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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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都大路試走 ③想いの天秤

 京都市内の病院に京子を置き去りにした後は、俺たちは再び試走をした。午前中のやり直しをするためだ。

 京子がメンバーから外れた今、核となるのは漣と稲穂になる。それを他のメンバーがどう支えていくかが鍵だ。

 千香はまだ走れるレベルじゃないが、サクラ、信乃、涼風はいい具合に仕上がっている。このなかで誰を4km区間にしようか迷ってしまうくらいだ。

 都大路で狙う最高の結果は入賞。それには3000mで9分30秒台の平均タイムは必要だ。漣、稲穂は12月の東体大記録会で20秒台も出るんじゃないかと思う。それに他のメンバーだって、秋の自己ベストなんかゆうに越えてしまうだろう。それくらい出せれば、来年の都大路はもっと上を目指せる。

 彼女たちの試走のあいだ、ずっとそんなことを考えながらサポートをしていた。

 京子抜きでも都大路は頑張りたい。そして、今年の入賞は厳しくても来年に繋げられたら……そんなことも考えていた。

 午前中の1,2,4,5区の試走を終えてニチヤクに戻る頃。メンバーもいつも通りの雰囲気を取り戻していた。

 京子の重すぎる過去を知ってしまったこともあり相変わらず陸上のことは話せない。が、窓の外の京都市内の様子を話したりと雰囲気はいい。ようやくいつもの駅伝部って感じだ。

 東寺の近くにあるニチヤクに戻った俺たちはミーティングルームに入った。そこには河田はじめ、板倉などメンバーは揃っていた。

「お疲れ様です、先輩。都大路はいい感じでしたか?」

「まぁな。みんな、それぞれの区間のイメージはついたみたいだよ」

「京子ちゃんは結局、どうするんですか」

 いきなり核心をつく河田。でも俺達の心はもう決まっていた。

「京子はメンバーから外すよ。もう危険な目には遭わせられないし、都大路は入賞を狙いたい。そのために確実な方法をとりたいんだ」

 そうだ。京子がいなくても、今の二ノ丸高校は速い。

「京子の分も頑張ってこなきゃって気持ちだよ。1,2年生を中心としたメンバーで、来年に向けていい経験をしてきたいな」

 少しだけ誇らしい気持ちだった。

 都大路は京子の分も頑張らなくちゃいけない。それは来年以降にも繋がることだし、出来る限り頑張りたいんだ。

「ーーーーーチッ」

 急にどこからか、舌打ちが聞こえた。

 河田でも俺でもない。女性の高い舌打ちの音。

「聞いててイライラしてくんのよね、あんた達」

 板倉だった。

 彼女は明らかに不機嫌な顔をして、座りながら俺たちを見上げる。

「『頑張ります』って?『来年に向けて』だって? バッカじゃないの。県大会で抜けられなかったチームが何言ってんだか」

 急に言葉を発する板倉。

「勘違いもいい加減にしなよ。必死に掴んだチャンスで勝負しようと思わない人間が、成長なんて出来るわけない。そんなんじゃ来年は京都(みやこおおじ)も来れないわよ」

 板倉は完全にキレていた。急なことにドキリとする。

「そんな、急になんですか。こっちは京子を失った今、次の目標に向かっていかないとなんです」

「だからって、来年がどうこう言ってるんじゃないっての」

 板倉は呆れたようにため息をつく。

「あなた達レベルの選手が京子ちゃんを外しても戦えるとか言えるわけない。少しでもレベルの高い選手使って、勝ちにいくのが弱いチームのやることでしょ」

 二ノ丸高校を、弱いチームと言われた。

 そりゃ実業団トップチームに比べたらレベルは劣るだろう。でも、それでもそんな論理を押し付けられちゃたまったもんじゃない。

 さすがに河田もまずいと思ったのか声をあげる。

「板倉さん! 相手は高校生ですよ。日本代表としても言葉を慎んでください」

「もう世界陸上は終わったのよ。ランナーとして、ここにいる全員が同じ立場。ま、観光気分で怪我してることも素直に言えない留学生とは私は同じにされたくないけど」

 その瞬間、サクラはドキリとした様子をした。

「ホワッツ? ナゼ、怪我のコトを……」

「走り方見てりゃ分かるわよ。ランナー膝抱えてるのにアイシングもしないとか、あり得ないわ。でも観光目的じゃしょうがないわよね」

 サクラは驚いていた。そういえば前に膝が痛むといって練習を抜けたことがあったが、板倉はなんていう洞察力だ。

 板倉はそのまま続ける。

「栃岡翔。あんたも逃げの姿勢で顧問やってんじゃないわよ。都大路に出れたのに戸惑うのも分かるけど、アスリートとして勝ちにいく姿勢を失ったら存在価値はないのよ

 京子ちゃんを大事にしたいのは分かる。でも大事にするんじゃなくて大事に思いなさいよ。でないとーーーー」

 そして板倉は席から立ち上がる。珍しく紅潮した顔で俺の前に立つ。

「な、なんだっていうんですか」

 一瞬、殴るんじゃないかと思って、少し腰が引ける。

 でも板倉は暴力ではなく、言葉で俺を諭したのだった。


「じゃなければ京子ちゃん、一生あのままかもよ」


 板倉は言いたいことを全て言い切ったようだ。

 彼女の表情から怒りが消えて、疲労感が出ている。

 京子が一生あのまま。

 京都に来ることも精神的に辛い。走る度に父親のトラウマが頭をよぎる。そんな恐怖と不安感を覚えながら今後の人生を生きていくのか。

 そう思うと、急に、自分がとんでもないことをしてるんじゃないかと思った。京子から過去のトラウマを引き剥がそうともせず、むしろそれを放置している。 

 「京子の発作が起こらないように」とか「都大路は勝負をしたい」とかは、結局俺自身が京子を救えない言い訳作りをしているだけなんじゃないか。

 俺は顧問として京子を止める立場にある。一方で、京子を走らせる立場にもあるんだ。

 父親が亡くなったあの時と同じ、大歓声のなか、テレビ中継もある都大路を走る機会はそうそうない。京子がトラウマを克服するのはやっぱり高校3年生の最後の都大路しかないのではないか。

 考えれば考えるほど、京子を走らせなければいけない気持ちが強くなる。

「このままいたら居にくいからもう寝るわ。栃岡翔、もう少しあなたも考えてみてほしい。もちろん駅伝部(みんな)もだけどね」

 板倉はそう言うと本当にミーティングルームをあとにした。

 廊下をカツカツと歩く音を、ミーティングルームにいた全員が聞く。

 板倉が階段を上った音が聞こえた時。ずっと黙っていた河田が口を開く。

「ああは言ってますけど真に受ける必要はないです。夜遅くて、板倉さんも疲れてるんですよ」

「………………」

 河田は俺のことを擁護してくれたが今一心は晴れない。俺の脳内は、京子のトラウマを克服させて、都大路を走らせることは出来ないのか?という方向に傾き始めていた。

 その時、千香が口を開く。

「なんか、すっごく悔しくないですか。すごく」

 京都に来てからビビりっぱなしで殆ど話していなかった千香。その彼女が力強く、そして、怒りも混ぜながら話す。

「そりゃ私たちだって入賞に向かって頑張ってます。それをあんなに言うなんて……」

 俺たちには世界に行く力なんてない。でも、言われっぱなしじゃ腹が立つ。

 いくら実力のある選手とはいえこっちもアスリート。憤るものは憤る。

「それにああ言われちゃ京子先輩のこと応援したくなっちゃうじゃないですか。私じゃ今から速くなるにも限界があるなら、一番のエースを復活させたいってーーーー思います」

 千香に引き続き、涼風も。

「うん…………私もひっさびさに火ぃ着いちゃったかな。それにああまで言われると京子先輩に走るなとは、言えないよね。やっぱり京子先輩がいてこそ二ノ丸じゃない?」

 二人と俺は同じ気持ちだったようだ。

 二ノ丸高校は京子から始まった。都大路に行けた北信越駅伝も京子がいなければ厳しかっただろうし、その前の県大会も抜けられなかったかもしれない。

 やっぱり京子がいた方がーーーー

「何を言ってるんですか。チームの事情に、個人的な感情を持ち込むべきではありません」

 反論したのは信乃だった。

「もちろんチームで一番長い距離が得意なのは京子さんです。でも、ああいう事情を抱えてる状況で、走れという方が無理があります」

 正論だ。あのような事情を抱えてる京子を走らせれば、どういうことになるかはほぼ分かっている。少なくとも、トラウマを全く克服できていない今の状況では、そんなことはやったらそれこそ京子のためじゃない。

「あたしも同意見。京子先輩にはトラウマを克服してもらいたい。でも、京子先輩が苦しむ姿、これ以上見たくないよ……」

 漣の心の叫びだった。今までずっと、駅伝部がスタートする以前からずっと一緒にいた漣は、京子の体を大事に思っていた。

「あんなに苦しそうな京子先輩、初めて見たんだよ。県大会でもあんなにボロボロで、それでも頑張って夢を掴んだ京子先輩を、最後に辛い気持ちにさせたくないよ」

 県大会……思い出したくもない。

 その当時は全く気付かなかった。あんなトラウマを抱えているだなんて。京子が無理して、気付かぬ俺がもっと無理……させてしまったのかもな

 誰もそれには反論できない。サクラと稲穂の1年生組はどうしたらいいか分からずにうつ向いたまま。

 答えが出る気配はなかった。

 ひんやりとした空気が全員をさす。盆地である京都の夜は寒い。きっと京子のいる病院も寒いんだろうな。

 しばらく続いた沈黙を、朝陽が破る。

「とりあえず、今日のところは終わりにしましょ。今日は色んなことがあって疲れたでしょ。もう休んで、明日からまた話すことにしよ、ね?」

 誰も反対はしなかった。

 もうこのまま議論しても答えは出ない。というか、今の俺達は議論が終結しないことより、話し合いに集中して仲が悪くなることを恐れているようだった。

 顔ににじみ出る疲労感を抑えながら、各自、部屋に戻っていった。

 部屋に戻ると河田が着替えていた途中だった。午後練習はインターバルトレーニングと言ってた。さっきまでジャージのままだった。

「お疲れ様です。チームの雰囲気は……まぁ、良くはなさそうですね」

「最悪だよ。ぐっちゃぐちゃ。まぁ、板倉さんの言うことも分かるし、怒るのも理解できるけどな」

「トップアスリートでも性格がいいってわけじゃないんですよ。競技力と他人への配慮は無関係です」

「色んな世界が見えるからだよ。逆に問題提起してくれて感謝してるさ。俺もそうだが、少しは刺激入っただろう」

 俺は二段ベッドを上り、横たわる。

 すごく疲れてしまった。ああいう神経使う局面は苦手だ。

 ため息をふっとつき、まぶたを閉じる。眠るわけじゃないが起きてもいられない。

「栃岡先輩はーーー」

 沈黙を許さず河田は会話を続ける。

「京子ちゃんを走らせたいと、思うんですか?」

「俺のなかでもまだ分からないさ」

 走らせたい気持ちはある。でも、それと同じくらい走らせちゃいけない気持ちもある。その二つががんじがらめになっていた。

「でも、京子がこのままじゃいけないことくらい、分かってるさ」

 それだけはハッキリした答えだった。

 父親のことを思い出して苦しむ京子。もう数年もあのままの京子をこのまま放ったらかし……なんて、考えられない。

「だけど、今から都大路を走れる準備を出来るかなんて分からないんだ。何年もリハビリやっててあれじゃ、さすがに諦めた方がいいんじゃないかってーーー」

「栃岡先輩」

 弱気な言葉ばかり並べてしまった俺を、河田は遮る。

「今じゃ遅いかもしれません。でも、後で後悔した時には、もっと遅いんですよ」

「河田ーーーー」

「もちろん京子ちゃんをあのまま走らせることは出来ませんよ。でもまだ都大路までは3週間近くあるんですよ? 今もうメンバーから外すより、もう少しだけ頑張ってみてもいいんじゃないかと思います」

 河田の言う通りだった。

 そうだ。何も都大路の3週間前から怖じ気づいてメンバーから外さなくてもいいじゃないか。

 冷静に考えれば気が早い話じゃないかまだ京子がトラウマを克服できる兆しはあるんだ。

「先輩、僕も精神病について詳しくはないです。でも、京子ちゃんを苦しめているのはお父さんの亡霊じゃなく、京子ちゃん自身なんです。彼女を変えようと思えば変われるはずです」

 お父さんの亡霊じゃなく、京子自身。

 都大路を走れない原因は幽霊やお化けのせいじゃない。京子自身が作り出したトラウマなんだ。

 京子自身を変える。そうすれば都大路を走れるはずだ。

 ……でも一体、それはどうすればいいんだ? というかそれをやるのが医者の仕事のはずだ。

「でも河田、俺に医者以上の治療法なんて出来るのか?」

「んなこと知りませんよ」

「バッサリ!?」

「医者以上以下じゃなく、医者と違うことすればいいと思います。教師としてね」

 河田はそう言うと、得意そうに笑顔になる。

 不気味な奴め……

 でも、少し方向は掴めた気がする。医者が使う医療法を無視したその先に京子のトラウマを克服する方法があるんだ。

 ちょっと、考えてみるか。

 俺はベッドの布団を被って考え事を始める。こうすると眠気のうちにいい考えが浮かぶことが多いのだ。

 暗闇の中で目を閉じていく……

 と、その時、急に河田が俺のことを呼ぶ。

「あれ? ここのナチュラルマッドのサプリ、どっちが先輩のですか?」

 デスクの上に置いてあってであろう、サプリメントのことについて河田は尋ねる。

「マルチビタミン&ミネラルの方だよ」

「どっちも同じなんですよ……」

「なんだ気が合うな。見ないと分からないよ」

 そう言って二段ベッドの梯子をつかむ。その時、ハッとした。

 見ないと分からない。区別が出来ない。

 物が見えないと識別が困難になる。

 ひょっとして、これを使えば。

「河田」

「え、なんですか?」

「とにかく京子に都大路を走らせる方法、見つけたぞ」

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