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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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73/95

たまには働く、教師らしく

ここは二ノ丸高校の面会室。授業の合間にいらっしゃったある方のお相手をしていたのだ。

「栃岡先生、本当に、ありがとうございます」

目の前で頭を下げる婦人。赤みがかった髪を下しながら感謝の気持ちを表現する。

「い、いえ! こちらこそ、藩内さんにご相談することもなく、あんなことをしてしまいました」

「いいんですよ。結果、オーライです。あの子も本当に嬉しそうでしたよ」

向かいに座った京子の母親はニッコリと笑う。その笑顔を見ると救われる気分になった。

一昨日までの都大路への試走は想像以上のことが連続だった。

ニチヤクの寮に泊めてもらったこともビックリだったが、一番はやはり京子の過去のことだった。父親――――今朝白さんが京都ハーフの最後に、目の前で亡くなったこと。それは京子の脳内に強烈に印象付けられていた。

車でのコース下見、いや、普段の練習からも様子がおかしかった京子は、都大路の試走でついにそれを爆発させてしまった。二ノ丸高校の誰もが気付くことなかったその過去を板倉さんから聞いたときは驚いてしまった。

京子に「目隠しをすることで都大路を走ること」で、結果的に京子は都大路を完走することができた。そして、走りながら今までの楽しい記憶や将来への期待などを京子自身が感じたことで、都大路は辛い場所ではなくなった。記憶が上書きされたのだ。都大路を完走できたとき、京子は今まで我慢してたものが溢れ出て涙を流していたが、翌日にはなんとか試走まで出来ていたのであった。

「もちろんこれで、京子さんのトラウマを解決できたとは思っていません。でも都大路のスタートラインに立つことは視界に入ってきましたよ」

「あの子がずっと目指していた全国大会の舞台、それも都大路……是非、走ってる姿をあの人にも見てもらいたいですね」

あの人、というのが誰を指しているのかはすぐに分かった。きっとその人はどこかで都大路を見ているのかもな。俺と同じ、駅伝バカの今朝白さんなら。

「駅伝はチーム競技なので、メンバーの実力、仕上がりをみて最終的なオーダーを決めます。なので、その辺はご承知を……」

「もちろんです。そんな根回しで決まった出場なんて、私もあの子も喜びませんよ」

「そうだと、思いましたよ」

 改めて安心した。今さら口論になるような人ではないとは思っていたが尚更安心したのだった。

「私はこの後、担任の渋川先生ともお話するつもりです。進路のことも色々大変な時期ですからね」

「そのことなんですが」

 とっさに、口をはさんだ。

「やっぱり京子さんは、大学でも駅伝をやるつもりなんでしょうか?」

 進路のことについて積極的に聞くのはタブーな気もしたが……もう都大路まで会う機会はないのだし、勇気をもって聞くことにした。

 京子の母親は表情一つ変えずに、淡々と話す。

「それはあの子の思うところです。どうせどのみち、趣味で走ることは続けるんでしょうからあまり変わりませんよ」

「そ、そうですか」

「先生はどう思うんですか?」

 突然の切り返しだ。いつもトーンを変えずに淡々と、落ち着いた話し方しかしないので、こういう急な振りがくるとかなりビビる。

「そうですね。僕自身、大学時代はかなり苦しんだので素直におすすめは出来ません。でも京子さんには自分の限界に挑戦してもらいたいです」

 俺の大学時代なんて語れたもんじゃない。故障にケガに加えて、精神的なストレスも大きかった。自分のことを引き合いに出すにはあまり実績がない。

 それでも、それだけじゃなかったんだ。

「24時間、365日ずっとトップを夢見て、自分の可能性を信じ続ける。この時間が学生として最高だったんです。絶望的だったのかもしれませんが、あの経験があったから、今都大路に出れるんだと思います」

「なるほど、京子にもそう伝えておかないとですね。『栃岡マジック』はこうして生まれたんですと」

「ははは、お母さんまでそう言いますか……」

 こりゃ参った。自分のことを棚に上げるつもりなんてなかったんだけどな。

「とにかく今日はいったん失礼します。お仕事のお邪魔をしてすみませんでした」

「いえいえ! 貴重な時間でした、お母さん」

「ふふふ、これから『も』京子のことお願いしますね」

「はい!」

 心なしか嬉しそうな京子のお母さん。やっぱり家ではママとでも呼ばれているのだろう、「お母さん」と呼ばれているのが嬉しい様子だ。最後の最後にホッコリしちゃったよ。

 俺は職員室にいた担任の渋川先生に声をかけると、軽く会釈をして面会室を後にする。自分の席に戻った俺はインスタントコーヒーを入れると、午後の漣たちのクラスのプリントを見返すのであった。

 ふぅ……都大路で駅伝モードになったのに教師モードになると仕事きついんだよな。一応顧問として京都に行ったけど、やっぱり頭は陸上一色になる。これは授業をやるときの脳とはどうしても違ってきてしまう。

 二ノ丸高校の駅伝部は正直みんな自己管理が出来ている。放っておいても自分で調べてストレッチするし練習の感想もノートに記録できている。京子と漣は俺が赴任する前からこれを続けているらしいが、元々速かった稲穂、サクラに続く形で涼風も続けているらしい。

 正直、栃岡マジックと言われても管理しているわけじゃないし、一緒になって駅伝やってるくらいのことしか思ってないんだけどな。いつもいつも、彼女達(みんな)の気持ちの強さに助けられてるし、純粋な心に何かを気づかされている。さっき京子のお母さんには自分の大学時代なんて堂々と言っちゃったけどさ、本当は一番何かを学んでいるのは今なんじゃないだろうか。

 コーヒーをずずっと飲む。まったく、いつまで経っても俺は学生気分なのかな。駅伝のことばっかり考えて、他人から何かを教えてもらってばっかりで、今こうしてコーヒー飲みながら観想にふけり仕事さぼってる。いつまでもモラトリアム人間だ。

「栃岡君」

 そして背後から、刺すように声が聞こえる。

 思わずコーヒーを噴き出した。

「ぶ、ぶはあああ! げほ、げほげほ」

 いきなり慌てた様子の俺を見て教頭はたじろぐ。

「何をそんなに驚いているのだね!?」

「げほ、いえ、酸味が効きすぎてて!」

「どれほどの酸化が起こっていたのだね……ちょっと校務とは関係ない話だが、良いかね」

 理科教師らしい発言をした教頭は、なにやら不安そうな表情だ。

「都大路のエントリーのこと、ですか」

「ご名答だよ。信乃は走れそうなのかね?」

「正直微妙な状況です。最近は今一つ走りにキレがないですね、全体のレベルも同じような感じなので、読めません」

「そうか……」

 やはり教頭も、都大路を観に行くのだろうか。興味も何もないことについて聞くはずがない。自分のかわいい娘だ。出て、走ってほしいに決まっている。

「当日は妻と観に行こうと思っていたのだが」

 まじ? あの十二単(じゅうにひとえ)の人も一緒に?

「そ、そうなんですか」

「実は仲直りしてな。どうやら、私のタバコが原因だったらしい」

 そういえば教頭は愛煙家だ。都大路出れなかったらクビ宣告された時なんて、顔に煙ふっかけられたもんだ。あのころからすれば今はとてもいい人だ。

「糸口は意外なところにあるものですね」

「うむ。だから、信乃には走ってもらいたいのだ。やっぱり受験勉強がネックのようだな。よし、今日から信乃の洗濯も手伝わなければだな!」

 あ、一応下着は別の方がいいと思います……

「そういえば駅伝部は、次の土日はまた記録会なのだな」

「はい。今度は東京体育大学で、です」

 東京体育大学記録会。日本で最大規模と言われる長距離記録会だ。

 駅伝シーズンには5000mだけで朝から晩まで日程が埋まる。しかも1組の人数が多すぎて、アウトレーンは外側の芝生にはみ出してしまうほど。応援もトラックの5レーンくらいまで埋め尽くされているので選手たちはとても高揚した気分で走れる。

「今回は都大路の最終選考にしようと思っています。病気などを除けば、大会2週間前から当日の調子は十分予想できます」

「なるほど……そこで信乃が走れるか決まるわけだな」

「当日のエントリー変更もあるのでなんとも言えませんが、そういうことですね」

 これは勝負なのだ。今までの調子や流れも見極めるが、最終的にはタイムで速い順にメンバーは決めていく。最後は恨みっこなし、シビアに決めていかないと。

「東京への遠征は選手にも負担がかかると思いますので、十分に注意したいと思います。京都のときもそうでしたが浮かれすぎるのが怖いところです」

「東京体育大学は、たしか渋谷区だったかね? 田舎の高校生に都区内は苦労がつきものだが……」

「そうですね。宿もそのあたりにとってあります。代々木公園もあったりで、結構練習しやすい場所なんですよ」

「くれぐれも、気を付けるようにな。場所が場所だ」

「はい、重々と」

 会釈をして再び仕事にとりかかった。

東京の渋谷か。みんな、行くだけでテンション上がっちゃうような場所なんだろうな。

でも今回は試合として行く。都大路でのメンバー決定をかけた最後の記録会だ。文字通り、最後の記録会……今まで以上に気を引き締めないといけないな。

さて、やる気が出ないとか言ってらんないぜ。今は目の前の仕事をこなしていかなきゃだ。


「よぉーし、次は現代社会だぞー」

 間延びした声を出しながら教壇に上がる。世間一般の高校教師みたいに。

 チャイムがまだ鳴らないこともあり、教室のあちこちで談話する生徒達。二年生のクラスらしく、少ししまりのない雰囲気だ。まぁこういうところで「時間前に着席しなさい」なんて口うるさく注意してたらきりがないんだけどね。

「あのー! センセー!」

 教壇の下の漣が声をあげる。授業中寝まくっている漣は担当教師での談合のうえ、ここに座らされているのだ。

「なんだ、駅伝部の用事ならあとでにしてくれよ」

「次の遠征、東京体育大学なんだよね? 渋谷区ってとこにあるみたいだから、センター街とか、原宿とか行きたいんだけど!」

 なんてったって田舎の高校生だ。東京に行けば、ちょっとは面白いものを見てみたい気持ちもある。

 だが遊びに行くわけじゃない。指摘するものはしないと。

「あのな……そんなことして風邪でも引いたらどうするんだよ。外は寒いわけだし」

「記録会終わってからでいいじゃん! それくらい考えてるっての」

「終わってからは尚更ダメだ。レース後は体の免疫作用が弱まっているから遊びに行くなんて言語道断だ」

 漣は急にしゅんとした表情になる。

 かわいそうな気もするが都大路前に言うことは言わないと。

「都大路に試走に行ったとき板倉さんにも色々言われただろ。俺たちはまだまだ遅いし実力もない。そういうところから、やっぱり変えていかないと」

「ちょっと遊びに行こうって言っただけじゃん。ストイックすぎるよ」

 むすっとした表情の漣。いつも通り、思ったことや気にくわないことはストレートに伝えるのが彼女だ

 俺は授業の準備をしながら話を進める。

「東京なんて意外と新潟から近いぞ。新幹線で一本で行けるんだ。都大路終わってからならしばらくオフ期間なんだし涼風とか千香と一緒に行ってもいいんだぞ?」

「また東京行くの大変じゃないかって話じゃん。それに……その、センセーには約束あるわけだし」

 急に顔を赤らませる漣。さっきまでガン飛ばしていた視線はうつろになり、泳がせている。いったいどうしたんだ?

「ん? 約束?」

「ほら、北信越の前に、朱たちと言ってたじゃん。その……」

「都大路に出るってことか。そのならもう―――」

「んなわけないでしょ! あるけどさ! それはもう叶ったじゃん!」

 んもーバカ、と言いながら、見えない机の下で足をバタバタさせる漣。いったい何を言いたいんだ?

 知らないうちに教室中の生徒の視線を集めていた俺と漣。何人かの女子生徒のグループは、俺を見ながらヒソヒソと話しニヤニヤと笑う。男子生徒は男子生徒で冷ややかな目で俺を見ている。

 え? また寝癖ひどかった? でも今日は朝シャンしてきたし……もしかしてズボン切れてた?

 そう思って体中を見渡す俺。でも今日のスーツはキレイサッパリ、新卒のときから愛用している状態のままだ。

 うーん、なぜ漣と話すとあんな目で見られるのだ。うーむ……

 頭を抱えて待っていると教室に陽気な生徒が足を踏み入れる。

「栃岡センセーの授業間に合った~って、(れん)ちゃんと栃岡先生はお話し中でしたか」

 入ってきたのは生徒会長吉村千香。ジュースでも買いに行っていたらしく急いで教室に入ってくる。

 頬にかかった髪を揺らしながら歩み寄る千香。

「やっぱり東京遠征についてですか?」

「そういうとこ、だな。漣が遊びに行きたいってうるさくてな」

「な、私がお子様みたいな言い方ー!」

 子ども扱いされてムキになる漣。お子様扱いは、どうも彼女の苦手とするところらしい。

「私も行きたい気持ちはありますよ。けど、目の前のハイレベルな記録会を前にしたら、私は素直に言えないですね」

 はは、と苦笑いする千香。

 東京体育大学記録会は日本記録とまではいかなくとも、シーズン日本最高や大学トップレベルのタイムが頻繁に出る大会だ。ケニアやエチオピアからの選手なんて女子でも14分台かそれに近いタイムも出してくる。京子でも周回遅れになりそうな、そんなレベルだ。

「そんなに気負わなくても大丈夫だ。記録会は目標タイムごとに細かく組が決められているし、実業団のトップ選手と同じ組なんてありえないさ」

「そ、そういうものですよね。私の目標はまず3000m10分切りだから、そこ目指さないとですね」

 正直言うと、千香は都大路のメンバーにはまだ不適だ。走り込みの不足、レースでの勘が取り戻せていないことなどから、本人とも話したうえで基本的にはメンバーにならないことになっている。

 でももしも、もしも誰かが2人走れなくなったとき出番はやってくる。予測不可能に、しかも大役を任される可能性のあるポジションに千香はいるのだ。

 だからこそ……自己ベストは出しておかなくちゃいけない。

「そうだな。まずは思いっきり走ってもらわないと。短い期間だけど練習の成果は見せてほしいぞ」

「ええ、もっちろんですよ! そういえば渋谷に行くんですよね? アディノのオフィシャルショップが原宿にあって、最新のランニングシューズが試し履きできるみたいですよ」

「うわ! そうだった!」

 何を大事なことを忘れていたんだ栃岡翔。原宿といえば若者の街であると同時にスポーツショップの聖地でもある。アディノの他にも、ディアバランスのショップもあるじゃん! 秋モデル試走するチャンス!

「忘れてた! やっぱりレース前日に原宿でシューズ見ていこう! 用具を揃えるのも一流選手のやることだよ!」

「うそ!? やったー!!」

 急に喜び出す漣。さっきまでの不機嫌な表情はどこへやら。

 俺も悪い気はしなくなっちゃうな。

「んまぁ、寄り道がてら原宿とか渋谷の街を歩くのもありかもな。良いリフレッシュになるし」

「栃岡先生、空気読めますね~。『カールズ』の表参道店も覗いてみたいな~」

 吉村も嬉しそうだ。緊張してるとは言っててもやっぱりどこか行けるのは嬉しいんだな。

「センセー! いっぱいいきたいところ調べるから、いっぱい行こうね!」

「おう。って、授業中にケータイで調べるなよ」

 やれやれ、いつもピリピリした雰囲気のみんなを見てるから気づかないけど。こういう無邪気な笑顔を見て俺まで笑顔になれると、教師やってて良かったと思うわ。

 キーンコーンカーンコーン……

 お、チャイムも鳴ったか。授業始めないと。

 席にぞろぞろ座り始める生徒達。

 俺は号令係に一声かけると、授業を始めるのであった。

「今日は『国際問題』についての内容だ。ちょっと重いテーマだけど、真剣に考える価値のある問題だ。教科書は―――――」

 いつものように、なるべく面白くしようとしながら話をする。

「まず、世界には色んな地域がある。地域があるということは、それだけ交流も起こる。交流があればそれだけ問題も出てくるんだよな。かの太平洋戦争も―――――」

「えええええええええ!!??」

 突然、目の前で奇声をあげる漣。俺含め教室中の注目を集める。

 漣は片手にケータイを持ち、その画面を凝視している。小刻みにボサボサのショートヘアが揺れている。

「おい、授業中だぞ。ケータイしまって話に集中しな」

「あ、あの、センセー、これ、」

 まともに言葉を発せない漣はケータイの画面を俺に見せる。

「これ、東京体育大学記録会のスタートリスト。もう出てたから見たんだけど」

「授業中に何見てるんだよ……」

「3000mに私たちの名前がないから変だなーと思ったの。そしたら――――」

 俺は、ケータイの画面をよく見る。

「みんな5000mにエントリーされてた。しかも私と京子先輩と稲穂、一番速い最終組なんだけど……目標タイム、15分前半って書いてある」

 ……。

 …………これは。

「エントリーミスったあああああああ!!!」


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