」

 今の俺には、メンバーに声をかけることしか出来ない。ならそれをやろうじゃないか。

 すぐに先頭を走る涼風が帰ってきた。4000mの通過は13分12秒。

 さすがにちょっと疲れたか?動きが崩れてるわけじゃないがそろそろ限界なんだろう。

 さっきまで並走していたファーティマ製薬の民谷選手にも話されていく涼風。後方の早稲田国際高校の兼古(かねこ)選手が上がってきた。

「もう最後だ!ここで出し惜しんじゃもったいない!最後の最後にぶち抜いてくくれ!」

 次の瞬間、目の前を走る涼風が激昂する。

「うおおお!! まっけねぇえええ!!」

 涼風はアームウォーマーを外して俺に投げつける。慌てて拾ってキャッチしたが、その時にはもう涼風の姿はなかった。

 彼女は追ってきた兼古選手を一瞬で振り切り、そして残り2周へと入っていった。

 その時、次の次の女子最終組の選手がぞろぞろと入ってきた。ここは応援スペースであると同時に選手の荷物置き場にもなっている。

 チームはニチヤクもいるし、明英大、そして岸部の姿もある。板倉や占部、大学の後輩たち、横越や藤澤の姿もある。

 そして俺の背後にはあの垂水実業の選手が集まってきた。昨日見たメンバーが揃いも揃ってるし、あの織田もいる。

 織田はストレッチをしながらトラックの様子を覗いている。しかも俺の隣で。俺のこと気づいてないし覚えてもいないのかな?

 隣にいる織田、髪はベリーショートだけど顔はめちゃくちゃ整っていることに気付く。美少女、でも美少年でも通じそうなレベルだ。やっぱり兵庫だから宝塚の影響受けたりするのかな?

「先頭は漣やないかい。わてらの組かと思ったら違ったんかいな」

「あれが漣じゃない。双子の妹、涼風だ」

 急に話しかけられた織田はビックリした様子だ。

「なんやおっさん、不審者か?」

「んだとこら!」

 めちゃくちゃ失礼じゃないか! 漣だけかと思ったら初対面の大人にまで!

「嘘や、嘘。栃岡翔。二ノ丸高校2年時代に都大路1区日本人3位の成績を残し明英大に進学。以後大きな伸び悩みを経験するも、教師に転職したレースで5000m13分55秒を記録。都道府県対抗駅伝新潟代表に選ばれる、ってとこかな?」

 なんだこの子。めちゃくちゃ俺のこと知ってやがる。

「わて、1度見た情報は結構覚えとるんや。二ノ丸高校は女子チームとして初年度で都大路出場やから、ネット界隈では有名なんやで」

「検索したらヒットしたって感じかな」

「せやな。先生のことは要注意人物やと思ってる。んま、先生だけやけど」

 トラックを走る涼風を見て、冷静な顔の織田。

「あんな走りでエースの漣と並んでるようじゃ、都大路は話にならんわ。悪いけど都大路は夢の舞台ちゃう。真剣勝負の場所や」

 織田は去年も都大路に出たんだっけか。その分、今年の気持ちは強いんだろう。

 でも、二ノ丸高校をなめてもらっちゃ困る。

「織田新子。涼風は今年の6月に陸上を始めた、まだ初心者だ。北信越駅伝は走ってないぞ」

「ほんまかいな? でも、あのタイムーーー」

「急にタイムが伸びたみたいなんだ。うちは3000mの自己ベストは遅いけどな、もし都大路出場校で5000mの平均とったら速い方だと思うぞ。現に涼風は、チーム4番目の選手だ」

「なんやて……県大会で3位だったチームで、あの走りをする選手より速いのが3人……」

「それでも俺たちの実力は垂水実業には及ばないだろう。でもな、ひょっとしたらーーーーーーー」

 場内アナウンスが聞こえる。レースがそろそろ終わるようだ。

『先頭はファーティマ製薬の民谷さんーーーーーをかわしまして、二ノ丸高校常盤さん。16分20前後でのフィニッシュです』

 それを聞いた俺は、織田にかける言葉を続けた。

「これからのレース、ちょっと織田を楽しませることができるかもよ?」

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