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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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都大路試走 ④見えない道の先に

 俺は朝陽をミーティングルームに呼び出した。

 8時。選手たちや河田はもう部屋に入った時間だ。物音のないしんみりとした空間と、背中を刺すような冷たい空気。

「相談って何よ」

 朝陽には「相談がある」とだけ言って呼び出してある。

 寝間着のジャージ姿の朝陽。アスリートではない彼女のジャージ姿は少し不似合いだ。

「用というのは他でもない。今晩、京子が都大路を走れるようになる作戦を実行するんだ」

 河田と部屋で話したときに思い付いた作戦。医者でもカウンセラーでもやらない作戦を事前に朝陽に伝えようと思っていたのだ。

「さ、作戦? また変なこと考えてるんじゃないでしょうね……」

「いや、上手くいく気がするんだよーーーー」

 そう言葉添えして朝陽に作戦を伝える。

 朝陽はずっと黙ったまま、俺の目を見て聞く。

 いつもクールな彼女の瞳は今日もまっすぐ。俺の真剣な気持ちを朝陽も何となく感じていたのかもしれないのだが。

「ーーーっと、こんな感じだ」

 話を終えた。

 ずっと黙りこくっていた、朝陽の反応を見る。

「はぁ……それ本当に言ってるの?」

 呆れ顔の朝陽。半分は予想できていた表情だ。

「でも、俺的にはうまくいく気がするんだよ」

「そう言っても半分は思い付きでしょ? いいわ、この際だからちゃんと説明する。

 朝陽は真面目な顔で言い放つ。

「あの場ではちゃんと言わなかったけど……京子ちゃんはPTSD。心的外傷後ストレス障害という病を抱えている。教員の翔なら聞いたことあるんでしょ」

「何かしらの強いショック経験が、強い心のダメージとなって何度も出るってやつだろ」

「そう。災害やショッキングな出来事に遭ったときに発症すると言われていて、動悸など身体にはっきりと変化が現れることもある」

 動悸。京子は大会近くになると緊張をしていた。

 俺は「緊張しがちな子」で片付けていた。でも実際は、レース前の緊張だけじゃなくて、父親の死を抱えていたのだ。

「PTSDは普通、数ヵ月もすれば軽快するものよ。でも京子ちゃんのそれは、走ることと強く結び付いている。だから、レースという緊張感の高い状況で何度も出現してしまう」

「走ることは父親から教えてもらった大切な宝物。なのに、それをすることでトラウマを思い出す……なんとも皮肉だな」

「そうよ。だからね、はっきり言うわ」

 朝陽は俺にまた1歩近づく。

 距離が近い。もう朝陽の吐息もかかろうかというくらいに。

「翔が考えてることを実行なんてさせられない。無謀すぎる。そんな非科学的な方法で、京子ちゃんの人生がどうなっちゃったらどうすんのよ!」

 若干涙ぐんだような朝陽の声。それだけ気持ちが高ぶっているのも分かった。

 ……でも。

「んなこと百も承知で言ってんだよ!」

 毅然として言い放つ。

 俺も、言い返されてすぐに黙るような覚悟でこんな提案してるんじゃない。

 正直朝陽からあれだけ言われると怯む気持ちもある。今日ばかりは本気で怒らせている。

 だけど、俺は京子に変わって貰いたくて、春から今まで一緒に走ってきたんだ。反対されたからすぐ諦めるような行動ほどヤワじゃない。

 俺は、俺は高校教師なんだ!

「朝陽、PTSDは本来、何年も続くような病気じゃない。京子は中学生の頃からトラウマに悩まされているようなことを言ってたが、それは違うんだ」

「えっーー」

「走ることだよ。京子のトラウマの原因は。走ることで父親のことを思い出して、辛くなる。だから、走ること通じて得られる感情を変えればいいんだよ」

 急に静かになる朝陽。俺がまさかこんなに言い返すとは思ってもいなかったのだろう。

 俺は話し続ける。

「京子はいつも緊張しまくって走れないわけじゃない。新潟ロングディスタンスという舞台、それから県駅伝、北信越駅伝でも京子はいい走りをした。走ること自体は大得意なんだ」

「走ること自体は、好き……確かに、極端に緊張するのは春の県大会、そして今回の都大路くらいだった」

「そう。だから京子は走ることで変わらなきゃいけない。京子の走りに対する意識を根本から変える、そのための作戦さ」

「……それにしても手荒な真似ね。何かあったらどう責任とるんだか」

 朝陽は呆れきった表情。でもどこか、俺のことを認めてくれているようだった。

「でもその覚悟、本物と信じるわ。ちょうど予定が変更になってこれから京子ちゃんを病院に迎えに行こうと思っていたところなの」

 朝陽はポケットから車のキーを出し、空中に投げてキャッチする。よくあるカッコつけだ。どうやらニチヤクの車で病院に向かう様子。

 俺とすれ違いざまにそっと、ささやく。

「一応私は止める立場にある。だからね、本気なら私を出し抜いてみなさいよ、栃岡先生?」

 このやろ、カッコつけやがって。最初から最後まで自分の弱みを見せないんだな。

 でもな……ありがとう。

 俺は朝陽のあとを追うようにミーティングルームを出る。

 ミーティングルームを抜け出した後、宿を出る前に駅伝部員を呼び出す。理由はもちろん、明確だ。朝陽に話した作戦を実行するために。

 玄関に全員を呼び出して指示を出す。みんな今日一日色んなことがあって、疲れているのは目に見えていた。今日は早く寝たい、そんな気分なのだろう。

だけど……眠るのには早すぎる。やるべきことが残っているんだ。

「みんなちょっと近くに寄ってくれ。こそっと聞いてほしいことがあるんだ」

全員が肩を寄せ合うように密集する。まるで、息づかい1つ1つが―聞こえるんじゃないかというくらいに。

みんなに聞こえるように、一方で他の誰にも聞こえないように伝える。朝陽に言ったのと同じ作戦を。

朝陽を怒らせたときみたいな曖昧な説明ではない。今度はきちんと根拠づけをする。反論される前に論理でねじ伏せていくのだ。

作戦を話し終えた。少し説明が長すぎたかなと思ったが、みんなよく聞いてくれていた。

信乃が、最初に口を開いた。

「根拠がないように思えれば、逆に精巧に作られた論理のように思えます……いったい誰から教えてもらったんですかこんなこと」

「もちろん自分でさ。んまぁ、医学的根拠なんてものはないのさ」

「だと思いましたよ。で、本当にやるのですか、これは」

「もちろんだ。何かあったら俺の責任だと思ってる。そのときは、信乃のお父さんに勧告される前にクビ切ってやるさ」

カッコつけたと思われただろうが俺の本心だ。

「都大路で首の皮一枚繋がったっていうのに、命知らずですね」

信乃は反対するのをやめる。

「だったら私も信じますよ。京子さんが走れないからって私が走ることになっても、そんなのは認めたくないですから。文字通り最後のレース、京子さんなしは考えられません。京子さんが走れるようになる作戦、賛成です」

折れてくれたというより、賛同してくれたようだった。それが何よりの心の救いだ。

メンバーの中でもう一人、京子の出走を反対していたのがいる。漣だ。

「漣はどうだ。この作戦、賛同するかしないか」

「なにさ、こんなめっちゃくちゃな計画。ほんとバッカみたい……」

「賛同するかしないか聞いてるんだ」

「みんな賛成派に回ったのに、もう反対なんて言えないでしょ? それに……こういうバカみたいな策略を信じるしかないって状況なのは、私でも分かってる」

決まりだな。もう駅伝部は全員一致で、京子を走りに行かせる覚悟は出来た。

 そうと分かれば、あとは指示を出すだけだ。

「じゃあ作戦実行だ! みんな朝陽に見つからないように、部屋に戻ってランシューとウィンドブレーカー、持ってくるんだぞ」

こうして俺達は、夜の都大路を舞台にした作戦を開始するために、そっと宿を出たのだった。

 ニチヤクの寮を出るとすぐに病院に着いた。夜の京都市内は、昼間ほど車通りがない。ナビ通りの時間で到着をする。

 病院に入って京子のいる病室に直行する。病室に待っていた京子はジャージ姿だ。彼女が持っているのは制服とジャージの二択。動きにくいブレザー制服は着なかったということだ。

「お疲れ様です。すみません、明日退院する予定が、こんな遅くに」

「大丈夫だよ。京子のお母さんにも連絡したけど、お金かかっちゃうから無事なら早い方がいいなってね。さ、早くニチヤクに行こうか」

 俺はそう言って京子のランシューを目の前に置く。

「あ、ありがとうございます。こんな格好するなんて、これから練習に行くみたいですね」

 あははは、と京子は笑う。そこには都大路を全く走れなかった残念さが、にじみ出ていたようだった。

 その表情を、俺は見逃さなかった。

「だったら走りに行こうか。ちょうど今日、すごくいい夜景が見える場所を見つけたんだよ。せっかくだし、走ってみんなでいこうと思ってね」

「だから、ランニングシューズを出してくれたんですね。お医者さんからは過度じゃなければ動いていいと言われてます」

 京子がそう言うと、漣がとっさに反応する。

「そうです。京子先輩には本当にビックリしてほしいので、これ、つけて走ってくださいよ!」

 漣が差し出したのは……アイマスクだった。

「え、漣さん、こんなつけて走ったら、まともに走れないよ」

「大丈夫ですよ。とっておきの夜景を見てビックリしてもらいたいんです。みんなで京子先輩のことを手で支えてるので。だから京子先輩も私たちのことだけを信じて走ってください」

 漣は演技も上手にそのつもりで演出してくれた。まったく、学園祭で漣はあんなに不似合いなメイドさんだったのにな。

 未だに訳も分からない京子は無理やり納得したようだった。どうやら早くも少し疑っているらしいが、それも作戦のうちだ。

 だがここで刺客が踏み入ってくる。朝陽だ。

「ちょっと翔、こんな時間にみんなでランニングなんて危険すぎるわ。何かあったらどうするのよ」

 立場もあるのだろう。一応、最後まで朝陽は朝陽として反対するつもりだ。

 だけど俺はもう怯まない!

 朝陽を振り切って病室を出ようとしたが、そのとき―――――――稲穂が声をあげる。

「よ、吉川先生って今でも、りょ、両想いなんですよね!!」

 !?!?

 稲穂、何事!?

「学校のみんな知ってますよ!いつも仲良さそうにしてるし、私達がその話題出すと顔真っ赤にして否定するしで、もうみんなにバレバレなんですから! それに向こうも否定してないですし!」

 あっちゃー……まじで何話し始めちゃってるんだよ。

 話していた作戦では、ここで朝陽の制止を振り切って走りに行くってことだったじゃないか! なんでそんな訳分かんないこと言ってるんだ。

 変にリズム崩しちまった。

 とりあえず気を取り直して、朝陽を止めないと――――

 そう思いながら朝陽の顔を見る。するとそこには茹でダコのように顔を真っ赤にした朝陽がいた。

「しょ、しょうが、私のこと、ま、まだ好き……はわわわ……しょうが……」

 顔を覆いもせずに、ただただ顔を紅潮させる。

 ど、どうなってるんだ!?

「おい朝陽、どうしちゃったんだ!? 生姜がそんなに好きなのか!?」

「しょうが――――――うわあああああああ」

「ぎゃあああああああ誰か助けてえええええ」

 なに、なにこの生姜に興奮する朝陽!? 京子より数百倍やばい気がするんだけど!?

 俺は絶叫する朝陽を見てただドン引きしていた。

 その時に、誰かに急に腕を掴まれる。涼風だった。

「信乃さんはここで吉川先生の見張り! あとのみんなで行くよ! ほら、センセーも!」

 涼風の掴む力は強い。危うくよろけそうになりながらも急いでみんなの後を追って、病室を出た。

 病院を出るとすぐに京子に目隠しをさせる。京子はやはり不思議、というか不安な顔だ。

 だけどもうここまで来てしまった。みんなを説得して、朝陽を振り切り、そして今ここにいる。

 立ち止まるわけには、いかないんだ。

「よし、俺が先導するからみんなついてくるんだ。くれぐれも京子の手は話すなよ」

 そう言うと全員が京子を取り囲むようにして集団を作る。まるでレースでポケットをしているかのように。

 みんなお互いの脚がぶつからないように。一方で、京子の体に確実に触れるようにして走る。京子の不安感をなくすためだ。

病院を出てから数百メートル走ったところで右に曲がる。さて、ここから本番だ。

 道は広くなって走りやすくなる。夜だから人通りも少ないし、車もいないので声も通る。

「よーし、じゃあ始めるか。最初は誰からだ?」

「イエス! 京子センパイ、イマまで、イチバン苦しカッタトレーニング。何デスカ?」

「え、一番きつかった練習? いきなりなんで……でも、考えてみると、ちょっと難しいかな」

 スローペースで走りながら、京子は嬉しそうに口角を上げて考える。

「9月の記録会後にやった練習かな。2000mを4本で、計8000mの練習。最初はそんなにペース上げなかったけど途中から漣さんが攻めてくるから競っちゃって。結局最後は6分50秒まで上がっちゃった」

「ワーオ、そんなコトがあったのデスカ!」

「うん。それからね、春先でまだ体が出来てないときに……」

 次から次へと思い出話に花を咲かせる京子。それに被せるようにして、次々にメンバーも質問を被せてくる。次は、千香だ。

「京子先輩って、中学のベストも速かったですよね? 県でも結構名前見ましたよ」

「1500mは4分55秒くらいだよ。でも大事なところでピーク外して、いっつも上手くいかなくて……」

「でもでも、それだけのタイムを出せることがまずすごいですって! いいなぁー、私もそんなふうに、風を切って走りたい」

「そんなー、ほめ過ぎだよ……」

 否定はしても、やっぱりどこか照れくさそうな京子。

 それに付け入るように、今度は漣が入る。

「京子先輩、やっぱりもっと長い距離やってみたかったりするんですか? 10000mとか」

「10000mまでは考えて、ないかな。でも大学は長距離の強いところ行って、今度は4年間みっちりと自分の実力を試してみたいんだ」

「京子先輩、夏までは普通に旧帝大レベル志望でしたけど、今は長距離の強豪ばっかり見てるって信乃先輩から聞きました」

「栃岡先生の本気の指導に触れたら、今度はやるなら本気じゃなきゃって、そう決めたの」

「京子先輩なら出来ますよ!絶対に! 板倉さんみたいに、オリンピックや世界陸上に出れる選手になってくださいよ!」

「世界か……夢、膨らんじゃうね」

 いいぞ、みんな上手だ。もっと、もっと京子自身が自分の走りに肯定感を持てるようにするんだ。

 俺も加わりたいところだが今は自分自身の役目を徹する。そう、見たこともない景色が広がっている、あの場所に連れていくんだ―――

 そんなこんなで走り始めて30分。ひたすら直線の道を最後に右折すれば、目的地はすぐそこになる。

「みんな、ここからは道が狭くなる。目的地までもう少しだから最後までしっかりな」

 そう言うと、目隠しをされた京子が疑問に思う。

「あれ、夜景を見るって言ったのに、結局全然上っていませんよ? というか下りばっかりだったような」

「いいよ、じきに、分かるさ」

 そして数分後、ついに目的地に着いた。石畳の上を最後に走りながら京子に目隠しを外すように指示する。

「やっと外れるんですね。なんかとっても、不思議な気分のランニングでした~」

 アイマスクを外しながら辺りを確認する京子。その異変に、すぐ気付いたようだ。

「あれ……夜景は……どこにあるんですか?」

 辺りは真っ暗闇。夜景どころか、明かりすらまばらだ。

 そろそろ種明かしをしてもいいな。これで作戦は最終段階なのだから。

「京子、ごめん。実は夜景を見るっていうのは嘘だったんだ。騙してすまなかった」

「え、なら、ここはどこなんですか?」

「ここは西京極陸上競技場だ」

「なっ――――――じゃあひょっとして、今私たちが通ってきた道って」

「都大路5区。ちゃんと西大路三条も通ってきたよ。それも京子は、今までにないくらい、走れる喜びを感じながらね」

「あの西大路三条を――――――越えて――――」

 京子は黙りこくってしまう。恐らく、相当に衝撃的だったのだろう。

 そして次の瞬間、夜の西京極陸上競技場の水銀灯が、京子の頬を流れ落ちる水滴を照らした。

「やっと走り抜けることが出来たよ、お父さん」


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